歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿だ!神輿雑学事典  「は項目」の白丁装束や半纏、囃子など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    は項目

掲載写真をクリックすると拡大写真が表示されます。  

廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく) 参照:神仏分離令・神仏習合
明治初年の仏教排撃運動。明治政府の祭政一致を基本理念とする宗教政策で、 神道(神社)を仏教(寺院)から独立させたことからおこる。
権現、牛頭天王などの仏語による社号は改称させられた。

慶応4年(1868)に神仏分離令がだされたのをきっかけに、神道家などが、 各地で寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制など仏法を排除すること。仏教弾圧。
太平洋戦争の敗戦により国家神道は解体され、政教分離が原則となり、皇室の祭祀は天皇家の私事となった。

拍手=手締め (江戸締め)
日本の風習の一つで物事が無事に終わったことを祝って、その関係者が掛け声とともにリズムを合わせて打つ手拍子である。 手打ちともいう。祭りや冠婚葬祭などの式典、商談や株主総会などの終わりに行われる。

○一本締め  3回・3回・3回・1回手を打つ。
一般的な流れ 1.「お手を拝借」 2.「イヨーオ」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン. 「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

○三本締め  一本締めを3回行う。
一般的な流れ 1.「お手を拝借」 2.「イヨーオ」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン
3.「イヨー」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン  4.「もう一丁」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン  5.「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

○一丁締め  一本締めの変形として1回だけ手を打つ一丁締めもある。 これは「一本締め」と混同されるが、一丁締めは略式の手締めである。
関東のローカルでは一本締めが広範囲にわたって一丁締めと同じ意味で使われる。
一般的な流れ 1.「お手を拝借」 2.「イヨーオ」 タン 3.「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

御嶽神社の宮神輿は白丁に烏帽子姿で担がれ渡御です。08.05.08.


白丁装束 (はくちょう・はくてい しょうぞく)
白丁: 元々は白帳を着た雑色をいったが、祭りでは白帳を着た神輿の担ぎ手などをいう。 古式に則る神に仕える正装は白丁に烏帽子の装束です。

白帳: 公家の傘持・履持・車副などの雑色などが着た糊をつけた白色の狩衣。 糊を強くつけてあり、木のように見えることから、如木(じょぼく)ともいい、 これを着た雑色を如木ともいった。

雑色(ぞうしき): 鎌倉・室町時代の下級役人、雑役・走使いの無位の職、雑役に従う召使いなど。

三崎稲荷神社の氏子。08.05.05.


鉢巻 (はちまき)
ねじり鉢巻の項参照。
頭の横まわり(鉢)に手ぬぐいなどの布を巻く習俗。

向う鉢巻(結び目が正面にむく)、ねじり鉢巻は労働者。
伊豆大島の縮緬や新島の赤手ぬぐいの鉢巻、祭礼の稚児の鉢巻は礼装用。

鎌倉以降、軍陣の武士が烏帽子(えぼし)が脱げ落ちるのを防ぐために鉢巻をしめたので 鉢巻は軍装と考えられていた。また近年まで病人や産婦が鉢巻をする習俗もあり、 東北地方では女が眠るとき鉢巻をする所もあった。

八幡宮 (はちまんぐう)
八幡神を祀った神社。八幡宮は菩薩号を付して八幡大菩薩と呼ぶこともある。

八幡神は応神天皇、比売(ひめ)神、神功皇后の3神。
八幡神がまつられたのは、欽明朝(奈良時代とも)の宇佐神宮が初めで、 次いで平安時代の貞観元年(859)清和天皇が石清水(いわしみず)八幡宮に分霊。 諸源氏の氏神として尊崇された。

源頼朝が鶴岡八幡宮に分祀して以降、一気に全国の武士・庶民の間に分社・末社が広まった。

神仏習合による信仰が古く、本地(ほんじ=仏・菩薩の本来の姿)を阿弥陀仏とする例が多い。 また武神としても信仰され、社殿は八幡造りが通例です。

法被・半被 (はっぴ)
衣服の上に着る短衣。羽織に似ているが衿(えり)が折り返らず、まちがない。袖は広袖が多い。 木綿、麻などで作り、背に大きな紋をつける。

近世、下級武士や仲間(ちゅうげん=中世、公家・武家・寺院などに仕える従者の一で、 侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人の一で、雑役に従事。 足軽と小者との中間に位する)の着用した裾の短い上着。半纏ではない。

古式に則り行われる御嶽神社の発輿式。08.05.08. 発輿式 (はつよしき)
祭礼時に宮神輿を渡御させるときに、渡御行列の無事を神輿に願う行事である。

神社の大半は、祭礼当日に祭神を本殿から神輿に移す御魂遷しの儀を執り行い、 その後発輿式を行う。

    お江戸八百八町: お花見
江戸時代にはすでに江戸の近郊に花見の名所が多くあった。
梅の花見は: 亀戸梅屋敷、向島花屋敷 (百花苑)、芝増上寺茅野天神境内、大森八景園などが有名であった。
桜の花見は: 墨田川堤、上野と日暮里、王子飛鳥山、品川御殿山、小金井が有名で、 当時の桜の銘木では、上野山の秋色(しゅうしき)桜や見合桜、渋谷の金王桜、 谷中養福寺の糸桜などが著名であった。

桜の五大名所は享保年間ごろに、庶民の娯楽のために八代将軍吉宗が桜樹を植えさせたといわれている。 なお江戸時代のお花見の宴は、現代の夜が中心であるのに対し、昼間のみであった。

鼻棒・花棒・華棒 (はなぼう)
神輿の台座を乗せたり、台座を通したりして、担ぎ手が担ぐ縦棒の先端を呼ぶ。

担ぎ手はここを担ぐのが華なのです。 故に渡御中に、特に華々しい宮出しや宮入時に担ぎ手同士の激しい花棒取り合戦が繰りひろげられる。

祭りに諍いが絶えないのも担ぎ手衆の花棒合戦の結果なのです。

素盞雄神社天王祭の囃子。08.06.07.





