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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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大鳥神社例大祭 平成23年9月 (毎年) |
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目黒下一町会神輿が拝殿前での激しい神輿揉みでの参拝ご挨拶 |
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大鳥神社例大祭。 '11.09.11.(日曜)
六基の町会神輿が順次宮入参拝です。
古くは5月と9月の2回でしたが、江戸時代の宝永元年(1704)に社殿の造営を祝い、
竣工の9月を例大祭と定め、以来約300年間毎年9月9日(重陽の節句の日)に行われましたが、
現在は交通事情から、9月9日に近い土、日曜日に行われます。
東京都目黒区下目黒3-1-2 |
簡素POP |
秋の日差し背に霞む社殿 |
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社伝によると、「日本武尊の御霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る。」とあり、
大同元年(西暦806年)社殿が造営されました。
江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されている。
尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つにかぞえられた。
大鳥神社は、主祭神が日本武尊であり、相殿の神として、
国常立尊(国開きの神様)と弟橘媛命(日本武尊の妃)を祀る。 |
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神楽殿で荘厳華麗な舞を奉納 |
太々神楽の剣の舞佳境に入る |
荘厳な剣の舞も終盤です |
例大祭が行われ、その際に披露される太々神楽「剣の舞」は江戸末期から伝わる荘厳な舞で、
剣の舞は、十握剣を背負って八握剣を使って踊る舞です。
荘厳華麗な事で知られ、毎年1回、例大祭の折に披露されています。
11月の酉の市に奉納の熊手の舞は、日本武尊が焼き討ちの難にあったときに、
金属製の熊手を持って火を防いたことからちなむ。 |
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担ぎ手達の歓喜の雄叫び |
鳥居下で宮入への方向転換 |
体勢整えて鳥居石段上りへ |
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宮入参拝のため揉み拝殿前へ |
拝殿前での激しい神輿揉み |
神輿揉み止めぬ熱気の担ぎ手 |
巡行路は毎回目黒通りと権之助坂とを巡行する同じコースです。
江戸神輿同好会の目黒双龍会の会員が今回も大活躍です。 |
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参拝終え余裕の担ぎで目黒通りへ |
胸突き八丁の権之助坂の登りへ |
坂は最後だが皆お疲れのご様子 |
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大鳥神社「江戸消防第二区・第八区」として銅製の長提灯を一対奉納。
長提灯にはこの神社のシンボルである鳥のマークや、各組の纒が取り付けられている。
これは昭和43年(1968)11月の奉納である。
第八区 消防第二方面の目黒・碑文谷・世田谷・成城・玉川が分離独立して第八区として昭和28年(1953)に結成。
第二区 消防第二方面という区分にしたがい、新橋から高輪までが受持区域で明治に設定。 |
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参拝終えて目黒交差点の夏の終わりの日差しの中を目黒通りのお神酒所へと向かう |
目黒地名の由来;
「めくろ」とも読み、由来には、@.牧場の畦道(免畦・馬畦)。A.慈覚大師の目の黒い不動尊像説(目黒不動)。
B.馬の目や毛の色(馬黒)、馬の名前説。C.地味説などがあるが、どれとも決めがたい状況にあり、
正確なところは判らない。 |
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