歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿事典 「き・く・け・こ項目」のきつね、木遣り、黒骨扇や御幣など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    き・く・け・こ項目

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五條天神社の木頭。08.05.25. 木頭 (きがしら=木の頭)
神輿担ぎのきっかけを作るのに最初に拍子木を打つ頭。

もとは歌舞伎・文楽で幕切れや舞台転換時に打つ拍子木の最初の音。きっかによって拍子木を打つ。
正しくは 「木が入る」は 「柝(ひょうしぎ・き)が入る」と書く。

香取神社の稲足神社の狐。08.08.10.
香取末社稲足神社

香取神社の稲足神社の狐。08.08.10.
珍しい狛犬ごとき風体


狐 (きつね)=神の使い
狐を稲荷神の使いとする民間信仰は、中世より始まったものである。
うか(豊な実りを齎す土地を象徴するもの:穀物)の山に住んでる神様が、 春になると里に降りて「田の神さま」になり、 人々に恵を与えた後、再び秋には山に戻って「山の神さま」になる。
農耕とりわけ稲作にとって大敵とも言えるネズミを退治してくれるキツネは、 人々にとって益獣であり、田の神さま・山の神さまが遣わされた有難い神の使いである。

全国の稲荷神社の総本社は、京都市伏見区の伏見稲荷大社である。
稲荷神は、宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)などの穀物の神の総称。 別名「御饌津神」(みけつのかみ)と言う。狐の古名を「けつ」と言い、 御饌津神を「三狐神」と解して、狐が稲荷神の使い、あるいは眷属であるとされた。

本来は穀物・農業の神であるが、中世以降、工業・商業が盛んになってくると、 稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神ともされるようになり、 農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった。

その結果、全国の神社のなかでも系列神社数が一番多いのが稲荷神社で、 全国で32000社もあり、現在は産業全般の神として信仰されている。

富岡八幡下木場神酒所。'08.08.17.
富岡八幡下木場町会
木札 (きふだ)
江戸札、福札、家紋札、睦札、駒札などともよばれる。
檜・つげ・黒檀などの木、竹、象牙などに屋号、 名前や魁枠の中に家紋・干支などを彫り込んだり、書き込んだ札。

一般に祭りでは、2〜3×4〜5cmの長方形の木で根付紐を付けて首に下げる。 形状は将棋の駒形などもある。神輿の担ぎ手には欠かせない用品である。

日本橋一丁目町会の擬宝珠。08.06.13.
葱花の擬宝珠

擬宝珠 (ぎぼし)
(ぎぼうしゅ)ともいう。
建築物の 高欄、香欄、欄干、手すりなどの垂直の柱(親柱)などの上に付けられている「かぶら」、 「玉葱」や「葱花」などを意匠した宝珠。

神輿にはこの擬宝珠として、鳳凰や大鳥、葱花を屋根の中央に取り付ける。

日本橋一丁目町会の擬宝珠は鳳凰と交互に差し替えて巡行する。 この擬宝珠は日本橋が架けられた万治元年(1658)建造時の擬宝珠を原型通りに復元したものです。

三崎稲荷神社の木遣。08.05.05.
三崎稲荷神社の木遣




木遣り (きやり)
労作歌。木遣歌の略。
本来は神社造営の神木などの建築用木材を大勢で運ぶときの労作歌なのです。 音頭取りの独唱と大勢の斉唱が掛け合いで入る音頭形式でテンポがおそい。
労働歌であったものが、建築自体が慶事であったことから、おめでたい唄として唄われるようになり、 好評を博して鳶職の間に受け継がれてきたもので、江戸っ子の祭りには無くてはならないものとなっている
木遣唄を唄う場合は、音頭をとる木遣師と受け声を出す木遣師が交互に唄うのが鉄則という。 江戸消防記念会の資料によると、地曲・くさり物・追掛け物・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲があるという。

