歴史の 浪漫街道  お江戸の神輿 神輿事典  「ま項目」の舞姫や祭りや祭り事件、招ね木札、万灯神輿など。
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    ま項目

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日枝神社山王祭の舞姫。08.06.13 舞姫 (まいひめ)
舞を舞う女性。舞妓(ぶき)。

一般には、神楽・舞楽・白拍子(しらびょうし)・延年・曲舞(くせまい)・幸若舞・能楽・ 地唄舞などの舞踊りを舞という。旋回動作ですり足で舞う。
神社に奉仕してはいるが、巫女と同じく正式には神職ではない。

町神輿・町会神輿 (まちみこし・ちょうかいみこし)
本来神輿(宮神輿・本社神輿)は、神の乗物であり、その神の氏子に限って触れることが許された。 氏子中でも喪中の人や女性は触れることはできなかった。

町神輿は、この神輿(宮神輿、本社神輿)に対し、いわば後継者の練習用の樽神輿・子供神輿が次第に大きく華美になったとされるもの。 天下祭に町神輿はなく、天下祭が消滅した後に山車の代わりとして登場した。

一町内に子供用なども含め複数基所有している町会が多い。 三社祭などでは、各町内の大小100基以上の町神輿が渡御する。

末社 (まっしゃ)
末社: 本社に付属する小さい神社。えだみや。

摂社: 本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社の称。
本社と末社との間に位し、 本社の境内にあるものと境外にあるものとがある。

相殿(あいどの=合殿): 同じ社殿に二柱以上の神を合祀(ごうし)すること。またその社殿。あいでん。

日枝神社の銀座中央通りで繰り広げられる山王祭。08.06.15.
銀座中央通り山王祭

青梅調布大祭。08.04.13.
青梅調布大祭

祭り (まつり)
「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。 日本神話に出てくる天岩戸の前で行った儀式などが日本で最も古いものとして知られている。

その目的や意義は、豊作や大漁、商売繁盛、疫病退散、無病息災、家内安全等を祈願して行われるもの、 またはそれらの成就に感謝して行われるもの、節句などの年中行事が発展して行われているもの、 偉人の霊を慰めるために行われるものなど様々である。

一般的に神社における祭礼には、神輿(神様の乗り物)をはじめとして山車・太鼓台・ だんじりなどの屋台などが出されることが多く、 これらは地方によって氏神の化身とされる場合や、または神輿を先導する露払いの役目を持って町内を練り歩き、 それをもてなす意味で沿道では賑やかな催しが行われる。
また、伝統などの違いにより例外もあるが、多くの祭りにおいては工夫を凝らした美しい衣装や化粧、 厚化粧を施して稚児、巫女、手古舞、踊り子、祭囃子、行列等により氏子が祭礼に参加することが多い。

祭り事件 事故 (まつりじけん)
○ 「両国の花火」
万治2年(1659)両国橋が完成して、この頃から川開きと称して花火がうちあげられた。
享保年間から活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛です。 文化5年(1808)「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗る。
掛け声の「玉屋」「鍵屋」は、当時大川(現・隅田川)の 両国橋を挟んで上流を「玉屋」と下流を「鍵屋」に分かれて、 互いに二大花火師の花火の技を競っていたからです。

享和 3年(1803) に玉屋の伜が両国の花火が船に引火して、溺死する。
天保14年(1843) 「玉屋」の自宅から出火して町並みの半丁ほどを類焼さる大火事となり玉屋市兵衛は、 江戸から追放されて「玉屋」は廃業する。
花火の掛け声が現在もなぜか「鍵屋」より「玉屋」が多いのは、 花火の技術が勝っていたことと、 実力があったのにたった一代で花火のように消えた「玉屋」への愛情を示し、 江戸っ子気質がそうさせたことのようです。

○ 芝神明社の「め組」の喧嘩。
文化2年(1805) 芝明神社で開かれていた勧進相撲に、火消しの「め組」の鳶職人たちが見物にやってきた。 火消しは木戸御免の特権を持っています。ところが一行の中に火消しではない者が混じっていました。 それを見とがめた力士のひとりが、火消し以外はちゃんと木戸銭を払えといい、 それに対してめ組の富士松が堅いこと言うなと応じ、小競り合いになります。
たまたま柏戸部屋の九竜山が芝居を見に来ていたため、さっきのことへの意趣返しで富士松が九頭竜に絡んで蹴り付け、 富士松の同僚の辰五郎や九頭竜の同僚の藤の戸も巻き込んで、完璧に喧嘩になります。
次に力士たちが火消したちを追いかけて、神社境内で三度目のとうとう本格的な大喧嘩が始まってしまいました。

事態に驚いた火消しの長治郎は火の見櫓に昇って半鐘を叩きます。するとそれを聞いて大勢の火消したちが集結、 更には話を聞いた力士たちも集まってきてとんでもない騒ぎになってしまいました。 喧嘩は一説によると四時間近くも続いたといいますが、最後は(寺社奉行配下では手に負えず?) 南町奉行所の与力・同心たちが出動して喧嘩していたものたちを全員縛り上げて、喧嘩を収めました。 一番の張本人の富士松はこの時の怪我がもとで3日後に亡くなりました。

