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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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浅草神社 「三社祭り」 平成18年5月 (毎年) |
浅草寺の草創に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)
を主祭神とし、東照宮(徳川家康)・大国主命を合祀する。
この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになった。
社伝によれば、推古天皇36年(628年)、檜前浜成・武成の兄弟が宮戸川(現在の隅田川)
で漁をしていたところ、網に人形の像がかかった。
兄弟がこの地域で物知りだった土師真中知に相談した所、これは観音像であると教えられ、
二人は毎日観音像に祈念するようになった。
その後、土師真中知は剃髪して僧となり、自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりである。
土師真中知の歿後、真中知・浜成・武成を神として祀ったのが浅草神社の起源であるとしている。
実際には、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、
三人の子孫が祖先を神として祀ったものであると考えられている。
ご神体として一般の人間(僧侶と漁師)を祀っている為、神社の格としては江戸一低いといわれている。
明治の神仏分離により浅草寺とは別法人になり、明治元年に三社明神社に改称、
明治5年に郷社に列し、明治6年に現在の浅草神社に改称した。 |
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三社祭り。下町の熱気で江戸随一の荒祭り。
分離前の「観音祭」は「浅草寺」の法要としての「示現会(じげんえ)」(3月18日)と
「浅草神社」の祭としての「三社祭」とに分かれ「三社祭」は(5月17日〜18日・現在は直近の土曜日曜)
にとり行われるようになりました。 |
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浅草神社。ご祭神・三社権現。浅草の総鎮守とされ明治政府の神仏離令により三社権現社が
「浅草寺」と分けられるまでは一体でした。
社殿は慶安2年(1649)に三代将軍家光が観音堂(焼失)
と同時に寄進したもので権現造りの重要文化財になっています。
神輿を通すために引き上げた雷門の大提灯。 |
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浅草寺。ご本尊・聖観世音菩薩。
推古天皇の36年(628)漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で網にかかった
像を当時郷土の文化人であった土師真中知に告げこれぞ聖観世音菩薩の尊像とした。
三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社(現・浅草神社)の始まりであるとされている。
出土した数々の遺物から
金龍山浅草寺は少なくとも平安期には大寺の伽藍をここ武蔵野の一漁村に構えていた。
台東区浅草2-3-1. |
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三社祭り本社神輿 「一之宮」
土師真中知を祭神として一之宮のみ大鳥を掲げる |
本社神輿「一之宮」の先導隊。先祓いの猿田彦は一本歯下駄です。続いて前触れ太鼓は昭和28年製作の太鼓。
その後を威勢のいい祭りばやしの浅草囃子が続き本社神輿を先導。 |
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来ました本社神輿「一之宮」。
初夏の日差しの中を担ぎ手達は「ソイヤ!ソイヤ」と途切れることない魂振りで氏子町内を渡御。
神輿の重さに耐えかねて右や左そして時には後退する担ぎ手を前後左右の介添え役の男達は皆大男です。
そうです介添えがいなければ神輿は前進できない。
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掛け声:正式には「ソイヤソヤ、ソヤソヤ、ソイヤソヤ」合いの手は「ソイヤ」「セイヤ」です。 |
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世話役が拍子木で神輿を止める |
〆は氏子全員での三三七拍子 |
受け継ぎ氏子達は氏子町内に |
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本社神輿「二之宮」。渡御受渡しです。氏子寿三東は拍子木で神輿の停止を合図して
氏子総代が労いの三三七拍子の音頭。
引き受け氏子駒形の担ぎ手達が堰を切って担ぎ棒に、
間髪いれず威勢よく担ぎ出し氏子町内に巡行です。 |
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氏子町内の路地角に差し掛かる |
介添え役の声「右へふれ振れ!もっと!」 |
見事路地角を回りきる |
本社神輿「三之宮」。巡行の路地中を回り込む。介添え役の声「電柱だ・左左」
「回れ回れ・右右」「そりゃ・右右」見物客が神輿ブレに押されて4,5人倒れこむ。
間髪いれず介添え役数人が「大丈夫か」と強引に引き起こす。
それでも担ぎ手は「ソイヤ!ソイヤ」とブレながらも前進する。熱気の修羅場なのです。 |
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三社祭りの町内神輿は大小約100基。
5月20日の浅草寺本堂(観音堂)裏に勢揃いは残念ながら写真ゲットできず。
本社神輿に引けを取らぬ大神輿は 「西部各町13基」「南部各町16基」「東部各町12基」です。
雷門通りで担ぎ振りを競い合うまさに下町の熱気に包まれた威勢のいい神輿たちです。 |
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町内神輿「花川戸一」この時間帯は担ぎ手が黄色い声の女性群おんな神輿です。 |
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町内神輿「仲見世」威勢のいい見事な魂振れです。 |
町内神輿「雷門中部」本社神輿に負けぬ見事な大神輿です。 |
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町内神輿「浅草二」何処にも負けぬぞとソイヤ!ソイヤと魂触れ。 |
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町内神輿「雷門中部」の方向転換。担ぎ棒に跨った刺青のお兄さん達。
息の合った見事な旗振りで気合と熱気の方向転換です。
前記の「雷門中部」の担ぎ手氏子も地域によっては氏子気質は様変わりするのです。
駒札は前記の「雷中」と同じですが、屋根紋と飾紐と房が違います。神輿が違います。
町内神輿になぜ同じ駒札でしょうか。 |
三社祭り神輿乗り禁止令:最終日の宮神輿3基の宮出しが祭りのクライマックス。
参道に鎮座する宮神輿を地元氏子の担ぎ手達が担っていたが昭和30〜40年頃から担ぎ手不足から
勇壮な神輿の担ぎ手は全国に広がり今や1万人、宮神輿を担ぎ手達が奪い合う。
全国区は「年に一度の男気」氏子は「浅草以外の担ぎ手に神輿取られを防ぐ神輿乗り」
浅草神社と神社奉賛会は「お神霊汚すそして危険」と神輿乗り禁止令。
地元氏子は「細かな規制は”粋”な祭りの魅力をそぐ」ウムごもっとも! |
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