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伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    た・ち項目

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大祭 (たいさい)
大祭(=例大祭)とは、1年に1回または2回、その神社で定められた日に行われる最も重要な祭祀の事である。
なお、例大祭とは俗称であり、正式には大祭式例祭(たいさいしきれいさい)となる。
戦前は「例祭」・「例大祭」・「大祭式例祭」などの言葉は使われず、単に「大祭」と呼ばれていた。

鉄砲州稲荷神社の大神輿載せる台車。08.05.05. 台車 (だいしゃ)
神輿を載せて長距離の順路を移動させるときに使用する。

特に担ぎ手衆の少ない神社や、陰祭りの時に、台車に神輿を乗せて、 「曳きまわし」として祭礼を行う神社もある。

hanada-oomikosi2.jpg(5553 byte) 台座 (だいざ)・台輪 (だいりん)
神輿の基礎部分の台座で神輿の大きさを示す尺度になっている。何尺何寸何分と表示する。 千貫神輿は台座が4尺以上です。

神輿の大きさの尺度には重さもあるが、神が乗る輿(神輿)を量ることは、 神自体を量り失礼にあたり、 大きく重たい神輿を通常は台座で判断して「千貫神輿」よ呼ぶ。

荏原神社の大拍子と篠笛での城南担ぎ。07.06.03.

大拍子 (だいびょうし)
里神楽などに用いる打楽器の一種で、締め太鼓の胴の長いもの。細桴(ほそばち)で一方の皮を打つ。
代表的なのが品川拍子 (大拍子と篠笛の拍子)。

歌舞伎の下座音楽で、上記のほか、大太鼓と篠笛(しのぶえ)あるいは能管が入る鳴り物。神社の場面などに用いる。

神田明神氏子町会の高張り提灯。06.05.14.





高張り提灯 (たかばりちょうちん)
竿を長くして先端に提灯を付けたもの。

祭礼の時に、神輿や祭礼行列の先頭に立ち、渡御の道を清め、 遠くからでも祭礼参加者や見物客に居場所を示すのに使われる。

 提灯:竹を曲線の骨組みに筒状の形態を作り、周囲に和紙を張り、文字や文様を書き
 入れて完成ですが、すべて手作業のため、提灯職人が一人前になるのに5〜10年を
 要するとか。
 有名な東京浅草寺雷門の大ちょうちんは直径3.6m、高さ4.2m、重さ七百50k。
 慶応元年(1865)の田原町火災で焼失、昭和35年(1960)松下幸之助の寄贈で再建
 された。大提灯は十数年に一度新調され、現在は四代目です。

八王子八雲神社の竹棹。07.08.05. 竹棹 (たけさお)=三又
近年神輿の渡御順路には多くの電線等が張り巡らされて、渡御の障害物となり、 電線等を押し上げるための竿。
都心で行われる渡御神輿や山車には、必ず一組の棹持ちがつく。
=三又 (さんまた) 道路の電線の高さが屋台・山車の高さに対して低いときに、電線を持ち上げるために使う、 棒の先に“V”字形が付いたもの。

八王子祭の唐破風の屋根が見事な元横山町の山車。06.08.06.
八王子元横山町の彫刻山車

山王祭の日本橋一丁目加美町の嘉永3年建造の日本武の山車。08.06.13.
山王祭日本橋加美町の山車




山車 (だし)
「出し物」の意で、神の依代(よりしろ)として突き出した飾りに由来するという。 祭礼の時、各種の飾り物などをして引き出す車。
他に山から石や木材を搬出するための車として発生したとする説もある。

中世風流の流行とともに華美になり、山形、屋形、船車形、灯籠形の屋台に人形や花鳥を飾り、 歌舞音曲の人々の乗るものも現れた。
祇園祭では車をつけて引くのを鉾、担ぐのを山と呼ぶ。 ほかに曳山(ひきやま)山車(さんしゃ)屋台、山笠(やまがさ)傘鉾(かさほこ)など、 形や所により種々の名がある。

諌鼓鳥山車(かんこどり だし)
天下泰平であって欲しいとの願いをこめて、 全国的に祭りの山車に「諌鼓」の上に鳥を配した諌鼓鳥の山車がでる。 鳥は鳳凰ではなく、一般的に「にわとり」風の鳥が多い。太鼓は叩かれることはない。 日枝神社山王祭、神田明神神田祭等で祭礼行列に参加したり展示される。

人形山車(にんぎょうだし)
最上層に人形が載った山車をいう。人形は上下したり、伸縮したりなどのからくりが施されている。 人形が固定されて動かないものもある。
写真は元横山町の彫刻山車。大正11年建造。八王子市の有形文化財。
下段は山王祭の日本橋加美町の嘉永3年建造の日本武尊の人形山車。

