郷社阿豆佐味天神社
狭山丘陵南麓の旧村山郷が村山党の発祥地で、
この地の産土神で村山氏の氏神社 |
郷社 (ごうしゃ)=社格参照
旧社各の一つ。
府県社の下、村社の上に位する。
府県または市から幣帛(へいはく=神に奉献する物の総称、ぬさ)を奉った。
参考: 郷社阿豆佐味天神社は狭山丘陵南麓に鎮座する。
瑞穂町殿ヶ谷は中世期に村上郷と称せられ武蔵7党の村上党の本拠地であり、
村上党の祖である村上貫主は当地に根拠をかまえていたという。
文明14年(1482)村山領主により造営。
享保年間(1716年〜1736年)当地方の豪族、村山土佐守により社殿の修復が行われた。
当社は「論社」(=境界を争ってその所属の確定をしない土地) もなく、
社名も古来維持されており、鎮座地の変遷も無かったと考えられる。
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