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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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神田明神 神田祭 「神幸祭」 平成19年5月 (隔年) |
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お江戸総鎮守の神田明神の神田祭が初夏を告げるように二年に一度の本祭が壮大に執り行われます。
「神幸祭」 平成19年5月12日。江戸の祭礼行列が総勢数千人で一日掛けて都心を練り歩く。
「神輿宮入」 5月13日。氏子108町会の神輿200基の内約50基が一日掛けて宮入するのです。
東京都千代田区外神田2-16-2。
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神幸祭のために神殿前に鎮座した左から三之宮、一之宮の弐基の鳳輦と二之宮の神輿。
いよいよ神幸祭の発輦祭が鳶頭連による木遣りの声が高らかに響き渡るなか行われる。
天下一の祭礼としての意味をこめ、天下祭(御用祭)
とも呼びならわされ江戸市中を挙げての 祭礼として盛大に執り行われたが、
現在もその姿はかつての江戸の天下祭を彷彿とさせる賑やかさです。 |
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木遣番印半纏の木遣の面々 |
紋付き袴に背負った祭礼笠の役員 |
印半纏も凛々しい祭り役員 |
祭礼関係役員達の出で立ち姿の粋な事。これぞ神田祭の真髄なのでしょう。 |
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江戸の鳶木遣: 祭の山車や神輿の先触れでお馴染みの木遣ですが、有名な
「火事と喧嘩は江戸の華」その続きは「また其の華は町火消」が本来の文言です。
そして「与力・相撲・火消の頭」が江戸の三男です。
享保3年大岡忠相がいろは48組・本所深川16組を作ったその中心をとび職人が担ったのです。
江戸時代の消火活動は家屋の取り壊しが主な火消しで火事場で頼りになったのが鳶です。
「飲む・打つ・買う」の三道楽が当たり前の世界ですが「義理と人情と痩せ我慢」を身上ともする。 |
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先導する白馬に跨る神職と神幸祭旗 |
道案内の猿田彦神 |
諌鼓鶏山車 |
獅子頭山車 |
神幸祭の祭礼行列が本郷通りに整いました。
神社を午前8時出発して30KMにおよぶ氏子108町内への祭礼行列の巡行で神社帰還は午後6時です。 |
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一之宮鳳輦:大己貴命(だいこく様) 祭礼行列に続き本郷通りと昌平橋を巡行です。 |
二之宮神輿:少彦名命(えびす様)一之宮に続き本郷通りと昌平橋を巡行です。
神幸祭の翌年の陰祭りには、二之宮に替わり神田大明神大神輿が担がれて単基で氏子町内を渡御します。 |
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三之宮鳳輦:平将門神(まさかど様) 入母屋造り屋根が独特で、
大手町丸の内町会の将門塚保存会大神輿もよく似た造りです(陰祭りに渡御します)。
二之宮に続き本郷通りと昌平橋を巡行です。 |
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神幸旗を立てて祭礼行列を先導する |
176年ぶり復活の鬼の首・大江山凱陣 |
加茂能人形山車は高すぎて巡行できず |
神幸祭の巡行時は3基の鳳輦・神輿での総勢300名の祭礼行列も途中で氏子の神輿や
附け祭りの176年ぶり復元の鬼の首の山車の大江山凱陣(高さ4M)などの曳き物などが加わり数万の大行列となります。 |
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大江山凱陣: 平安時代の源頼光が丹波の大江山で酒呑童子を退治し首を引いて都へ凱旋した伝説を176年ぶりに再現された。
加茂能人形山車: 江戸時代の天下祭りで常時百数台の鉾山車で十番目に曳き出され
最も優美精巧なもので再三上覧のおり将軍家より褒章を得、浮世絵版画でも唯一の一枚絵山車であった。
現在は祭礼行列順路に鉄道ガードや歩道橋の障害物が多くて通れず境内でのお披露目だけです。 |
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