歴史の 浪漫街道  復刻版邦画看板。あの頃の少年時代はラジオ放送とメンコとチャンバラ。思春期は時代劇。
無名の民達の歴史的遺産 



復刻版日本映画看板




羅生門。青梅市住江町。06.11.21. 「羅生門」大映。昭和25年(1950)黒澤明監督。主演三船敏郎。脚本は黒澤と橋本忍、撮影は宮川一夫。 平安時代のとある薮の中。盗賊、多襄丸が昼寝をしていると 侍夫婦が通りかかった。妻に目を付けた多襄丸は夫をだまして縛り上げ、 夫の目の前で妻を強姦する。しばらく後、現場には夫の死体が残され、妻と盗賊の姿が・・ 人間の本性を暴くリアリズム映画。
         関連事項の掲載ページ: 冒頭に映し出された重厚な山門

羅生門(1950)芥川龍之介の小説『薮の中』を黒澤明が映画化。 第12回ヴェネチア映画祭のグランプリ、 第24回アカデミー賞の名誉賞(外国語映画賞)を受賞した。

「丹下左膳」松竹。昭和27年(1952)監督松田定次。主演坂東妻三郎。 姓は丹下、名は左膳。これぞ痛快娯楽時代劇でした。 時は享保八代将軍吉宗のご治世。江戸の剣客たちが恐れる一人の浪人がいた。 独眼隻腕の丹下左膳。愛刀濡れ蒸が宙を舞うとき悪人は血煙あげて倒れていった 。 埋蔵金百万両の所在を記した「ごけ猿の壷」 の秘密をめぐって善人悪人が入り乱れて争奮戦が繰り広げられる。 丹下左膳。青梅市住江町。06.11.21.

時代劇。これほど根強い映画は無いでしょう。明快な勧善懲悪劇だからでしょうか。 時代劇スターも「丹下左膳」には総主演でお互い競い合っていた。 大河内伝次郎('33〜'53) 坂東妻三郎('52) 大友柳太郎('58〜'62) 丹波鉄郎('63)  中村銀之助('66)の作品がある。

鞍馬天狗第30作・一騎打ち。青梅市06.01.17. 「鞍馬天狗 一騎討ち」昭和27年(1952) 30作目。東映京都 萩原遼監督。嵐寛寿郎主演。 大佛次郎原作の時代小説。’27〜56まで鞍馬天狗シリーズ40作品ある。アラカンこと嵐寛寿郎のあたり役。 勧善懲悪、弱きを助け強気を挫く宗十郎頭巾に紋付の着流しのトレードマークが子供たちのチャンバラ遊びで大いにはやった。 颯爽たる立ち回りが記憶にやきついて鞍馬天狗は日本人にとってもっとも身近なヒーローであった。

宗十郎頭巾。 江戸時代に流行した一種の錏(しころ)頭巾。 黒縮緬の袷製で四方の筒を長くし後の錏を30CMほどに仕立て額・頬・顎を包み、 左右の耳を被う頭巾。主として京阪の武士が用いた。 (歌舞伎俳優の初代沢村宗十郎が初めて用いたからいう)  

  残像が甦る「七人の侍」   残像が甦る私の名作 「七人の侍」 (板観未制作)
wau15a[1].gif(14292 byte)   「七人の侍」 '54.黒沢明監督 三船敏郎主演。 麦の刈入れが終る頃野武士がやって来る。村人は恐怖におののき闘っても勝目はなし負ければ村中皆殺。 村を守るため智勇と歴戦の古豪勘兵衛(志村喬 )の協力で五郎兵衛、久蔵、平八、七郎次、勝四郎を傭う。 菊千代(三船敏郎)は家族を野武士に皆殺しにされた百姓の孤児で野性の男。 野武士は全滅した。しかし百姓も数人倒れ七人の侍の中四人が死んだ。 勘兵衛は「勝ったのはあの百姓達だ。俺達ではない。百姓は土と共に生きる」と。 このセリフにジンと来た。


紅孔雀。青梅市住江町。06.11.21. 「新諸国物語 紅孔雀」東映。昭和29年(1954)監督萩原遼。主演東千代之介。 NHK連続放送劇の映画化。南紀州の浜に住む代官那智の嘉門は、 ローマの聖者から授けられた紅孔雀の宝庫の鍵を持っていたが、それを知る元海賊の網の長老は、 されこうべ党の妖術師一角と共に秘かにそれを狙っていた。 主水、風小僧、小四郎等の必死の抵抗が続けられる。遂に我に返った浮寝丸の吹く笛に・・