囃子・祭り囃子・祭礼囃子 (はやし)
囃子の種類には、歌舞伎囃子、神楽囃子、祭礼囃子、馬鹿囃子がある。また舞囃子、居囃子の区別もある。
葛西囃子、神田囃子、深川囃子。品川拍子。居囃子。
民族芸能であり、にぎやかにはやし立てる音楽やことば。太鼓を中心とする。

一説に、享保(1716〜1736)の初期に、葛西総鎮守香取明神(現 葛飾区東金町 葛西神社) の神主の能勢環が五穀豊饒の報謝として神楽囃子を創ったとされ、 これが葛西囃子、江戸囃子の始まりとされている。
最初、能勢神主は、敬神の和歌に合わせて囃子の音律を創ったため、「和歌囃子」と呼ばれていた。 これが近郷の祭礼で奉納されるようになり、さらに宝暦3年(1753) に関東郡代の伊那半十郎が風紀是正の方策として、囃子の技量を競わせたため、 江戸を中心とした関東に広く流行ったとされる。
宝暦以前の天下祭では、祇園囃子、邦楽系の囃子、大神楽の道行きの囃子が一般的であったが、葛西囃子の登場後は、 「和歌囃子」「馬鹿囃子」と呼ばれ、広まっていった。
葛西囃子は、締太鼓2・大太鼓・笛・鉦の五人編成され、伝承曲と即興との演奏をおこなう。

神田囃子は、葛西囃子の系統を引くも、江戸でさらにまとめたものとされ、素人の囃子方の取締役の長谷川金太郎の時期に確立したとされている。
神田囃子は、大太鼓、締太鼓、鉦、笛で構成され、屋台・昇殿・鎌倉・仕丁舞・神田丸・亀井戸・麒麟・葛鼓などの曲目が演じられる。

昭和28年には、葛飾・江戸川の葛西囃子、神田囃子の3団体が「江戸の祭囃子」として東京都指定無形民俗文化財に指定されている。
その他、静岡県大須賀町三熊野神社祭礼に三社祭礼囃子が伝わっており、また、 佐原には江戸文化の影響を受けた佐原囃子がある。 

建国祭パレードの馬簾。'12.02.11. 馬簾 (ばれん)
町火消が、組の目印(シンボル)として用いたのが纏(まとい)です。
纏はもともと群雄割拠の戦国時代に、戦場で敵味方の目印として用いたもので、 的率(まとい)あるいは馬印(うまじるし)と称していました。
江戸時代に入ると大岡大岡越前守が町火消に士気の高揚を図るために纏を持たせ、 馬簾の纏にはたれ下げた細長い飾りが、いろは48本に本所・深川の16本を合わせて64本ありました。
火事と喧嘩は江戸の花と称されたが、大火の多い江戸での火消しの働きぶりがはなばなしかったこと、 これが江戸の華、纏(馬簾)です。

粋ですね三社祭揃いの半纏姿。06.05.21.











半纏 (はんてん)
江戸時代中期頃から、羽織の代用の防寒用として、また、職人などの仕事着として着られるようになり、また、 江戸後期の天保の改革で羽織の着用が禁止になったことから盛んに着られるようになった。 名前は、法被・半被(はっぴ)、袢天・半纏・半天(はんてん)などいろいろあるが、「はっぴ 」と「はんてん」には違いがある。

「はっぴ 」は、はふひ(法被)、または、はんび(半臂)が転化したとされ、襟を折る羽織に対し、 襟を折らないたけの短い衣料で、「はんてん」に比べ、袖丈が長く、幅が広い。胸紐を通す 乳(ち)が付いている。
仲間(ちゅうげん)や下級武士も着ていたとされ、一部では「はんてん」よりも格上とされていた。

「はんてん」には襠・袵衽がなく、乳もなく紐は付けず上から三尺の手拭いで締めた。 半天は当て字。 その後江戸では「はっぴ」は着られなくなり、「はんてん」に替わった。

現在、祭半纏について、「はっぴ」と「はんてん」を区別なく呼ばれることが多いが、 関西では「はっぴ」と呼ばれることが多いようであるが上記のような仕立ての違いがあるかは不明である。

祭りで「はんてん」が着られるようになったのは、江戸時代に描かれた「南伝馬町天王祭礼(東京都立中央図書館蔵)」にも既に、 褌に半纏を三尺帯で締めたり、褌に腹掛に半纏の担ぎ手が描かれている。

今でも半纏は、祭りの特に町神輿の担ぎ手には欠かせない衣装であり、 睦や町会の印を入れた印半纏として広く着られている。また、各種イベントや綿を入れた防寒着(ねんねこ) として日常的にも着られている。


yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「祭りだ!神輿だ!神輿事典 ひ・ふ・へ・ほ項目」にリンク。 「祭りだ!神輿だ!神輿事典トップ」へリンク。