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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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日本橋福徳神社 (芽吹稲荷) 初渡御 平成28年10月 (未定) |
神輿データ: 祭神: 倉稲魂命(宇迦之御魂神) 台座: 二尺五寸(76cm) 建造年度: 平成26年 製作者: 宮本卯之助商店
特記: 八棟屋根、胴羽目彫刻は日本橋中央の麒麟 飾紐、紐房、吹返し紋、瓔珞紋などに別名「芽吹稲荷」の芽吹き色 |
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中央通り日本橋三井タワー向いの福徳神社参道の浮世小路入口で初渡御の神輿揉み |
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鳥居朱色に扁額 |
拝殿内の旧社殿 |
2年前晴天時の入母屋造りの新社殿 |
福徳神社(芽吹稲荷) '16.10.16.(日曜) 神幸祭 11時〜13時30分
氏子地区は室町2丁目の一町会のみ。芽吹会が祭礼一切を取り仕切る。
清和天皇の貞観年間(860 〜876年)頃にはこの地に創建されたと伝わる。
徳川家康公も参詣している。 東京都中央区日本橋室町2-4 |
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鳥居前の仲通りからの宮出しで三井グループ企業から担ぎ手達の180名が参加 (11時20分) |
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社殿脇神輿庫が面する仲通りを多くの担ぎ手達が付き添い賑やかに担いで来る |
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芽吹き色半纏の芽吹会に警護のように護られて仲通りを渡御してくる |
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仲通りから大伝馬本町通りへと威勢良い掛け声で渡御してくる |
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中央通り日本橋三井タワーの赤テント出す千疋屋日本橋総本店前を渡御 |
千疋屋: 天保5年(1834)に武蔵国埼玉郡千疋の郷 (現在の埼玉県越谷市千疋)の侍であった初代弁蔵が江戸、
葺屋町(現日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構えた。
慶応3年(1867)には三代目が洋館三階建の店舗として、我が国初の果物専門店を開業した。 |
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中央通りから江戸桜通りへ入り込み老舗のにんべん店舗前から仲通りを目指し渡御です |
鰹節のにんべん: 三重の高津伊兵衛が元禄12年(1699)に20歳の時に日本橋四日市の土手蔵
(現日本橋一丁目野村證券付近)で、戸板を並べて鰹節と塩干類の商いを始め、
宝永2年(1705)には店の屋号を「伊勢屋伊兵衛」とし、
暖簾印 (商標)は伊勢屋と伊兵衛の「イ」としたが、庶民は「にんべん」と評した。 |
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室町2丁目町会を一巡して桜通りから仲通りへ入り込んで駐輦祭式典の福徳の森を目指す (12時25分) |
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駐輦祭の福徳の森から浮世小路のCOREDO室町角の鳥居前で差し上げで渡御のご挨拶 (13時00分) |
この辺りが武蔵野国豊島郡福徳村と呼ばれていた地名をとって福徳稲荷とよばれた。
源義家、太田道灌など武将から、 徳川家康をはじめとする歴代将軍も信仰し、二代将軍・秀忠が慶長9年(1614)の正月に参詣した折には、
「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛の言葉を残したといわれ、
この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから別名、芽吹稲荷(めぶき)と命名された。 |
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