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文明開化の歴史的遺産 |
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赤いベレー帽の歴史浪漫 |
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はがきの木「タラヨウ」(多羅葉。モチノキ科の常緑高木)。葉は大型で厚く革質、縁は鋸歯である。
葉の裏に先が尖ったもので字を書くと、跡が黒くなり古代インドでは手紙がわりに使われた。
東京都八王子市みなみ野1-6。八王子南郵便局前庭。
関連ページ:
都の天然記念物の広徳寺のタラヨウ
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郵便発祥の地は現在の東京日本橋郵便局。記念碑の黒大理石の説明板。日本橋郵便局全景。
初代駅逓司長官「前島密」の銅像。この地に置かれた東京郵便役所は(四日市郵便役所とも呼ぶ)
現在の東京中央郵便局。 駅逓司は現在の日本郵政公社。 |
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明治4年(1871)国営による近代的郵便制度が「前島密」(越後高田藩士)により始められたが、
当時のポスト設置は東京、京都、大阪の3都市と東海道沿線に限られていた。
郵便ポストの正式な呼称は「郵便差出箱」という。 |
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郵便マークの制定は明治20年(1887)。当初郵便局を管轄していた逓信省の頭文字の
「T」を定めたが、
すでに英国で郵便の別のものを表す記号「郵便物の料金不足」に
使用(世界標準マーク)されていたために、逓信省のカタカナ「テ」をデザインして、
「〒
」と定められた。 |
明治4年の初年度郵便局数は65、翌年1,060、3年後は北海道を除き3,000箇所と急拡大した。
前田密はコストを掛けず全国ネット網達成のために、
江戸時代に確立していた飛脚制度を最大限活用して
飛脚は郵便夫とし宿駅の役人や庄屋の自宅の一部を郵便局として開設していった。
私財を提供したこの世襲制の特定郵便局がいま全国25,000ヶ所の8割を占める。 |
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明治4年(1871)の郵便制度発足時に使用した郵便局前専用の黒箱型の郵便ポスト。
江戸時代の目安箱(訴状箱)を採用して「書状集箱」や「集信函」と呼ばれた。毎日八つ時に開箱された。
黒箱型ポストを忠実に復元して木曽路妻籠宿に複数設置されている現役のポストです。撮影・06.03.24. |
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明治20年(1887)に全国の街道筋や町中に設置された柱箱の郵便ポスト。
当時の全国統一のポストは黒い背の高い郵便ポストでした。当時の郵便夫の服装を身に着けた
人形と比較してみてください。何故か背が高いのです。
木曽妻籠宿にある妻籠郵便資料館にて撮影。
右は江ノ島郵便局の明治20年黒ポスト。 |
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木曽妻籠郵便局 |
明治20年 |
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江ノ島郵便局復元現役明治ポスト |
明治39年(1906)に富士山5合目に開設した当初の局名は「富士山北郵便局」で(郵便夫顕彰像より)
当時の郵便配送は「郵便夫」に委ねれれていました。現郵便局は「富士山5合目簡易郵便局」の局名で
昭和62年竣工した観光センター内に設置されている。
山梨県南都留郡鳴沢村458字富士山8545-1。撮影・05.09.15.
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郵便夫は2時間で5里を郵送箱を担いで走った。
明治初期の配送所要時間は東京と大阪間を72時間強でつないでいた。 |
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上段は、明治41年(1908)に旧小平小川郵便局舎として郵便業務を行うため
木造平屋鉄板平茅葺造りで新築され、大正10年から電話交換室も設けて
昭和58年(1983)まで使用された。当時は名主等の自宅で開局するのが大半で
郵便局として新築は珍しい。引退後、小平市ふるさと村に保存され市の文化財。
東京都小平市天神町2-27。撮影・05.09.18.
右側は現在の小平小川特定郵便局の局舎と赤いベレー帽の丸型ポスト。
郵便局の現役のアイドルなのです。小平市小川町1-2072。撮影・05.04.21.
