歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 江戸の伝統と粋の神田祭で最も人気があり賑やかだった祭礼行列と附け祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    神田 神幸祭と附け祭  平成21年5月(隔年)

千社札納札所内の喜多川歌麿画の絵図。09.05.09.   「神幸祭」 平成21年5月9日(土曜)。
江戸の祭礼行列が総勢数千人で一日掛けて都心を練り歩く。
歴史と伝統を現代に継承する祭礼絵巻です。

「町会神輿宮入」 5月10日(日曜)。
氏子108町会の神輿200基の内約50基が一日掛けて宮入。
連綿と伝わる江戸下町の祭礼文化です。

東京都千代田区外神田2-16-2。
複製の喜多川歌麿の神田明神御祭礼図

隨神門。 昭和50年建設。09.05.09. 鳳凰殿大屋根の瑞鳥。09.05.09. 鳳凰殿大屋根の瑞鳥。09.05.09.
朱色に染まる隨神門 鳳凰殿大屋根の瑞鳥 鳳凰殿極彩色の瑞鳥の鳳凰

神田明神 正式名称・神田神社。
東京神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様です。 「明神さま」の名で親しまれている。
社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺) に創建された。
元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、 幕府により社殿が造営され、以後江戸時代を通じて「江戸総鎮守」となる。
 

権現造の御社殿。09.05.09.   「鳳凰殿」 社務所と資料館の鉄骨造三階建て、朱塗、入母屋、正面唐破風、銅板一文字葺。延床面積は107.84坪。
「隨神門」 昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。関東大震災で焼失して以来約50年ぶりの再建です。
「御社殿」 (国登録有形文化財)昭和9年に竣功。権現造。
当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。

本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式をもつ。
観衆詰め掛ける権現造の御社殿

  神田明神神幸祭

五色旗が鳳輦・神輿を先導。09.05.09.   神輿データ:
一之宮: 延軒屋根・平屋台造り 瓔珞と錺は京風
  祭神:大己貴命 台座:**建造年度:昭和27年 製作者:**
二之宮: 延軒屋根・平屋台造り 祭神: 少彦名命 台座:三尺
  建造年度:昭和48年 製作者:下谷・種田豊次郎
三之宮: 切妻屋根 鳥居を付けず 祭神: 平将門命 台座:**
  建造年度: 昭和59年 製作者:**

一の宮鳳輦。09.05.09。 二の宮神輿。09.05.09. 三の宮鳳輦。09.05.09.
一の宮鳳輦 大己貴命(大黒) 二の宮神輿 少彦名命(恵比寿) 三の宮鳳輦 平将門命

神幸祭
午前五時:宮鍵講と御防講の奉仕により「御鍵渡しの儀」が鳳輦・神輿奉安庫前で行われ、 社殿前で飾り付けが行われる。
午前八時:発輦祭(はつれんさい)が厳かに執り行われる。そして、 鳶頭連の木遣り唄が高らかに響き、神幸祭行列が神社を出発する。 行列は神田、日本橋、秋葉原、大手・丸の内の約30キロを一日かけて巡行する。
 

大伝馬町の諌鼓山車:
大黒様と恵比寿様が乗る一番山車として有名。
獅子頭山車:
魔除けの霊獣として行列の守護する役割を担う。
諌鼓山車と獅子頭山車は鳳輦神輿に負けぬ神幸祭の主役なのです。
諌鼓山車。09.05.09. 獅子頭山車。09.05.09.
大黒・恵比寿の諌鼓山車 獅子頭山車

諌鼓山車。09.05.09. 獅子頭山車。09.05.09.   夕刻、鳳輦・神輿、諌鼓(かんこ)山車、獅子頭山車が境内に帰還すると 着輦祭神事が執り行われ大黒様、恵比寿様、 将門様が氏子の町を巡る一日の神幸祭は終わるのです。

諫鼓鶏(かんこどり)
中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹が、その施政について諌言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、 朝廷の門外に太鼓を設けました。これを諌鼓(かんこ)と呼びます。 しかし、善政を行ったので太鼓は鳴ることもなく永年の間に苔むし、鶏の格好の遊び場となっていたといいます。 つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということで、 まさに「天下泰平の象徴」であると言われています。
 


  神田明神神幸祭附け祭

歌川貞重画の神田祭図。09.05.09.   「神田大明神御祭図」 天保〜嘉永頃の(1830〜1853)歌川貞重画。
    国立国会図書館が所蔵保管。
大榊と神職が先導する行列は、一番大傳馬町、二番南傳馬町・・・三十六番までが描かれている。
江戸東京博物館には歌川国輝画、嘉永1年頃〜安政2年の同絵図もある。
千社札納札所内に掲げられた複製の神田大明神御祭図

江戸幕府の庇護を受け、江戸城内に祭礼行列が練りこみ、将軍・ 御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか 「天下祭」と称されるようになった。
江戸時代、神田祭で最も人気があり賑やかだった行列が附け祭。曳き物あり、仮装行列あり、踊り屋台ありと、 延々と続く「物語」の行列が繰り広げられました。
現代の神田祭でも、ここ最近、様々な附け祭を出し 「相馬野馬追騎馬武者」や 「大江山凱陣」曳き物 「大鯰と要石」曳き物 「大天狗」曳き物  「象 ぞう」曳き物など、附け祭りが復活しています。
 

相馬野馬追い騎馬武者。09.05.09. 出羽三山の山伏。09.05.09. 大江山凱陣。09.05.09.
相馬野馬追い騎馬武者 出羽三山より参加の山伏 大江山凱陣

大鯰と要石。09.05.09. 象。09.05.09. 大天狗。09.05.09.
大鯰と要石 象 (東京芸大) 大天狗 (東京芸大)

「相馬野馬追い騎馬武者」
神田明神の祭神の平将門がはじめた軍事訓練の野馬追いを、 子孫の相馬氏により今に伝えられている。特別参加の南相馬市の10騎馬武者は国指定重要無形民俗文化財。
「大江山凱陣」
平安時代の源頼光が丹波の大江山で酒呑童子を退治し首を引いて都へ凱旋した伝説を、 出羽三山より本物の山伏も参加して、178年ぶりに再現している。
「大鯰と要石」
江戸時代の寛政頃に評判となり、絵巻物にも描かれた地震の象徴の大鯰、 大鯰の頭にそれを押さえつけ地震を防ぐ要石を乗せている。
「大天狗」と「像」
大天狗は神聖な山々からおりたった天狗が自然の大切さを訴えるというのがテーマ。
像は、「象」と「人」とで、故に「像」。 ヒンドゥー教の神の一柱・ガネーシャもひとつのモデル。
「雑技団や異国人風の仮装行列」
獅子がお祓いして歩く門付けの神事芸能から曲芸へと変化した大神楽なども附くのです。
 


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