昭和27年(1952)NHK連続時代劇として原作北村寿夫の「新諸国物語」を放送開始。 「白馬の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」と続き昭和31年(1956)12月まで放送。
♪ひゃら〜り〜ひゃらり〜こ〜♪ひゃり〜 こひゃられ〜ろ ♪ど〜こで吹くのか〜不思議な笛が〜♪と (音楽は福田蘭童)ラジオからこの曲が流れて来ると毎夕刻ラジオにしがみ付き必死で聞いていた。


東映。昭和31年(1956)制作。ラジオドラマで人気を得ての映画化。 江戸川乱歩の「妖怪博士」を映像化した「少年探偵団」シリーズ第一作で以降 1959年までの僅かな期間にシリーズ作品が9作品もある。 二十面相と明智小五郎率いる少年探偵団との攻防を描いている。   少年探偵団。青梅市住江町。07.04.26.

江戸川乱歩。本名:平井太郎。明治27年(1894)昭和40年(1965) 大正〜昭和期の推理作家で評論家である。 ペンネームはアメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったものである。 明智小五郎や少年探偵のシリーズ物を多数発表。 特に小学生向け少年探偵団シリーズ物は一世を風靡した。  

映画デビュー当時の珍しい石原兄弟の主演作品。

「日蝕の夏」東宝。昭和31年(1956)監督堀川弘道。主演石原慎太郎。原作・脚本・主演の三役を現東京都知事の石原慎太郎がこなして 慎太郎が弟の裕次郎役を演じている。
「紅の翼」日活。昭和33年(1958)監督中平康。主演は石原裕次郎。私のイメージと違いチト太り気味。
「日蝕の夏」青梅市05.09.30. 「紅の翼」青梅市05.09.30.


明日なき男。青梅市住江町。06.11.21. 「拳銃無頼帖 明日なき男」昭和35年(1960)日活。監督野口博志。主演赤木圭一郎。 赤木圭一郎の拳銃無頼帖シリーズの第四作。城戸礼の原作を松浦健郎と朝島靖之助が脚色し 「幌馬車は行く」の野口博志が監督した。撮影は藤岡粂信。

赤木圭一郎。日活アクションの全盛期にデビューしたトニーこと赤木圭一郎は、 裕次郎、小林旭に次ぐ第三のスターとして期待されながら、21才で事故死した。 その疾風のような人生から日本のジェームス・ディーンとも呼ばれた赤木だが、 わずか2年半の俳優生活の間に15本の主演を含む30本近い出演作を残している。


  残像が甦る「用心棒」   残像が甦る私の名作 「用心棒」 
「用心棒」東宝。昭和36年(1961)黒澤明監督。三船敏郎主演。 江戸時代の宿場町を舞台にしたやくざの2大勢力が縄張り争いに明け暮れる小さな宿場町。 そこに流れてきた凄腕の浪人の桑畑三十郎(三船敏郎)が 用心棒として雇われる振りをして両派を同士打ちにさせようとする。痛快娯楽時代劇の決定版。 日本映画の巨匠黒澤明のダイナミックな画面構成に私は陶酔した。 「用心棒」青梅市05.09.30.

黒澤明。  ロシア文学の影響を受けシェイクスピアの「リア王」は「乱」(1985)「マクベス」は「蜘蛛巣城 」(1957) ドストエフスキーの「白痴」は「白痴 」の作品と芥川龍之介の「藪の中」は「羅生門」(1950)などの文芸作品の翻案もの、「七人の侍」(1954) 「隠し砦の三悪人」などの純粋な娯楽時代劇、「生きる」「天国と地獄」(1963)などのヒューマン現代劇などの 作品がある。他に荒野の七人(1960)赤ひげ(1965) そして影武者(1980) などがある。  


大菩薩峠。青梅市住江町。06.11.21. 「大菩薩峠 完結篇」大映。昭和36年(1961)監督森一生。主演市川雷蔵。 「大菩薩峠(1960)」の第三部・完結編で、中里介山の原作を、一・二部に続き衣笠貞之助が脚色し、 三隅研次に代って「おけさ唄えば」の森一生が監督した。撮影も「おけさ唄えば」の本多省三。 竜神の滝の断崖から落ちた盲目の竜之助はお豊の助けで伊勢大湊の与兵衛宅にかくまわれていた。 お豊は古市の廓に身を沈めたが病に犯され自害した。 竜之助あての遺言状と金は流しのお玉に手渡された。挙動不審を咎めら...