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昭和10年(1935)大久野郵便取扱所として開局当初の木造2階建ての大久野旧郵便局舎。
郵便局時代の証となるような痕跡はないが現在は喫茶店として
店内には郵便局の受付窓口が当時のまま残されて再利用されている。
隣接の平成3年建築の新局舎に移転するまで使用されていた。
西多摩郡日の出町大久野1177。撮影・06.04.09. |
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昭和13年開局のいまだ現役の木造2階建ての維持管理が行き届いた上恩方郵便局舎。
現在では見かけることが無い郵便局名が右書き旧漢字の
木造浮き彫り看板であり庇にはくっきりと郵便マークが刻まれている。
陣馬街道の村落郵便局にも時代の波が押し寄せて残念ながら局舎前のポストは丸型でない。
八王子市上恩方2135。
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町田市相原駅前 |
小金井貫井北 |
富士山5合目郵便局 |
国立旭通り商店街 |
柴又帝釈天参道 |
町田市小野路 |
懐かしや!赤いベレー帽の郵便ポストたち。
今も現役で路傍の片隅で静かに佇み投函を待ち続けています。 |
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赤色鉄製円筒形の郵便ポストの原型は古く、明治34年(1901)から設置、使用された。
戦前は素材不足で鉄製ポスト設置は禁止され現在見る赤いベレー帽の郵便ポストは昭和24年(1949)
から設置されていった。
そして昭和40年代まで製造され設置されていったのです。 |
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昭和39年(1964)の軽三輪郵便集配車。ダイハツミゼットMP型 丸ハンドル 300cc 12馬力。
バタバタと呼ばれた軽三輪車は運転席は半分むき出しでありハンドルもバーハンドルでした。
当時の軽三輪にはダイハツミゼット,マツダK360,ホープスター,三菱レオ,オリエントバンビー,
ジャイアントコニー等がありましたが、1958年頃には、運転席は密閉化してドアも付き、丸ハンドルになりました。
1962年頃にはダイハツ,マツダの二社だけとなり、その二社も昭和46年で製造中止となる。 |
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富士山5合目簡易郵便局の観光センター内にある局舎と風雪から守るために屋内に設置された郵便ポスト。
スイス・ユングフラウ・ヨッホ山頂郵便局(3454m)と5合目簡易郵便局(2305m)とで山岳郵便局の提携を行い、
スイス国旗の上にホルンを描いたスイス郵便マークと黄色いシンボルカラーのスイス郵便ポストが記念展示されている。
ホルンは郵便馬車の発着合図に使用され、ドイツでもホルンを採用している。撮影・05.09.15.
ポストの色は世界共通ではない。イギリスなどでは赤色だが、アメリカは青色、
ドイツ・フランスなどヨーロッパ大陸では黄色が主流、中華人民共和国は深緑色である。
日本ではイギリスより郵便制度を導入したため赤色。 |
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みなみ野郵便局 |
橋本市道のポスト |
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小金井郵便局 |
陣馬街道のポスト |
流山街道ポスト |
箱型ポストの原型は昭和34年(1959)より設置。現在の形になったのは昭和37年(1962)から。
2口をもつ箱型ポストは昭和40年(1965)から設置された。現在全国の郵便ポストは19万本設置されている。 |
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日本郵政ビル前の万国ポスト。1991年設置。
郵便創業120年記念ポスト(日本郵政本社前)
差し入れ口の下の絵柄は、
当時の郵政省が採用した郵便キャラクターで、馬に乗った妖精がハートの中に描かれている。上部は天球儀。
郵政省庁舎は、そのまま総務省郵政事業庁庁舎、日本郵政公社本社、日本郵政本社と移行している。
東京都千代田区霞が関一丁目3番2号 撮影、09.12.16. |
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万国郵便連合は、最も古い国際連合の専門機関の一つであり、
1874年10月、国際郵便条約によって設立された。本部はスイス・ベルンに置かれている。
日本は明治10年(1877)に万国郵便連合に加盟した。
国際連合の設立後は、国際連合の専門機関の一つとなった。現在191ヶ国が加盟。国連の加盟国数192ヶ国。 |
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白いポスト!!郵便ポストは赤いもの。なのに斬新なメルヘンタッチのエンゼル乗せて
これポスト?。
左側は東京駅丸の内、東京中央郵便局正面玄関入口のポスト。
刻印されている言葉は「郵便は世界を結ぶ」昭和27年(1952)に万国郵便連合加入75年記念で設置。
中央は東京日本橋郵便局の正面玄関入口のポスト。地球を支えるチルドレンは本郷と同じです。
右側は本郷郵便局。日本橋と本郷は昭和46年(1971)郵便創業100周年記念で設置されたもの。 |
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東京中央郵便局 |
日本橋郵便局 |
本郷郵便局 |
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役目を終えた東京駅丸の内の青いポスト |
