歴史の浪漫街道   お江戸の神輿  真夏の炎天下でも曇り空で直射日光を遮るも熱気はムンムンの4年に一度の渡御の東大島神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    東大島神社  平成28年8月 (4年毎)

祭神: 天照皇大神 台座:三尺 (92) 建造年度: 昭和25年 製作者: 浅草・宮本重義
特記: 吹き返しに白龍を打ち出した大唐破風屋根・勾欄造り

東大島神社大祭'16.08.07.
最後尾の騎乗宮司が見守る中サンロード中の橋商店街を威勢良い掛け声で渡御です

higasi-pop2.jpg(8291 byte) higasi-pop.jpg(19170 byte) higasi-syouten.jpg(17909 byte)   '16.08.07.(日曜)
   宮出し8時〜宮入り14時
江戸時代中期に小名木川水運により村々が栄え、その鎮守として五つの神社が建てられたが、 東京大空襲により全てが消失した。
昭和27年に五社を合併して現鎮座地に社殿を建立する。
  東京都江東区大島7-24-1
東大島POP 東大島神社大祭POP 中の橋商店街での隊列

小名木川は東京都江東区の北部を東西にほぼ一直線に流れる中小河川。
全長4.6km。東砂2丁目で旧中川と、西端では清澄1丁目で隅田川と結ぶ。
徳川家康入国の後、行徳の塩を江戸へ運搬するとともに江戸と利根川水系を結ぶ目的で掘られ、 江戸が大都市として発展するにつれて、物資の流入の重要ルートとなった。 幕府は中川口に御番所を設けて出入りの船を取り締まった。
 

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大正7年開設のサンロード中の橋商店街で掛け声も威勢よく渡御です   10時10分

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300m続く中の橋商店街の新大橋通り入口へ宮神輿が出てきた   10時20分

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広い新大橋通りを大島交差点へと女性の担ぎ手も威勢良い担ぎ

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真夏の熱気に負けず新大橋通りから丸八通りへと進路を変え渡御   10時30分

丸八通りとは、小名木川に架かる丸八橋から付けられました。
丸八という名は、明治時代の頃「丸八」というお香屋さんがあり
その名を取ったという説もあります。
 

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大島お神酒所は直ぐそこだと丸八通りを南進してくる

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目の前の大島神酒所で休息、次の大島五丁目から東町会お神酒所へ 10時40分

小名木川は江戸城を居城に定めた徳川家康が、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。 しかし江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、 大きく沖合を迂回するしかなかった。 そこで代官の小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりである。


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