仕事歌としてよりも祝儀歌として歌われるようになり、 現代では芸者に代わり手古舞が役割を果すはずだが、祭礼行列に加わるのみが多い。

五條天神社の辻払いのきりぬさ。08.05.25. 切麻 (きりぬさ=切幣)
麻または紙を細かく切って米とかきまぜ、神前にまきちらすもの。
 =こぬさ (=小幣・小麻=小さい幣「ぬさ」)

神幸祭の先頭に立ち、祭礼行列の渡御の無事と邪悪を追い払う、 邪気払いの辻つじでの御払いを榊とともに行う時に用いる。

葛ヶ谷御霊神社発輿式での妙齢の神職。07.09.09.
女性の宮司
宮司 (ぐうじ)=神職の項参照
元は神社の造営、収税などのことをつかさどる神職であったが、後年広く祭礼、 祈祷に従事する者の総称となる。

伊勢神宮の祭主に次ぐ大宮司、少宮司の称。
官弊社、国弊社の最高の神職で、その社の長である者。神社の主管者。

神社本庁が包括している宮司は11,000名ですが、その内女性の宮司が330名とか。

喜多見氷川神社は鯨幕に包まれて神輿に御霊入れを行う。07.10.14. 鯨幕 (くじらまく)
白と黒の布を一幅おきに縦にはぎあわせ、上縁に横に灰色布を配した幕で吉事に使用する。

上縁に横に黒布を配した幕は、凶事用です。

明治神宮建国祭の手古舞の牡丹の黒骨扇。07.02.11.
手古舞


明治神宮建国祭の黒骨扇。08.02.11.
牡丹の絵の黒骨扇









黒骨扇 (くろこっせん)
牡丹の花をかいた扇の骨が黒骨の扇で、たたむと外へ反り返る扇。
祝儀扇の骨は鼈甲(べっこう)や漆塗りの木、竹などで作りますが、昔は黒のものが一般的でした。 手古舞辰巳芸者が持つ扇を指すようになる。

もともと扇は身分の高い人が持つもので、一般の人が祝儀扇を持つようになったのは明治時代以降と言われています。 明治から戦前までは、式服は黒が主流でしたから、祝儀扇も黒いものが多かったのですが、戦後、 冠婚葬祭のしきたりが緩やかになり、色留袖や色無地、訪問着なども礼装・正装として着るようになり、 白骨のものも出回るようになりました。

  「関連一口メモ」
「手古舞辰巳芸者とは」
深川八幡の「辰巳芸者」は、江戸深川の遊里・遊郭の芸者をいい、きっぷがよく、張りがある (弛みがない)とされていた。 深川芸者を辰巳芸者と呼ぶのは、江戸時代には遊里・遊郭は俗語で日本橋からの方角で呼び、 吉原を北国(ほっこく)、深川(洲崎)を辰巳、品川を南と呼んだことによる。 ただし、北国・南は、北国芸者などとはいわない。

「芸妓(げいぎ)とは」
舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす芸者芸子。

東京を中心とする関東地方
芸妓を 「芸者」、見習を 「半玉(はんぎょく)」「雛妓(おしゃく)」などと呼ぶ。 現在ではこの呼名がひろく標準語としても定着している。

京都・大阪などの関西地方
芸妓を 「芸子(げいこ)」見習を 「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。 山形、石川などでもこの呼名が行われる。

写真は黒骨扇を手にする手古舞辰巳芸者の装束姿の明治神宮紀元祭の祭列者。

明治神宮境内の天祖神社の凛々しきくわがた。07.02.11. くわがた
幅4〜5cmの帯状の布を後ろを跳ね上げるように止めて、鉢巻する。

町神輿や祭り神輿では、左右を細く、前後に長く結んだ手拭いで、髪の毛を覆い隠すように被るのを、 喧嘩かぶりという。

兼務神社と本務神社
神主には、自分が主に務める本務神社があり、常日頃はここに常駐しているのが一般的です。
そのほかに、常にはいませんが、年に数回のお祭りの時などに、ご奉仕する兼務神社があります。 本務神社は基本的に一社であるのに対して、 兼務神社は複数である場合がほとんどです。 神主がいない神社でも祭事が行えるのはこうした事情によるのですが、基本的にはその神社の氏子の組織力で運営されています。

