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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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水稲荷神社神幸祭 平成23年 9月 (3年毎) |
神輿データ:祭神:倉稲魂命 台座:三尺六寸(110) 建造年度:大正11年 製作者:行徳・浅子周慶
特記: 急勾配の大振り延軒屋根に三ツ紋が輝く 勾欄造り 背高な神輿です。 |
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新目白通りを悠然と担がれる宮神輿の殿の騎乗神職が神幸祭渡御列を守護する |
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水稲荷神社例大祭。 (3年毎)
’11.09.11.(日曜) 宮出し8時半〜宮入17時
粋な鳶頭衆の木遣唄が祭礼行列を先導する神幸祭。
宮神輿は急勾配の大振り延軒屋根に三屋根紋を付けた重厚な大正11年建造の神輿です。
東京都新宿区西早稲田3-5-43。
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作り丁寧なPOP |
発祥の地「戸塚」表示の大幟 |
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天慶4年(西暦941)、鎮守府将軍・俵藤太秀郷朝臣が、旧社地(現在の早稲田大学9号館法商研究棟)
の富塚(戸塚)の上に稲荷大神を勧請したのが創始という古社。
旧称冨塚稲荷と命名されたが元禄15年(1702)大椋(ニレ科ムク)の下に霊水が湧出し、
眼病に効能があったことからたちまち評判となり、ゆえに水稲荷と呼ばれるようになった。
眼病のほか水商売および消防の神様としても有名。 |
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グランド坂下からの渡御再開です |
大幟を掲げての神幸祭の行列 |
リーガロイヤルホテル前で折り返し |
宮出しに取材できず新目白通りのグランド坂下からの取材です。
新目白通りで小休息しての渡御再開でリーガロイヤルホテル前での折り返して、
早稲田大学大隈記念館前から路地に入り込み、
早稲田アパート前でご接待を受け担ぎ手は体調整えて、再度新目白通りへ戻り神幸祭行列が渡御していく。 |
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休息所へ誘導する木遣の頭衆 |
宮神輿も休息場に入り込む |
大正神輿の高い勾欄造り神輿 |
木遣りを唄うのは鳶頭衆と呼ばれる鳶の親方衆です。
花笠を被っている人が音頭取りです。その他の人が続けて唱和します。 |
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先導する木遣唄う鳶頭衆 |
休息で気合復活の担ぎです |
殿で守護する騎乗神職2名 |
「木遣り」は木を遣り渡す(運ぶ)という意味で木遣唄ともいわれる。本来は重量物を運び出す時、
その力を一つにまとめるための掛け声や合図として唄われたものという。
労働歌であったものが、寺社や家などの建築自体が慶事であったことから、おめでたい唄として唄われるようになり、
好評を博して鳶職の間に受け継がれて、江戸っ子の祭りには無くてはならないものとなっている。 |
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早稲田大隅会館脇で休息気合い入れ直して新目白通りグランド坂下へと渡御していく |
早稲田地名の由来:
新宿区の北部の神田川沿いの低地と戸山ヶ原の台地にまたがり、
神田川に近く川が入り組んだ地形から、水稲の田圃が多くあり、凶作に備えて普通の田植えより、
早い時期に植える田があった事に由来します。
早稲(ワセ)というのは普通の稲(ナカテ=中熟種)より早く結実する品種で、
早稲田は早場米を植えた田をいう。ほかにオクテ(晩生種)がある。
神田川流域は石神井川と同じ条件で狭長な谷地に水田を開いたので台風シーズンには洪水に浸かるところが多く、
早生(ワセ)稲を植えるしかなかった。それで早稲田の名が起こった。
早稲田には秋口の食米不足を補うために早稲を植える田もある。 |
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