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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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五條天神社 平成29年5月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:大己貴命 台座:三尺八寸(115) 建造年度:昭和5年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 黒漆塗りに粟穂紋(粟の丸紋)と星梅鉢紋 大きい鳳凰 延軒屋根・ 四方桟唐戸・ 勾欄造りの格調高い神輿。 |
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元黒門町会の受け渡し場所へと上野広小路から威勢の良い掛け声で入り込む |
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五條天神社 神幸祭 '17.05.28.(日曜)
宮出し 11時 宮入り 20時
氏子内(上野公園から上野広小路一帯) を鳳輦と共に天狗や巫女舞などと巡幸する。
医薬祖神を主神とするが、天満宮でもある。
日本武尊が東夷征伐で上野の忍ヶ岡を通過時に、大己貴命と少彦名命が日本武尊の難儀を救ってくれたため、
上野忍が岡に両神を祀り創建たとされている。 東京都台東区上野公園4-17 |
お神酒所で小休止の鳳輦 |
元黒門町会から巡行再開 |
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小休止の池之端仲町通りのお神酒所から中央通りの広小路へと |
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多くの担ぎ手に囲まれて上野広小路を威勢良い掛け声で |
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広小路町会の路地中へと |
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広小路町会の路地中の上野アメヤ横丁をかすめて中央通りへと |
上野アメヤ横丁 (アメ横)の由来:
御徒町駅〜上野駅間の山手線の高架橋西側と高架下の約500メートルを中心に約400店の商店街で、
終戦直後の砂糖が手に入りにくかった時代に「芋あめ」を売る店や、アメリカ進駐軍の放出物資を売る店の闇市であった。
現在では特に年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返す。 年の瀬の風物詩となっている。 |
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狭い路地中渡御で疲れたか再度の中央通り渡御では神輿が沈みがち |
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担ぎ手達が気合を入れ直して中央通りの松坂屋本館前を渡御 |
上野松坂屋: 慶長16年(1611)織田信長に仕えた伊藤蘭丸祐広の子、伊藤蘭丸祐道が名古屋本町に呉服小間物問屋を開業。これが松坂屋の創業です。
上野広小路の松坂屋を買収し「いとう松坂屋」として明和5年(1768)に開業する。 |
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上野松坂屋本館前から黒門町へと入り込んでくる |
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中央通りの松坂屋本館前から黒門町へ最後の担ぎだと必死に |
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黒門町会引き渡しへと北大門町を渡御です |
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黒門町会への受け渡し場所へ入り込んでくる |
お江戸三大天神(天満)とは
湯島天満宮 (東京都文京区) 亀戸天神社 (東京都江東区) 五條天神社 (東京都台東区)
日本三大天神は諸説あるが一般的には
太宰府天満宮 (福岡県太宰府市) 北野天満宮 (京都市上京区) 亀戸天神社 (東京都江東区) |
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