当時の南町奉行・根岸肥前守鎮衛は芝明神の半鐘がかってに鳴り出したのが喧嘩の原因であると断罪、 この半鐘に遠島を申しつけるという粋な計らいをして、関係者に寛大な処分をしました。 結局九頭竜・辰五郎・長治郎の3人が江戸払いになっただけで、 ほか(170人ほど)は過料とお叱りだけで済んでいます。 この遠島にされていた半鐘は明治になってから、お許しが出て(?)芝明神に帰ってきています。

○ 「深川富岡八幡宮」永代橋
江戸初期までは深川は漁師の村落であったが、明暦の大火後(1657)急速に町人地の開発が進み、 隅田川を越えて本所・深川・木場が開拓され木場や問屋が集中する町となった。
漁師や木場衆や蔵で働く力自慢者も多く、豪壮な神輿が勢揃いする夏祭りは年々盛り上がり、 豪商紀伊国屋文左衛門の総金張りの大神輿3基の奉納で八幡祭りの人出は急増した。 文化4年(1807)の本祭りで群集の重みで永代橋が崩れ落ち、千数百人と多数の死傷者がでた。

以降、幕府は富岡八幡宮の神輿渡御を禁止して、その後は山車による渡御となり、 禁令が解かれたのは明治維新直後であった。

○ 「浅草神社三社祭り」
浅草下町の初夏を告げる男衆の勇壮な祭りとして人気が高く、 宮神輿3基の渡御には担ぎ手衆は全国から集まる。
平成18年の宮出しでは、神輿同好会に紛れ込んだ一部の輩が神輿乗りを行い、 一歩間違えると大惨事になる担ぎ棒が折れたことを踏まえ、神社側や崇敬会から、 平成19年度の渡御には神輿乗り禁止令が出された。

しかしルールをわきまえぬ一部の担ぎ手が神輿乗りを行い、 伝承と伝統を誇る宮神輿の宮出し渡御を平成20年度は中止とした。

祭囃子 (まつりばやし)
神社の祭礼に山車(だし)や屋台の上で囃される音楽。
笛、太鼓、鉦、鼓などを用いる。祇園囃子・神楽囃子・だんじり囃子・神田囃子などがある。 京都の祇園(ぎおん)囃子が起源という。

富岡八幡宮。08.08.17.










招ね木札 (まねきふだ)
招ね木とは江戸の昔、宿場の旅篭や茶屋に 旅馴れた馴染みの連中が大山講や富士講の講中名や団体、 火消しの組の名を記した、木札や手拭いを表に掲げました。 それが、招き看板、招き手拭い、といわれるものです。 新しいお客様を招くところから、「招き」とよばれ、 「招木」、「招喜」の文字をあてていました。
江戸時代の文化文政の頃になると、 銘木を選び、文字を彫り込み、漆を差して意匠を凝らした形となり、お客を呼ぶ縁起から 商家、粋筋をはじめ、芸界、火消しの内飾りとして 縁起棚の脇に飾られました。

1、寄席文字
  寄席で使われろ基本的な書体。一般的な文字に比べ大きく変形し多少の読みにく
  さが『味』となり粋さを醸し出しています。
2、江戸勘亭流
  『和風』と言えばまず一番先に出てくるのがこの勘亭流。イメージは『四角い』と言う
  よりも『丸い』。全ての文字が優しい感じの書体です。
3、髭(ひげ)文字
  他の書体と大きく異なる点は、文字の一筆一筆の終わりに、毛筆独特の擦れた感
  じが、髭のように見えます。主に凧絵などに用いられた書き方です。
4、籠文字
  江戸文字を語る上で欠かせないのがこの『籠(かご)文字』。江戸時代より提灯や
  招ね木等に用いられ男性的な力強さが魅力の書体。木札にも多く用いられている。

大国魂神社六之宮の萬燈。06.05.05. 万灯・萬灯傘 (まんどうかさ)
祭礼の出し物として、造花などを取り付けた大きな傘。

万灯・万度(まんど)
四角い箱に、其社御祭礼などと大書、その下に町名を、また氏子中・子供中などと書き、 これに灯火をともし、また花などを飾って祭礼にだすもの。まんどう。
万度祓いの略で、元来は祓いの詞を一万度読んで罪を祓い清めることである。

明治神宮万燈神輿の萬歳会。07.02.11.


万灯(万燈)神輿 (まんとうみこし)
万灯神輿の起源は元治年間(1864〜1865)と伝えられる。

隅田開拓の祖江川善左衛門雅門公の徳をたたえた里人が、万灯に善左衛門の開拓由来の錦絵を描き、 墨田稲荷神社 で神輿として担いだのが始まりと云われる。

墨田稲荷神社では、大正4年に中止になり、昭和50年に復活し、 毎年の例大祭の宵宮を賑わす行事として知られる。 (写真は明治神宮建国紀元祭の萬歳会の万灯神輿)
万灯神輿の渡御は、祭礼の前日の宵宮で行われる神社が大半です。


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