|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
鳥越神社 平成24年6月 (毎年) |
神輿データ:祭神:日本武尊 台座:四尺三寸(130) 建造年度:昭和3年 製作者:地元・牧野田由好
特記: 千貫神輿 七曜星紋の延軒屋根 平屋台造り 独特の飾り紐と大鳳凰 胴を唐草で覆う |
|
|
春日通りを渡御の宮神輿のこの熱気は都内では担ぎ手一人当たり最も重い神輿ゆえ |
|
|
|
|
鳥越神社夜祭り 千貫神輿渡御 '12.06.10.(日曜) 6:30発輿〜 21:00宮入
高張提灯に火が入る宮入道中は迫力満点です。 |
鳥越POP |
夕暮参道に薄明かりの町会提灯 |
夏祭りには若者たちも参拝 |
|
平安時代後期頃までは白鳥村と称して、此の村の小高く見晴らしの良い、白鳥山の山頂(現在地)に、
白鳥明神として創建された。これが白雉二年(651年)五月のこと。
鳥越神社となったのは、永承年間(1046〜1053年)の事、
文献の上で鳥越という名称が確認されるのは、今より500年ほど前の室町時代の頃から。 |
|
台輪四尺三寸の千貫神輿は関東大震災で焼失したが、昭和3年に原形通り再建された。
千貫御輿の由来は、昔から地元に米蔵職人など重い物を担ぐ人が多く、
力任せに担ぐ江戸の担ぎかたの源流からきている。 |
|
|
|
|
|
鳥越神社の千貫神輿 |
宮神輿の留守預かる獅子頭 |
狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きくより重く感じるので、
昭和の初めよりその重さから都内で最も重い神輿と言われていた。 |
|
|
|
|
差し上げに息合わぬ阿部川 |
棒取り繰り返す三筋北町会 |
熱気の渦の柳二町会 |
|
阿部川町会の担ぎ 路地渡御が多く短い担ぎ棒のため担ぎ手一人の重量負担が大きいとか |
|
|
|
必ず担げるから焦るな!の指図 |
担ぎ出しと同時に棒取りバトル |
熱気のうねりとなって怒涛の担ぎ |
渡御の持時間は約30分前後だが人気ある神輿ゆえに担ぎ手が多く参加する。
渡御中の棒取りの争奪戦が再三起き興奮状態に陥る。
担ぐ前から各町会引受け場所で待機中はしゃがみ込み担ぎ手を落ち着かせるのだが。 |
|
|
もう少しすれば鳥越夜祭りだというのに雨が振りだす中を悠然と担ぐ浅三町会 |
夕刻、蔵前橋通りで神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に火が入ると、祭りは最高潮を迎えます。この宮入道中は、
「鳥越の夜祭り」と言われています。18ケ町睦の提灯に守られて宮入する「鳥越の夜祭り」は迫力満点なのです。
残念ながら大粒の雨が降りだし、迂闊にも雨具の準備なく取材はここで終了。 |
|
|
|
|
お祭りを楽しむ幼児組もやがては |
早くも氏子の予備群の年長組 |
お祭り盛り上げる三桂の手古舞 |
「鳥越神社氏子十八ケ町睦会」はことし創立百周年。
睦会は、本社神輿や町神輿渡御の警護誘導役として明治四十五年(1912)に発足。現会員は五百余名。
半纏ではなく、絹のお召しに角帯、麻のたすき、白足袋の正装で参加。宮出し宮入り道中に担ぎ、拍子木役は会員のみが担当する。
十八ケ町は戦前の氏子町会区割りで、今は宮元始め二十三町会だが現在の町名では無く旧町名・旧区画で表示されています。 |
|
|