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講 (こう)
講とは、さまざまな組織の団体のことをいい、神社を信仰する各地の集まりです。
昔は字(あざ)などを単位とし、その字名を冠して「○○御嶽講」などといい、その活動は、 講を構成する家から集めたお金(古くは米や五穀)で、数人の代参人(講全員に代わり参拝する意)を選び、 神社参拝を行いました。

遠く離れた地にある神仏に、講中から代表を立てて参詣する代参講は、娯楽のない当時は楽しみな旅でもあった。 信仰だけでなく、物見遊山や娯楽、またここには各地より人が訪れているため、情報交換の場ともなっていました。 会得した干ばつや台風、害虫に強い稲などを持ち寄ることも行われ、 情報の少ない時代の重要な組織として爆発的に広がりました。

現在でも春には代参人が神社参拝をし、また秋から冬にかけては御師が講に出向き、 一軒一軒お札を配り、家によっては神棚祈祷も行われています。

瑞穂町郷社阿豆佐味天神社。08.07.13.
郷社阿豆佐味天神社

狭山丘陵南麓の旧村山郷が村山党の発祥地で、 この地の産土神で村山氏の氏神社
郷社 (ごうしゃ)=社格参照
旧社各の一つ。
府県社の下、村社の上に位する。
府県または市から幣帛(へいはく=神に奉献する物の総称、ぬさ)を奉った。

参考: 郷社阿豆佐味天神社は狭山丘陵南麓に鎮座する。 瑞穂町殿ヶ谷は中世期に村上郷と称せられ武蔵7党の村上党の本拠地であり、 村上党の祖である村上貫主は当地に根拠をかまえていたという。
文明14年(1482)村山領主により造営。 享保年間(1716年〜1736年)当地方の豪族、村山土佐守により社殿の修復が行われた。 当社は「論社」(=境界を争ってその所属の確定をしない土地) もなく、 社名も古来維持されており、鎮座地の変遷も無かったと考えられる。

品川神社拝殿前の五色旗。06.06.04.


五色旗 (ごしきはた)
五色旗はなんと古代中国の五行説に基づく物です。
五色の旗は上位より 青・黄・赤・白・黒(紺色)となりますが、 森羅万象の陰陽五行説から見ると木(青) 火(赤) 土(黄)金(白)水(黒)ともなります。

陰陽: 古代中国に成立した基本的な発想法。
陰は山の日影、陽は山の日なたをあらわし、気象現象としての暗と明、 寒と熱の対立概念を生み、戦国末までに万物生成原理となり、易(えき)の解釈学の用語となって、 自然現象から人事を説明する思想となった。

牛頭天王 (ごずてんのう)=参照:天王祭
もとインドの祇園精舎の守護神とも言われ、 薬師如来の垂迹 (すいじゃく=仏・菩薩が仮の姿をとって現れること= 日本の神は仏・菩薩の垂迹であるとする本地垂迹説がある) ともいわれる。

除疫神として、京都祇園社 (八坂神社) などに祀る。 頭上に牛の頭を持つ忿怒相(ふんぬ・ふんど=いきどおり怒る相)に表される。

西久保八幡神社。'11.08.05. 壽獅子 (ことぶきしし)
御祝儀舞いとして行われている獅子舞で、正月・結婚式・開店祝い・周年記念など、 福を授ける大黒舞や、賑やかなおかめ・ひょっとこ踊りなどを併せて賑やかに演じる。

楽器は、笛1丁、桶胴1丁、 締太鼓1丁、鉦を用いる。

神田明神大神輿の蕨手の小鳥も大鳥の鳳凰と同じ彩色。06.05.14. 小鳥 (ことり)
神輿の屋根の四隅の蕨手に飾り付けられた鳳凰。
神輿屋根中央の鳳凰 (大鳥) に対峙して四隅に取り付けた鳳を小鳥と称する。