小説大菩薩峠。中里介山作の長編時代小説。 1913年〜1944年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに連載された41巻にのぼる未完の一大巨編。 幕末の虚無にとりつかれた剣客浪士机竜之助を主人公とし、 甲州大菩薩峠に始まる彼の旅の遍歴と周囲の人々のさまざまな生き様を描く。 連載は約30年にわたり、話は幕末から明治に入らずに架空の世界へと迷い込み、作者の死とともに未完に終わった。 作者は「大乗小説」と呼び、仏教思想に基づいて人間の業を描こうとした。 世界最長といわれる時代小説で、大衆小説の先駆けとされる不朽の傑作である。



「江戸っ子肌」東映。 昭和36年(1961)監督 マキノ雅弘。大川橋蔵主演。 加賀鳶の小頭吉五郎は度胸と美貌で華やかに売り出していた。 喧嘩もめ事仲裁で呑み代を稼ぐ貧乏御家人中原扇十郎の妹・芸者小いなは吉五郎に惚れていた。 吉五郎はある夜、権力を笠にきる旗本向井佐太夫にさらわれた娘を助けたものの・・ 半鐘の音に火事場に飛んだ吉五郎に「火消し仁義を知っている者ア、町も屋敷もねえはずだ。 吉五郎を殺すな」と加賀鳶の小頭と犬猿の間柄の「は組」の次郎吉の一声では組の鳶がどっと続き・ 内容は覚えていないが江戸っ子の心意気に感動した記憶がある。   江戸っ子肌。青梅市住江町。06.11.21.

加賀鳶。 江戸時代加賀藩が江戸本郷の藩邸に抱えておいた大名火消し人夫。 大名には親藩、譜代大名、外様大名が約270家あるも1万〜3万石の小大名が大部分で加賀前田家は120万石と最高であり 特権意識を持ち一般町火消しとの対立が絶えなかった。  

男度胸のあやめ笠。青梅市住江町。06.11.21.   「男度胸のあやめ笠」昭和37年(1962) 東映。監督佐々木康。主演市川右太衛門 。 潮来の土をふんだ千鳥の安太郎は潮来の土地が笹川と飯岡の勢力争いで平和をかき乱され 笹川一家の用心棒平手造酒を知った。 決闘に造酒を倒した安太郎は、お咲を新吉に渡し、潮来を風のように去っていった。
今では死語となった股旅物(博徒や遊び人が旅をして歩く映画や演劇物)

ちゃんばら映画。 刀剣で切りあうちゃんちゃんばらばらの映画。 (私の傑作作品は)
「七人の侍」'54.黒沢明監督 三船敏郎。「用心棒」'61.黒沢明監督 三船敏郎主演。
「眠り狂四郎」'66.大映京都。市川雷蔵主演。 「斬る」'68.岡本喜八監督 仲代達矢。
股旅物。 博徒・遊び人の映画。「木枯し紋次郎」昭和47年('72)東映京都。笹沢左保の小説で TVで一世を風靡した楊枝をくわえた中村敦夫の当り役を映画では菅原文太。
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宮本武蔵第4作・一乗寺の決斗。青梅市06.01.17.   「宮本武蔵」昭和39年(1964)内田吐夢監督。中村錦之助主演。 吉川英治原作による不朽の名作の超大作時代劇の5部作の第4弾。 洛北蓮台寺野で名門京八流の宗家吉岡の御曹子清十郎の左肩を一撃のもとに打ち砕いた武蔵は、 清十郎の弟伝七郎から仇敵とされ吉岡道場門弟一同から居所を探られる破目となる。 武蔵を探しているのは彼等ばかりではない。佐々木小次郎とお通。 武蔵は白鉢巻の間の手裏剣に大小の二刀流で下り松で73対1の死闘をあぜ道田圃の中で。 第5作は巌流島の決闘。
           関連事項の掲載ページ: 自遊人のプロフィル・一乗寺

