歴史の浪漫街道  魅惑の歴史紀行。江戸時代からの苔むした宿坊・昭和初期の竜宮の駅舎・歴史を今に伝える。
魅惑の歴史紀行


古の雑多な歴史情報館


'07〜'08年の現地写真取材で出合った時空を越えてきた者たちや胸躍ったことなどを掲載する雑多な情報館。
主にHPに写真添付しなかったものやコンテンツと関連なきものが中心ですが古に心ときめいた写真集です。



武蔵御嶽神社の宿坊 ’08.05.08.

宿坊の馬場家御師宅。08.05.08. 茅葺の痛みが風雪に耐え抜いた証し。08.05.08. 参道下の茅葺の宿坊の能保利。
慶応2年建築の茅葺き宿坊の東馬場 宿坊の東馬場家の風雪に耐えた茅葺 苔生し風雪に耐えた茅葺の宿坊の能保利

宿坊参道脇にそびえる神代欅。08.05.08.   標高929Mの霊山御岳山山頂に鎮座する創建奈良時代の武蔵御嶽神社。 御岳平からの参道沿いに今だ30もの素朴な宿坊が点在しています。
聖地であったが故に自然が残され、その太古からの大自然の中で、 集落の人々が伝統を守り、風雪に耐え抜いてきたのです。
万治2年(1659)以前から続く馬場家御師宅(おし・御嶽神社の神職) の慶応2年(1866)に建造(有形文化財)された宿坊や、同時期と思われる宿坊の能保利、 そして宿坊上の参道脇に立つ樹齢700年の欅。みな長い年月を霊山の風雪に耐えて生き続けている。 時代と辺境に感動を覚えます。
古を今に伝える樹齢700年の御岳神代欅

aikon-pentax2-.jpg(2881 byte) 片瀬江ノ島駅舎 ’08.01.20.

竜宮の乙姫に逢えそうな竜宮城を模した駅舎。08.01.20. 維持管理が見事な昭和4年建築の駅舎。08.01.20.
おとぎ話の世界へ誘う竜宮城を模した駅舎は昭和4年(1929)開業 湘南・江ノ島・南の海ずばり竜宮城がぴったり

片瀬江ノ島駅は、神奈川県藤沢市片瀬海岸にある小田急電鉄江ノ島線の終着駅である。 昭和4年(1929)4月に開業。 竜宮城を模した駅舎は東海土地電気株式会社による、 大船〜江ノ島〜茅ヶ崎間の路線が建設される予定があり、 もし開業した場合は撤去しなければならないため、登記上は仮駅舎として建てられたが、 新路線は事業化されず、駅舎は「仮設」から「本設」として現在まで使用されてきた。 平成11年(1999)10月 関東の駅百選に選出される。  

aikon-pentax2-.jpg(2881 byte) 山下公園 旧イギリス7番館 ’07.11.20.

前部は当時のままの原型の旧イギリス七番館。07.11.20. 史跡の証しの石碑。07.11.20. 維持管理する現戸田平和記念館。07.11.20.
山下公園通りの旧イギリス7番館 史跡の証しの石柱 (旧山下町7番地) 当時と変わらぬ正面玄関

建設当時の説明板写真。後方に建物が続いていた。07.11.20.   山下公園通りのホテルニューグランド沿いに横浜市の外国人居留置の面影を今に伝える旧イギリス七番館。 大正11年(1922)の洋風建築で関東大震災前の外国商館で唯一存在するもので、 近くには元英国領事館(1931年建築、1972年まで領事館。現横浜開港資料館)がある。
港沿いの山下公園には異国情緒豊かな童謡で馴染みの深い赤い靴履いてた女の子像や かもめの水兵さんの歌碑があり、氷川丸が昭和36年(1961)岸壁に係留され瀟洒なホテル群とあいまって 異国情緒を醸し出している。横浜市中区山下町8.
当時のイギリス7番館の全容 (説明板の写真)
関連事項の掲載ページは 明治浪漫の赤煉瓦建築  
山下公園と氷川丸
山下公園: 文久3年(1863)頃 フランス波止場が完成(現、山下公園中央部) 大正14年(1925)から関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などを4年がかりで埋立て 昭和5年(1930)に開園した。公園内を通る臨海鉄道(山下臨港線・高架の貨物線) 昭和40年(1965)開通したが昭和61年(1986)に鉄道線廃止。
氷川丸: 日本郵船所有の11,600トンの貨客船。 北太平洋の女王と呼ばれアメリカやカナダ間と昭和5年より就航(1930〜1960) 引退後は山下公園に係留。
時代の趨勢なのか、残念ながら昭和36年(1961)建設の横浜マリンタワー、 氷川丸が共に2006年末閉鎖され、歴史的遺産に未練を残すのは私だけでしょうか。
 

aikon-pentax2-.jpg(2881 byte) お江戸東京の基礎 大田道潅 ’07.02.27.


お江戸東京の基礎を造りあげた室町中期の武将大田道潅(1432〜1486) この威風堂々のもののふ。足軽軍法に長じ和漢や詩歌にすぐれていた。長禄元年(1457)江戸城を築く。 上杉定正(鎌倉扇谷家の当主)の家臣であったが讒言(ざんげん)を信じた定正に謀殺される。
昭和58年に地下4mから発掘された江戸城の石垣。 寛永13年(1636)徳川家光が江戸城外郭の築造時の南側の石垣でその石は真鶴や根府川から切り出され、 その時無名の石工が何かを後世に伝えたく熱き思いを込め刻み込んだのでしょう。 名も無き者達もお江戸東京を築いた証しなのです。
 

関連事項の掲載ページはありません。  

aikon-pentax2-.jpg(2881 byte) 京都最古の赤煉瓦 同志社彰栄館 ’07.02.06.


同志社大学今出川キャンパス内で最も古い建物であり現存する煉瓦造りの建物としても京都市内で最古のもの。 驚きです。明治35年の 旧中京郵便局旧庁舎が最古の赤煉瓦と思いきや、 彰栄館の定礎には明治16年(1883)の刻印で竣工は明治17年(1884)なのです。 同志社教員のD・Cグリーンが設計し施工は棟梁の尾瀧菊太郎。 外観はアメリカン・ゴシック調であるが屋根は瓦葺き内部は純和風の寄棟造りである。 鐘と時計は明治20年(1887)教員のJ・Dデイヴィスが据え付けた。   京都市上京区今出川通り烏丸東入。  

同志社大学:明治8年(1875)官許同志社英学校開校。 教員は新島襄とJ.D.デイヴィス。生徒8人であった。 明治9年(1876)現在の今出川校地に校舎2棟と食堂1棟を建て移転。 彰栄館と煉瓦造り建物の明治19年礼拝堂(チャペル)、明治20年有終館(図書館)、 明治23年ハリス理化学館、明治27年クラーク館の校内5棟が重要文化財。  

関連事項の掲載ページは 孤高の時計塔/大学・同志社  

yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  雑多な情報館'06年」にリンク。 「雑多な情報館」にリンク。