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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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六郷神社 鎮座950年祭 壱之神輿 平成19年6月 (毎年:壱之と弐之が交互) |
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鎮座950年祭は生憎の終日降り続く雨を吹き飛ばすようにセア〜セアの掛け声が響く |
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六郷神社 950年大祭
大神輿渡御 07.06.10.
祝 獅子舞大田区無形文化財認定と全面に明記された鎮座950年式年祭(例大祭)
の華やかなポスターには神輿愛好家にとっては何故かちょっと複雑な思いです。
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六郷神社。大田区東六郷3−10−18。
天喜五年(1057)源頼義、義家父子が奥州におもむく際、
この地の老杉に源氏の白旗を掲げて戦勝を祈り凱旋後、石清水八幡を勧請したのがその創建と伝えられている。
慶長五年(1600)には徳川家康が多摩川の六郷橋の竣工を祈願し
神社の御輿が渡初式を挙げたと史書にあり御朱印十八石となる。
以来八幡宮の巴紋と併せて葵紋が用いられる。
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六郷神社の大神輿の壱之神輿は昭和7年(1932)に作られ平成19年に75年ぶりに改修された。
その時、使っている材も方法も神輿屋が作ったものとは違うものと判明。
誰かが地元の大工や板金職人をまとめて作ったものではないかと推察されている。
隔年の表祭には江戸時代に作られた弐之神輿と壱之神輿が交互に渡御をする。 |
今年の神幸祭は950年記念事業で六郷神社壱之神輿渡御・獅子舞巡行と
六郷14町会約40基の神輿が次々と神社に担ぎ込まれ御魂入れをする。
神幸祭の行列は馬や人力車、社名旗、神輿など合計で1000人以上で
約300mにわたる行列が六郷全域を巡行するのです。 |
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行列の最後尾は神輿を先導する祭礼扇の一団で外国人も参加しています。
そして壱之神輿が上がりました。担ぎ掛け声も「セヤ!セヤ!」と勇ましく、
神輿介添い役の注連縄捻じり鉢巻が男の祭を象徴するように。 |
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大雨の中駐輿式終え渡御再開です |
セヤ!セヤ!と掛け声と共に来ました |
魂振りとセヤ!セヤ!が共鳴している |
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この存在感・重量感ある大神輿。
壱之神輿の金色で分厚く反り返った屋根、細かな彫り細工は一切なく、堂には榊で囲み、
分厚い台座に葵の紋。まさしく千貫神輿です。 |
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路地中へ入り込んできた壱之神輿 |
緩やかな路地でも先頭の舵取りが難しい |
軒下すれすれに大神輿がすり抜ける |
車道から氏子町内の路地中に入り込んできた大神輿。
異様に長い担ぎ棒ゆえに舵取り役と介添い役の息の合った連携で渡御を仕切っている。
氏子六郷地区は高層マンション乱立で担ぎ手の多くは羽田地区からの応援団です。 |
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渡御の難関、京急東六郷の踏み切り渡りです。
京急職員、交通警察官、氏子役員、氏子青年会等が監視し誘導する中でも
大神輿の担ぎ棒が長いがゆえ遮断機が下る前に渡りきるのが大変なのです。
ひき続き交通量がもっとも多い第一京浜国道が待ち構えているのです。 |
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