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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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三崎稲荷神社 平成24年5月 (隔年) |
神輿データ: 祭神:宇迦之御魂命 台座:3尺8寸(115) 建造年度:昭和4年 製作者:神田・宮惣
特記: 延軒屋根・平屋台造りの細かな細工の桟唐戸 平成8年には69年ぶりに改修工事 |
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氏子青年会から鳥居前で宮神輿を受け取った神田三崎町会が銀色御幣に続き悠然と渡御 |
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三崎稲荷神社 例大祭 (前日は各町会連合宮入)
'12.05.05.(みどりの日) 宮出し8時〜宮入18時
東京都千代田区三崎町2-9-12。
江戸時代には三代将軍家光が自ら参拝し崇敬したため、
諸大名が参勤交代で登城する際、当社で祓い清めることを恒例としたことから「清めの稲荷」と称された。
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三崎神社POP |
こぼれ日を受ける社殿 |
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創建は詳かでないが建久以前(12世紀末)の仁安の頃(1166〜69)と伝えられる。創建当初は和田倉付近にあり、その後
武蔵国豊島郡三崎村に鎮守の社として祀られたとされ、万延元年(1860)には講武所 (幕府の武芸訓練場)
の設置に伴って水道橋に移転し、
甲武鉄道(現JR中央線)が万世橋まで延長されたのに伴い明治38年(1905)現在地に遷座される。 |
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出社祭で随行の小神輿が出御 |
木遣音頭と氏子総代の拍子木 |
拝殿から氏子青年会による宮出し |
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氏子青年部から引受け悠然と神田三崎町会の渡御 |
宮司・社旗・太鼓・お囃子と祭礼行列整えての渡御 |
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神田三崎町会のあやめ稚児 |
日曜の無人の水道橋学生街 |
神保町交差点を威勢よく周回する |
三崎稲荷の氏子町は水道橋駅南から地下鉄神保町駅までの、
神田三崎町、三崎町一丁目、西神田、西神田三、神保町三丁目、神西、神保町一丁目北部、一神、北神の九町会。
最後の町会の神三町会が中通りで宮入道中に受け渡す。 |
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九町会の高張り提灯が先導 |
中通りを神三の宮入道中 |
神三町会の宮入道中担ぎ |
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宮入道中の熱気の華棒バトルは激しくなり興奮のるつぼです |
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三崎神社通りまでの宮入道中で怒濤の神輿担ぎと華棒取りの激しいバトルは途切れない |
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宮神輿がジワリと前進中も宮入道中の興奮は木が入るまで続く |
三崎稲荷神社の宮神輿の宮入道中。担ぎ上げから約1時間は、怒濤の神輿担ぎとなる。
前棒の争奪戦はご覧のとおり、血わき肉踊る躍動するパワーの圧巻の神輿担ぎなのです。 |
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まだだと高揚と熱気の宮入道中に木が入る |
町会高張り提灯に迎えられ氏子青年会により宮入 |
神社の手前で担ぎ手が本来の氏子青年会のみとなる。
引受け前の宮入道中が嘘の様な重厚で豪華絢爛な宮神輿が鳥居を潜りきれいに宮入です。 |
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神社の鳥居額束や社号標石柱には三崎稲荷神社と表記されているが。
渡御路の祭礼幟やポスター、町会お神酒所の「三崎神社」表示はなぜか、編集者には理解できない。
稲荷神社の神の使い眷属は狐ですが、境内を守るのは昭和31年建立の狛犬です。
歴史ある社号の「三崎稲荷神社」を「三崎神社」と通称を多用するのはなぜなのか?
因みに商店街名も「三崎神社通り会」の表示です。 |
三崎町一丁目お神酒所 |
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地名の由来。 三崎町という町名が誕生したのは明治5年(1872)、江戸に幕府が開かれる前に、
この地にあった三崎村が町名の由来です。
江戸が開発されるまで現在の大手町から日比谷や新橋周辺には日比谷入江と言われる遠浅の海が広がっていた。
三崎村は日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったためこの名が付いたといわれる。 |
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