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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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第六天榊神社 創建1900年祭 平成22年5月 (隔年) |
神輿データ:祭神: 天神第六代坐榊 台座:四尺二寸(127) 建造年度: 昭和初期 製作者:
神田元岩井町・柏原甚吉 特記: 渡御不定期 黒漆塗り七曜星の紋の延軒屋根・平屋台造り |
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千鳥破風屋根に朱塗り梁の銭湯「梅の湯」と第六天榊の品格ある「千貫神輿」はお江戸の民族文化遺産だ |
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第六天榊神社 例大祭 (創建1900年祭) '10.05.30.(日曜)
宮出し7時半 宮入 19時 台東区蔵前1-4。 |
簡素なかわら版 |
第六天榊神社本殿での神事 |
神輿庫で出御を待つ千貫神輿 |
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景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱の神を祀ったことにはじまるという。
もとは浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社・熱田神社とともに鳥越三所明神と呼ばれていた。
しかし、徳川家康の江戸入府以来、鳥越の岡は造成のために順次取り崩され、正保2年(1645)鳥越三所明神に移転が命じられた。
この時、鳥越明神だけが旧地に残り、熱田神社は山谷に、第六天社は堀田原に遷座した。
明治6年(1873)社号を榊神社と改めた。 |
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神輿庫にて出御祭 |
七曜会による境内に担ぎ出し |
境内へ8年ぶりの出御です |
八年ぶり渡御の千貫神輿は境内神輿庫前から大鳥居下までを、総代役員が10分かけての宮出しです。
宮入道中後の宮入も同じく総代役員が担ぎます。 |
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まずは鳥居前氏子柳浅の渡御 |
江戸通りまで担ぎ出し |
柳浅が差し上げで渡御ご挨拶 |
平成22年は第六天榊神社の創建1900年祭です。
奉賛しての千貫神輿の渡御ですが、平成14年から8年ぶりの出御です。
氏子は渡御路順に柳浅・代地・茅二・道中・宮元・蔵前中央・元蔵三・精華・寿三の 九 八氏子町会です。 |
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NO.491.-06.06.投稿者:アクシスさんからのご指摘。
蔵前橋通りを線引きし、北側を北部四ヵ町(寿三・元蔵・精華・中央)
南側を南部四ヵ町(代地・茅二・柳浅・宮元)と南北で区分し合計氏子町内数は、八ヵ町で構成してます。
本社が渡御するたびに宮入道中が北、南と交互に入れ替わる。
宮入道中が南部で行なわれる際は、途中に含まれる道中は、通常 北部が担当します。道中町会はありません。 |
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細い路地中を蛇行しながら渡御 |
柳浅町会が代地町会への引き渡し場所へ最後の神輿揉み |
祭礼渡御列の殿は騎乗宮司で、下谷神社の宮司が勤めているとか。
近年は騎馬する機会もなく騎乗できる神職はすくないのです。 |
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宮元お神酒所での祈願祭 |
須賀橋交番前と榊神社を目指し遅れ気味の渡御 |
宮元のかわら版 |
宮元と蔵壹の町会提灯掲げたお神酒所にて祈願祭です。式終えると蔵壹が拍子木を叩きます。
渡御之図では同時刻に御旅所の儀として揖取(かじとり)稲荷神社の名が記載されているのですが、
渡御の一時間遅れによるものでしょう。 |
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精華の町会神輿 |
本社神輿の代役勤めてきた宮元 |
浅草橋の茅二町会 |
本社神輿渡御の受け持ち時間の合間に氏子区域内で町会神輿を担ぐのです。
ギャラリーは少ないがわっしょいワッショイと和気あいあいの担ぎです。 |
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柳浅から引受けの代地町会の担ぎ |
肌寒いが担げば火照ると同好会の双龍会の担ぎ手とお仲間達 |
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浅草柳橋は神田川の隅田川合流点近くに、元禄11年(1698)に初めて架けられた橋。
当初は川口出口之橋と言われたが橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか柳橋と呼ばれた。
柳橋の名は、江戸中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並び、
船遊びも流行り、料亭や芸者衆も多く隆盛を極めたとか。
花街は天保改革でつぶされた深川岡場所の娼家が移ってきたことに端を発する。
明治・大正期には新橋と東京を代表する花街となった。現在の橋は昭和4年に架けられた。
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柳橋芸妓・料亭の石塚稲荷神社 |
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