歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 喜多見氷川神社は世田谷一の格式と伝統を誇り、太鼓引きの長さも世田谷一
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    喜多見氷川神社  平成23年10月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴命 台座:二尺三寸(70) 建造年度: 不明 製作者:行徳・浅子周慶
  特記: 大唐破風軒屋根 胴羽目・鳥居・台座までが木彫の神輿 発輿式で鯨幕を使用する
 

樹木生い茂る路地中を渡御。'11.10.16.
狭い路地中の垣根をかすめる様に知行院に向けて渡御する宮神輿

簡素なPOP。'11.10.16. 細長い参道。'11.10.16. 静寂の中の社殿。'11.10.16.   喜多見氷川神社
'11.10.16.(日曜)
宮出し12:20〜
  宮入18:00
東京都世田谷区
  喜多見4-26
喜多見駅徒歩15分ですが渡御図参照
簡素なPOP 夜店が並ぶ細長い参道 樹木に包まれた優美な社殿

天平十二年(西暦740年)の創建と伝えられているが、延文年間(1356〜60)に社殿大破し、 ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。 昭和63年不慮の災いをうけ社殿焼失、平成2年に現社殿を再建する。 二の鳥居は承応3年(1653)に喜多見勝忠の子重恒、 重勝兄弟によって建立された石造りの鳥居で、都内でも最古の部類に入る鳥居です。  

渡御路に合わせたお囃子山車。'11.10.16. お囃子追う様に渡御してくる。'11.10.16. 狭い渡御路でも威勢よく担ぐ。'11.10.16.
路地に合わせた車幅のお囃子車 お囃子追う様に路地中を渡御 淡い日差し受け威勢よく担ぐ

渡御路は神社宮出し〜知行院〜東宝スタジオ〜世田谷通り〜喜多見駅口〜神社宮入。
渡御時間  (右下の渡御図参照下さい)  宮出し12:20
着12:40〜@ー東部お神酒所ー発12:55  着13:10〜Aー喜多見休息所ー発13:20
着13:40〜Bー上部お神酒所ー発14:05  着14:55〜Dー中部休息所 ー発15:10
着16:30〜Eー喜多見駅北口−発16:40  着17:25〜Fー西部お神酒所ー発17:40
宮入 18:00  今回の取材では御霊移し宮出しには間に合いませんでした。
 

狭い路地を渡御。'11.10.16. 休息の東部お神酒所。'11.10.16. お神酒所隣接の知行院。'11.10.16.
塀をかすめる様に渡御してくる 休息の東部お神酒所は入り込む 東部お神酒所隣接の知行院

知行院の鐘楼。'11.10.16.   知行院鐘楼の除夜の鐘は二キロ四方に響き渡るとか (喜多見5丁目)。知行院は文明頃(1489ごろ)の草創。
喜多見若狭守勝忠が、館の鬼門除けの祈願所として不動明王、閻魔大王をもあわせ祀り、除地若干を寄進した。 また、「須賀神社」の別当寺でもあった。慶安2年(1649)江戸幕府から 寺領八石二斗の朱印状を受け幕末におよんだという。

茜色に染める天狗。'11.10.16. 両面打ちの御太鼓。'11.10.16. 長い太鼓曳き。'11.10.16.
全身淡い茜色に染める天狗 二本撥使い両面で打ち鳴らす 長い太鼓曳きの子供達の行列

格式と伝統は世田谷一、子供が引く太鼓引きの長さも世田谷一だとか。
白丁の鉄棒と猿田彦が大太鼓を先導する、大太鼓は宮神輿とは別巡行路です。
 

喜多見氷川神社は9社の兼務社(本務社の宮司が兼務する社)を抱えている。
  世田谷大蔵の氷川神社、宇奈根の氷川神社、祖師谷の神明社、砧の三峯神社、
  千歳台の稲荷神社、岡本の八幡神社、鎌田の天神社、以上は神輿渡御行う。
  玉川の諏訪神社、喜多見の須賀神社、は神輿無し。
 

狭い路地中を渡御。'11.10.16.
宮神輿の左右には余裕もない路地だが長閑に渡御をしてくる

喜多見地名の由来:  南北朝時代の1300年代初期には「木田見」とある。16世紀後半頃に「木多見」「喜多見」や「北見」と見られる。 この付近は古くの古代集落の遺跡が発見されており、歴史は古い。しかし地名の語源ははっきりしていない。 中世には本拠地である江戸を追われた江戸氏が本拠地を構え、江戸時代には短期間ながら、 この地に藩庁を置く喜多見藩が存在した。  


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