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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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住吉神社 納め渡御 平成22年8月 (特例: 本祭り3年毎) |
神輿データ:祭神: 底筒之男命 台座:四尺二寸(127) 建造年度:天保9年 製作:芝大門の万屋利兵衛
特記:屋根・胴・台座までもが八角形の大神輿。浴衣で宮出し。本祭り勇壮なあおり獅子も巡行。 |
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住吉神社の天保八角神輿の納め渡御 豪快にそ〜れい |
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出社祭 6:30 宮出し 7:00 宮神輿納の渡御 10:00 宮入 18:00
主催:佃住吉講、住吉神社総代会、月島連合町会、 神社連合睦会 |
天保八角神輿 |
風に揺れる深紅の提灯 |
神輿庫に飾る宮元の獅子頭 |
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天正18年(1590)徳川家康が関東下降の際、摂津国佃村(現・大阪市西淀川区佃)の漁夫33人と神主平岡権大夫好次が江戸に移り、
正保2年(1645)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて築島し永住することになった。
この島を故郷の摂津国佃村にちなんで佃嶋と命名、正保3年(1646)摂津国佃鎮座の住吉社(現田蓑神社)
分霊と徳川家康の霊を奉遷祭祀し、住吉神社が創建された。
元禄七年(1694)初めての講組織が誕生し、その後幾多の天災に見舞われながらも、
氏子信者の結束により近世に及ぶ。(神社説明文) |
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正保9年(1838)に芝大門の万屋利兵衛により製作された、八角の神輿は関東ではめずらしく、
江戸の町に残る神輿としては最古級です。
昭和37年(1962)までは海中渡御が行なわれたが、
神輿は内部も漆塗りで気密性が高められているが、
近年痛みが激しく、二基目の神輿は瓔珞の最下部に付けられている鈴を、現在「特殊平鈴」と補修で追加した「普通平鈴」を、全て特殊平鈴になる。
蕨手も屋根周りを2寸のばすことに伴い、七〜八分程高くなる。
これは昭和55年に屋根の腐食が激しく、屋根周りを二寸削り取る修理が行われたが天保の姿に戻す。 |
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中央区区民有形民俗文化財指定 |
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神事祭壇の神職の最終調整 |
渡御先導の太鼓は待機 |
若衆が担ぎ上げで渡御出立つ |
例祭。
住吉神社の例祭は毎年8月6日、7日に行なわれます。
三年に一度の本祭りでは、期間も土曜日曜を含む4日間として、
獅子頭の宮出し(中央区区民無形民俗文化財)や八角神輿の宮出し、
神輿を船に載せて氏子地域を廻る船渡御が行なわれます。
佃島の中には6本の幟が立てられ、龍虎の獅子頭、
黒駒の獅子頭(共に中央区区民有形民俗文化財)も飾られます。 |
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佃二丁目の渡御差し上げご挨拶 |
バケツと柄杓で水かけです |
綺麗に水かけ |
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豪快な水かけに担ぎ手身構える |
担ぎ手全員にと上手な水かけです |
佃のお祭りを取り仕切っているのは、佃住吉講という組織の人達。
佃島内では、この人達だけしか八角神輿を担ぐことができません。
佃住吉講は浴衣の色で組織の縦社会がわかるようになっています。
上から講元、役員年寄、大若衆、若衆。浴衣で担ぐの佃だけです。
早朝の宮出しを行い、担出しは中央区立佃公園(朱色の佃小橋)からの渡御です。
納め渡御列は高張り提灯、社旗、木遣、賽銭箱、引き太鼓、神職、八角神輿です。
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江戸時代から伝承されている大幟の柱と抱木(だき)が空気に触れて木が腐ってしまわないように三年の間、
埋設する佃小橋下。
平成23年本祭りにて新しい宮神輿の渡御ですが、柱と抱木が掘り起こされて組みたてられるのです。 |
ちょっと気付きにくい橋下 |
丁寧に管理されている |
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