歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 八幡八雲神社 (八王子まつり)の宮神輿渡御には浅葱色の揃いの半纏で担ぐ
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    八幡八雲神社 (八王子まつり) 平成21年8月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴尊 台座:二尺五寸(77) 建造年度:平成元年 製作者:浅草・宮本重義
  特記:(7月23日は神事のみ毎年同日) 四方の鳥居に金龍を絡ませ大唐破風軒屋根・勾欄造り
 

参道を揃いの半纏で宮出し。09.08.09.
宮神輿渡御には浅葱色の揃いの半纏で、担ぎ手は氏子青年会のみで執り行う

社殿は高層屋根作り。09.08.09. 二柱の印半纏。09.08.09.   宮神輿渡御 09.08.09.(日曜)
宮出し14時〜
  宮入御旅所から20:50。
例大祭は7月23日であるが、神事のみが執り行われる。 宮神輿の渡御は八王子まつりの時に行う。
東京都八王子市元横山町2-15-27
社殿は独特の高屋根作り 八幡の応神と八雲の素盞鳴

八幡八雲神社は八王子の東の鎮守とされ、祭神は応神天皇、素盞鳴尊。八幡神社と八雲神社を合祀した神社です。 「八幡神社」の創立は延長二年(924)、武蔵盛隆泰が国司の時、此の地へ石清水八幡宮を祀り、国土安全を祈願したのが起源です。
「八雲神社」は、俗に天王様と言う。延喜16年(916)大伴妙行が、深沢山(元八王子城山の古い名称)の頂上に奉斎し、天正年間、 北条氏照が此山に城を築いてから氏神として祀られた。大洪水のため神体は流失したが助けあげ、後に八幡の社内に合祀された。
 

目にも爽やか浅葱色半纏。09.08.09. 神社通りを甲州街道へ。09.08.09. 横山辻へと渡御。09.08.09.
揃いの半纏で宮出し 神社通りを渡御 甲州街道横山辻まで

横山辻へ祭礼行列が出る。09.08.09. 横山辻から御旅所の札の辻を渡御。09.08.09.
万灯花笠と山車に先導され祭列が甲州街道へ 甲州街道を占有するように渡御の八幡八雲

横山党(武蔵七党の一つ)国司である隆泰の長子、小野義孝は武蔵権之守に任ぜられて当地に来る。 父の遺志を継いで八幡宮を再建し、任期が満ちても永住する。そして先ず小野氏を横山氏と改め、 当地を開拓し、遂に一村落を形造り横山村と呼ばれた。
横山義孝は八幡宮を中心に祭政一致を行い、武蔵七党の一つである横山党の始祖となる。 八幡神社は実に八王子草創の神で、当時は横山之庄 (八王子を中心に方数里)の総鎮守であった。 境内にある横山神社は開祖横山義孝をまつった社で、その創立は建保年間(1213〜1218)である。
 

JR八王子駅前ユーロドの祭り提灯ゲート。09.08.09.   伝統の八王子まつり夜のクライマックスは山車祭り。
江戸時代から続く市街地の氏子を中心とした山車祭りは、八幡八雲神社の祭礼を「下の祭り」、 多賀神社の祭礼を「上の祭り」として執り行われ、明治中期にかけては、人形山車、 明治以降は彫刻を前面に施した彫刻山車の祭りとして関東一円に名声を博していた。 昭和20年の戦火で8台の山車を焼失、一部再建され現在は19台 (内11台の山車は八王子市の有形文化財に指定)が華麗な山車祭り絵巻を繰り広げている。
駅前ユーロードの祭り提灯

八王子祭りのPOP.09.08.09. 雄略天皇山車。09.08.09. 南新町の彫刻山車。09.08.09.
八王子まつりPOP 雄略天皇山車と素盞鳴尊山車ぶっつけ ぶっつけの南新町と素盞鳴尊山車

ぶっつけとは、山車がすれ違う時、山車を寄せ囃子を競い合うこと、相手の囃子につり込まれた方が負けです。 2台に限らず3台、4台がぶつかりあうこともあります。
上・下の両地区で辻合わせが行われます。それぞれの辻(十字路・交差点)に山車が集結し、お囃子の競演を行います。
 

下地区 (八幡八雲神社・東の鎮守)「八日辻・横山辻合せ」
八日辻(ビュータワー八王子西側交差点)に5台、 横山辻(横山町郵便局前交差点)に4台の山車が集結する。午後6時頃〜
「年番送り」 (八幡八雲神社)山車9台が札の辻(八日町交差点)に集結する。
今年のポスターのデザインにも採用された。午後7時45分〜午後8時15分頃

上地区(多賀神社・八王子西の鎮守)) 「八幡大辻合わせ」
昨年、平岡町会山車が建立し、今年は大横町山車も加わり、過去最高の10台の山車が八幡大辻 (本郷横町交差点)に集結する。午後7時50分頃〜
 


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