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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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神田明神 「神田祭り 陰祭り」 平成18年5月 神田大明神神輿 (隔年) |
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神田明神。例祭。5月14日。(蔭祭) 東京都千代田区外神田2-16-2。
創建。天平2年(730)です。元和2年(1616)には江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転し
江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれた。
大黒様恵比寿様そして関東の英雄として知られる平将門公が三柱の神です。
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随神門。関東大震災で焼失して 昭和50年に再建。 |
総朱漆塗の社殿。国の登録文化財 昭和初期で伊東忠太の設計。 |
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神田明神(旧神田市場)の千貫神輿 |
半纏の背中の印紋が粋ですね〜 |
大神輿の神田大明神神輿 |
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神田明神の千貫神輿と粋でいなせな神田っ子、そして大神輿の神田大明神神輿。
この神田大明神神輿は神田祭の陰祭りに年番の氏子町内を渡御するのです。
神田祭は天下一の祭礼としての意味をこめ天下祭(御用祭)とも呼ばれる。
神田大明神神輿: 平成12年に日本橋・水天宮より奉献された神輿です。
宮惣・種谷吉雄の建造で台座は四尺一寸の大神輿です。
平成16年度より神田祭の陰祭りの年に年番の氏子町内を渡御する恒例となっています。 |
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先頭の高張り提灯と獅子頭山車 |
獅子頭山車と後に七色旗と神田囃子 |
神輿受渡しを待つ高張り提灯連 |
大神輿の渡御の宮入が迫る中、まだ来ぬかと受渡しを待つ氏子総代と高張り提灯連。
担ぎ手達は出番が少なくなる!と殺気立ってくるのです。
地区の氏子の名誉に懸けてもご神体を着輿祭には遅れさせるわけにはいかないのです。 |
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下町を渡御する大神輿 |
房が途切れなく揺れ続く |
大神輿の息の合った担ぎ手たち |
神田の下町の路地裏まで担ぎ込む大神輿。この路地を巡行する右や左にそして時には後退する
大神輿の神輿責任者の研ぎ澄まされた指揮には感服です。 |
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神田大神輿。見事な魂振りをご覧下さい。
担ぎ手達の息の合った気合と体力が神輿の魂振りを左右するのです。
神輿とは何よりも担ぎ手の気概と体力が勝負です。
「わっすぇわっせ!」「ほいっさほいさ!」
大鳥の鳳凰の極彩色と尾の宝石と四隅の小鳥そして瓔珞が素晴らしい神輿です。 |
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蕨手の小鳥も鳳凰と同じ彩色 |
鳳凰全身に見事な彩色が施されている |
鳳凰の総ての尾にはめ込まれた宝石 |
神社で神輿を用いるのは神幸祭のときです。
御神体が本社から目的地となる所、由緒ある場所に渡御すること。
氏子たちが神輿をかついで各地区を練り歩き神輿を上下左右に振り動かしたりして、
わざと荒々しく扱うがこれは神輿に坐す神さまの「魂振り」で、
これにより神さまの霊威を高め、豊作や豊漁、疫病の退散がなると信仰されているのです。 |
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神田明神 神田祭 「将門神輿 宮入」 平成19年5月 (隔年) |
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神田祭の神輿宮入参拝(07.05.13.)のため御茶ノ水聖橋から本郷通りへ入り込んできた
江戸神輿では珍しい見事な入母屋造の将門大神輿。 |
入母屋造りの雅かな将門大神輿(神輿の正面) |
氏子町会が大手町・丸の内のビジネス街で外人も担ぎ手 |
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本郷通りに入り込んだ将門神輿(神輿の側面) |
本郷通り坂上から神田明神鳥居を目指しての巡行再開です |
純白の法被に刻印された印は「神田祭」さすが世界のビジネス街が氏子町会です。
世界のマスコミメディアを意識した様に純白無垢の法被で、あたかも東京シティーのシンボルのように。
最近お江戸の祭りの神田祭・三社祭で外国取材班をよく見かけます。 |
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神田明神 「将門塚祭り」 陰祭り 平成18年5月 (隔年) |
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将門首塚。 東京都千代田区大手町1-2-1。
例祭。 5月14日。
平将門は承平天慶の乱で討ち取られ、首は京都の七条河原にさらされたが
俺の胴はどこだと関東へ胴体を求め飛んでいき江戸に落ちた。
その場所が今の将門の首塚だと言われている。
居住者ゼロの大手町オフイス街。ゆったりと神輿見物ができる穴場です。 |
平将門。 延喜3年(903年)から天慶3年(940年)
平安時代中期の武将である。桓武天皇の子孫で下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争に端を発し、
関東諸国の国衙を襲い、国司の金印を奪った事から朝廷から敵と見なされた。
新皇を自称し、自立を目指したが討伐、粛清された(承平天慶の乱)。
死後は神田明神や他の神社等に祀られる。武士の発生を示すとの評価がある。
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先頭を神田囃子と高張り提灯 |
鳳凰や葱花をつけない珍しい神輿 |
威勢がよい房の揺れの将門大神輿 |
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江戸時代よりご祭神・平将門公がお乗りになった神輿が関東大震災で焼失して以来、
80年ぶりに復活なのです。
一般的な神輿の形式とは異なる「入母屋造」台輪3尺5寸という巨大なこの神輿は
大手町・将門塚の隣接する三井物産鰍謔闥n域社会との交流・史跡旧跡の保存・
伝統文化の継承による町おこし・
社会貢献活動の一環として史蹟将門塚保存会に平成17年寄贈された神輿です。 |
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