    お江戸八百八町: 御府内 (ごふない=江戸の町)

江戸の範囲は初期のうちは絶えず人口増で拡大していくために定められなかった。 しかし江戸とその周辺の支配を強化する上で、文政元年(1818)に勘定奉行 (=代官や郡代を監督して幕府の財政を扱う)が、 御府内 (江戸の町)の範囲を定めた。

天明八年(1788)罪人の江戸所払いの定め (江戸からの追放)
  東は本所・深川以遠、西は四谷以遠、南は品川以遠、北は千住以遠としてい
  る。これは町奉行支配の範囲とほぼ同じ。
寺社奉行の勧化の定め(かんげ=寺院が堂を建築するための寄付を募る範囲)
  東は亀戸、西が代々木・上落合、南が上大崎・南品川、北が千住・板橋としている。
  町奉行支配地よりひとまわり広く、代官支配地まで及んでいる。

文政元年の寺社奉行の勧化の範囲が地図上に朱色の線で囲まれ、この内側を朱引内(しゅびきうち) 又は御府内と呼んだ。なお町奉行支配地は黒線で表し黒引内と呼ぶ。

大鳥神社の狛犬は大正5年に建立で子と手毬を抱える。06.09.10.
大鳥神社の狛犬
大鳥神社の狛犬は溝口の石工内藤慶雲の名作です。06.09.10.
狛犬は大正5年建立
狛犬 (こまいぬ)
狛犬は「高麗犬」「胡麻犬」とも書き、神社社殿前や参道などに置かれた一対の獣形像のことをいいます。

狛犬の原形はオリエント、インドにおけるライオン像で、 それが中国大陸そして朝鮮半島を経て渡来しました。 沖縄県では「シーサー」といわれる獅子が、各家の屋根に魔よけとして置かれていますが、 神社の狛犬も同様に、邪を退け、神前守護の意味があります。

材質は石が多く見られますが、木や銅、鉄製のものなどもあり、一般的に雌雄で一対になっています。

また、片方は口を開け(阿)、もう片方は口を閉じ(吽)ているものが多くみられ、 「阿吽(あうん)の呼吸」という表現はここから来ていると考えられています。

山王祭日本橋一丁目町会神輿の駒札。08.06.15.
町会神輿の駒札
駒札 (こまふだ)
神輿屋根の擬宝殊の下に付ける小木片の神輿の名札。

駒とは将棋に用いる山形に尖らせた五角形の小木片で、これから転じて駒札という。

駒札は遠くからでも識別できるように、通常は神輿名を2〜3の文字に簡略して江戸文字で記載されている。 町会神輿の宮入連合渡御のように多数の神輿が巡行するときは、 巡行序列を駒札で呼び駒番表として神社より公表される。

芝大神宮の駒番。07.09.16. 駒番 (こまばん)
神輿の連合渡御のおり多数の神輿が巡行するために、 駒札の名札名で巡行序列を表にして公表するもの。

各神社では祭礼であるために、不吉や忌み嫌う番号の四(死)や九(苦しい)などは欠番にするところが多い。

牛島神社境内へ駒札十番「緑四丁目」神輿と御幣。07.09.16.
牛島神社町会御幣
千住神社。'10.09.12.
千住神社の御幣
御幣 (ごへい・おんぺい・おんべ)

神道の祭祀で用いられる幣帛(へいはく)の一種で、幣束(へいそく)の敬称で幣(ぬさ)ともいう。
細長く切った白色や五色・金・銀の紙や金箔・銀箔などの紙垂を木・竹の幣串に挟んだもので祓などに使う。

かつては、布帛を木に挟んで神前に供えていたものが変化し、現在の形になったという。 また、現在では、社殿に立て依代・神体として使われたり、 祓串(はらえぐし、伊勢神宮や神社で祓に使われる玉串)と同じように祓具として使われるようになった。



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