京都四条烏丸 |
四条烏丸の旧二口ポストと並ぶ青いポスト |
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日本橋室町の中央通りのポスト |
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青いポスト!珍しい。あまり見かけない青い速達郵便ポスト。
東京駅丸の内口の「速達郵便専用ポスト」は役目を終えたのか投函口が閉鎖されていた。
京都のオフィス街の四条烏丸交差点にある速達専用ポストは現役で旧式の寸胴二口ポストと並ぶ。
左側の中央通り日本橋室町の青い速達ポストは「EXPRESS-POST」と表示され
最新式二口ポストと並んでいる。
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速達郵便専用の青いポストは昭和31年(1956)
からの設置されて近年まで最速の郵便制度でした。 |
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赤くないポスト?があります。首都高目黒出入口の上大崎交差点近くの写真に小さく写る私設郵便受けです。
ステンレス本体に「休日用郵便受」と記載されている。
右は八王子堀の内の私設ポスト。「郵便受専用ポスト」
事務所の受付まで距離があるための配慮でしょう。 |
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赤煉瓦東京駅舎ポスト。東京駅構内丸の内中央改札口に設置されたポスト。
このポストの右側に投函すれば東京中央郵便局の赤煉瓦駅舎の風景入日付け消印が押印されるのです。
平成8年(1996)4月設置。
残念ながら撤去時期不明ですが、現在(H21年)駅舎ポストはない。 |
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荷物兼郵便車ポストとゼロキロポスト。
JR品川駅改良を記念してコンコースに平成17年10月設置された高輪郵便局のポストです。
国鉄時代に活躍したクモユニ型車輌で湘南カラーに仕上げられている。
ゼロキロポストは品川駅が基点である山手線(品川〜新宿〜田端間)と品鶴線(ひんかく)
(品川〜西大井〜鶴見間)の記念塔です。港区港南2丁目。 |
福岡大博通りの郵便イメージキャラクターポスト。
郵便の安全・確実・敏速を郵便イメージのキャラクターの馬・妖精・ハートで表している。
設置年度は不明です。福岡市博多区博多駅前2-18。大博通り博多一丁目バス停横。 |
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これもポスト?いえいえJR国立駅前ロータリーとJR谷保駅前そしてJR矢川駅前に設置の
「くにたち中央図書館」の貸し出し本の返却投函専用ポストです。
さすがこの気配り、国立は文教地区ですね。 |
今だ赤いベレー帽の使命終えません!
経年劣化をとっくに過ぎたベレー帽の赤い郵便ポストですが老体に鞭打ち現役なのです。
如何にインターネットや携帯電話が普及しようと、彼らには文字の温かみや手紙の愛情を越えることが出来ません。
親書を待つ人々がいる限り総身傷だらけの老朽化した赤いベレー帽の郵便ポストは現在も現役なのです。
頑張れ!時代は変われど使命は今だ続くのです。 |
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埼玉県羽生市中央のポスト |
写真提供:台東区 本宮義久さん |
郵便制度が創られて約140年を過ぎたIT時代の現代でも、自筆の親書に勝るものはないのです。
なによりも筆跡がその人の歴史を語っているからです。
利便性よりも愛情が! 赤いベレー帽の郵便ポストの使命はまだまだ続くのです。 |
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日本のすみずみまで ! が危機 |
赤いベレー帽の郵便ポストが危機!
平成19年(2007)10月 郵政民営化に伴いポストの道路占用料を各自治体が徴収するとか。
道路法に基ずき道路管理者は電柱や公衆電話などを道路に設けると占用料を徴収できるが、
郵便ポストは公益性が高いとして今まで占用料を免除していたが、
民営新会社を民間企業と区別する理由はないとして徴収を始める。
民営化後の新会社は自由にポストの増減ができるため負担が重くなるとポストの削減となる。
今、時代を担ってきた道路上のベレー帽の赤い郵便ポストが存続の危機なのです。
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六本木ヒルズに赤い巨大ポストの出現。
日本郵政民営化初の年賀ハガキ販売キャンペーンの一環で六本木ヒルズの高さ19mのメトロハットを
赤い色に装飾したもので、例年差出は25日までにと呼びかけている12月4日から25日までの限定装飾です。
メール年賀の増加に対抗するように40億枚の販売予定なのです。
港区六本木ヒルズ円筒形施設メトロハット。 |
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年賀状は郵便制度が誕生するのと同時に行われ和紙などに書いた年賀の言葉を封書で送っていた。
小型ハガキになったのは明治10年(1877)明治20年前後になると「年賀状を出す」ということが、
国民の間に年中行事のひとつとして定着。
明治33年(1900)には私製年賀ハガキ、昭和10年(1935)には年賀切手が発行、
昭和24年(1949)お年玉くじ付き郵便はがき発行されたが、
これは大阪で用品雑貨会社が考案し採用されたものです。 |
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