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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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七倉稲荷神社大祭 平成22年 9月 (隔年) |
神輿データ:祭神: 倉稲魂命 台座:二尺五寸(76) 建造年度:昭和5年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 延軒屋根 勾欄造りの背高神輿です 前回に続き2年振り渡御です |
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ビル陰に勢い付いて不忍通りを威勢よく北進する七倉稲荷神社の宮神輿 |
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七倉(ななくら)稲荷神社大祭
'10.09.19.(日曜) 宮出し14時〜16時
前回取材した渡御写真が採用され作成した氏子町会かわら版に感動
台東区池之端2-5-47 |
上品なPOP |
写真提供POP |
七倉は紅白祭り提灯一色 |
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七倉稲荷神社は、江戸幕府の米蔵のあった浅草蔵前に鎮座7つの倉の守護神として崇められ、
これが社号の由来となっている。
その頃の社伝によれば阿部豊後守が当社に祈願、
その加護により隅田川馬上渡河の功を奏したと伝えられ霊験顕たかな社として江戸町民の信仰篤かった。
明治維新後に蔵前より七軒町十八番地に遷り更に明治9年現在の地に遷座した。
現社殿は平成元年7月の御造営である。 |
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神社鳥居前からの宮出し |
お寺集中する寺の町を渡御 |
お囃子山車は付かない |
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東大崖下の池之端 |
境稲荷神社前へ渡御 |
境稲荷の名水の弁慶境井戸 |
兼務社が同じ境稲荷神社の社名は、上野台地と本郷台地の境にあることに由来。
源義経が奥州に向う途中に弁慶が見つけたという井戸は、江戸時代には名水として記録が残る。
また東京大空襲では、この井戸が多くの被災者を飢渇から救ったのです。
渡御は神社通り、境稲荷、不忍通り、根津駅から七倉稲荷と池之端2丁目を一巡する。 |
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東大池之端下を賑やかに渡御する |
兼務社が同じ境稲荷神社でご接待受け |
池之端の由来。 池之端は茅町・池之端七軒町・池之端仲町などをさすが、
不忍池の西の池の端による事からの呼称。東大の裏の崖の下である。 |
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