  残像が甦る「オリンピック」   残像が甦る私の名作 「東京オリンピック」 (板観未制作)
東京オリンピック。昭和40年(1965)総監督市川崑。 記録映画ですが単なる競技の記録ではなく、人間性に焦点をあてた感動作です。 女子バレー東洋の魔女たちが「ソ連のオーバーネット」で勝利するあまりにも有名なシーン。 無差別級柔道でオランダのヘ−シングに破れ去る神永の姿。 哲人のようなヴィキラ・アベベの勇姿と同時に、苦し気に身体を揺らしながら走り続ける、 10m後にランナーが!競技場内で彼は抜かれた!悲劇のマラソンランナー円谷幸吉の姿…。 当時日本最高レベルのキャメラマンたちが動員され 超望遠レンズを多用してどのシーンを取っても、キャメラが見事である。重厚で風格さえある。 2時間50分。市川崑監督の代表作、日本が世界に誇れる映画です。   toukyou-orin.jpg(4188 byte)


男はつらいよ第3作「フーテンの寅」 昭和45年(1970)松竹。監督森崎東。主演渥美清。 「男はつらいよ」 シリーズは通常原作山田洋二。監督山田洋二。主演渥美清。であるが 第3作監督森崎東と第4作監督小林俊一はイレギュラーである。 車寅次郎(フーテンの寅さん)腹違いの妹さくら(倍賞千恵子が兄思いの妹) 叔父夫婦が住む生まれ故郷の東京都葛飾区柴又を中心に 旅先や柴又で出会うマドンナ達との人生模様を画く。 また日本各地のなつかしい風景が「男はつらいよ」の魅力の一つでもある。   第3作「フーテンの寅」青梅市住江町。06.11.21.


映画シリーズは松竹によって1969年から1995年までに全48作が、1997年に特別編1本が製作された。 山田洋次が全48作の原作・脚本を担当。第3、4作を除く46作を自ら監督した。第3作の監督は森崎東、 第4作は小林俊一である。全作品がヒットして松竹のドル箱シリーズとなり、 30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブック国際版にも認定された (作品数において。年数では「ゴジラ」シリーズの方が長い)。渥美清の死去により、 1995年に公開された第48作「寅次郎紅の花」をもって幕を閉じた。 「男はつらいよ」シリーズの撮影はほぼ全国で行われているが、 画面に映し出される日本各地のなつかしい風景が「男はつらいよ」の魅力の一つでもある。 残念ながら高知県と富山県とでは撮影が行われていない。  
関連事項の掲載ページ 懐かしき看板ポスター戦後編  


僕は天使じゃないよ。青梅市住江町。06.11.21.   「僕は天使じゃないよ」 紀伊国屋ホール。昭和49年(1974) マンガ雑誌「ガロ」にて連載された人気劇画原作・林静一 「赤色エレジー」を、 斬新な映像感覚と多彩な音楽で映画化した作品です。
漫画家を志している一郎は不思議な劇団に出会う。 一緒に暮らす恋人の幸子との生活にある予感を抱く一郎は、ハムレットの劇に自分を・・

大正や昭和のロマンティックな大衆文化を彷彿とさせる音楽世界を創りだしてきた あがた森魚が24歳にして撮りあげたインディーズ映画の草分け的傑作!夢と叙情の超特作! 独自の音楽性と、長髪にGパン、下駄履きというスタイルで一世を風靡した。 1964年創刊「月刊漫画ガロ」:看板連載は白土三平の「カムイ伝」  


黄金仮面。昭和53年(1978) 展覧会場から、はたまた侯爵邸から、まんまと目当ての品物を盗み出す怪人が出没した。 しかもその顔は無気味な金色の仮面に隠されていて、正体が掴めない。 事件解決に乗り出した名探偵明智小五郎も怪盗の狡知に振り回され、切歯扼腕するばかり。 だが、頭脳の闘いなら明智も負けてはいない。恐るべき敵の正体を明らかにし、凱歌を奏する日も近い。 手に汗握る推理と冒険の傑作長編。天地茂いい俳優です。   黄金仮面。青梅市住江町。07.04.26.

  残像が甦る「極東裁判」   残像が甦る私の名作 「東京裁判」 (板観未制作)
東京裁判。昭和58年(1983)小林正樹 監督。 戦後日本の進路を運命づけた極東国際軍事裁判。太平洋戦争敗戦後の昭和23年、 市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部にて開廷された裁判の模様を、 裁判より25年の後に公開されたアメリカ国防総省の長大なフィルムをもとに製作した記録映画。 生々しい当時の映像をもとに、戦争責任の所在、国家と個人の関係、 あるいは勝者が敗者を裁くことの限界といった様々な問題を浮き彫りにした渾身の力作で 考えさせる映画でした。   toukyou-saiban.jpg(5525 byte)


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