鳥越神社氏子役員のたすき掛け。08.06.08. たすき掛け
襷(たすき)とは、衣服の袖をたくし上げるために肩から脇にかけて結ぶ紐。
普通、労働のとき和服の袖が邪魔になるので、背中に斜め十文字にうち違いにする。 古代の筒袖にたすきがけしたのは、神事の服飾といわれる。

鳥越神社の氏子役員は全員が浴衣衣装で裾を捲し上げ、袖をたすき掛けにします。

足袋 (たび)
足袋が今の形になったのは実は江戸時代なのだそうです。 伝統的な履物である草履・下駄・雪駄などを履く際に用いるため、親指と人差し指の部分で袋が2つに分かれている(叉割れ)。
丈夫な生地で作られた本体にゴム底を貼り付け、直接屋外で履く事ができるようにした地下足袋(じかたび)と呼ばれる足袋もある。

足袋の先祖は「襪(しとうず)」と呼ばれる、 親指と人差し指の間が離れていない今の靴下のような形をしていました。 襪は古事記にも記載されており、平安時代には殿上にあがる際の高貴な方が履く正式な履物となったそうです。 戦国・室町時代になり、浅沓では戦いで走りまわるには不便なため草履を履くようになりました。 それに合わせて襪もつま先がわれて皮製の足袋になりました。長い間、高貴な許された者しか着用されなかった足袋は、 元禄頃に足首でとめるコハゼがつき、その頃から庶民にもはかれるようになったようです。 今は姿を消した襪ですが、伝統を非常に大切にする伊勢の神宮では今も神職さんたちは御祈祷をする神楽殿で襪を履いています。

玉串 (たまぐし)
「玉串」とは榊(さかき)や杉などの常緑樹の小枝に紙垂(しで=注連縄等に垂れている雷の形のような白い紙) や木綿(ゆう)をつけたものです。

神前にお供えするものとして、お米や酒、魚などと同様の意味があると考えられています。 しかし、玉串は祭典の中で捧げて拝礼することから特別な意味を持ちます。 神様に敬意を表し、且つ神威を受けるために祈念を込めて捧げるものです。

玉串奉奠 (たまぐしほうてん)
正しくは「玉串を奉(たてまつ)りて拝礼」といいます。改まった参拝や祈祷、祭典に参列したときなどには、 神様へ「玉串」を奉って拝礼します。

一、玉串を両手で受け取り、左手の手のひらにのせる形で、右手で玉串の根本を持つ。
二、右手で玉串の根本を自分の体の方に向け、左手を右手に添える。
三、玉串を自分の顔に寄せ、数秒間祈念する(願意を込める)。
四、右手で玉串の上の方(葉の部分)を持ち、根本を時計回りに神前に向ける。
五、左手を右手に添えなおし、玉串の葉を両手で持つ。
六、神前に一歩進み、手前の台に玉串を両手でお納めし、一歩下がる。
七、気持ちを整え、神様に対し「二礼二拍手一礼」の作法で拝礼する。

玉砂利 (たまじゃり)
砂利の粒の大きなもの。境内や参道に敷く。

丸くて白いものには、穢れがない物であり、玉砂利を敷き詰めることは、 神社の境内を清めることで使用されている。

山王祭日本橋一丁目町会神輿の魂振り。08.06.15.
四隅の飾り房全てが見事に振られている。 担ぎ手達の息が合った魂振りの証です。

多賀神社の千貫神輿の魂振り。07.08.05.
200名前後で担ぐ千貫神輿は重たくて容易ではなく左右交互に片側のみの魂振り。
魂振り (たまふり)
神社で御輿を用いるのは、祭礼にあたっての神幸祭のときです。

神幸とは神体が本社から氏子町内に渡御することをいい、 氏子たちが神輿をかついで各地区を練り歩き、 そうすることで神に各地区をご覧いただくのです。

神幸の途中、神輿を上下左右に激しき振り動かしたりして、わざと荒々しく扱うことがあります。 これが神輿に坐す神の「魂振り」で、これにより神の霊威を高め、豊作や豊漁、 疫病の退散がなると信仰されているのです。

また、海(海中渡御)や川(水中渡御)に神輿を入れることもありますが、 この場合は一種の禊神事と考えられています。

この魂振りは、担ぎ手達が掛け声と共に和して神輿を担がないと、神輿の四隅の蕨手につけられた房は揺れ動かず、 息が合っている担ぎ手達の神輿は四隅の房が一斉に揺れ動きます。

だんじり
関西・西日本の祭礼の曳き物。太鼓をのせ、車輪をつけて引いたり、 担いだりして練って行くもの。

東京の山車・屋台に同じ。

kenkoku-kinen-tansu.jpg(5496 byte) たんす金具 (神輿用箪笥金具)
神輿の台座の左右に取り付け、この真鋳の金具を座金に叩きつけて音を出す。

湘南担ぎ、どっこい担ぎでは「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」などの掛け声(湘南甚句) に合わせてこのたんす金具を台座の座金に叩きつけて音頭をとる。

小平神明宮の地口行灯。07.04.29. 地口行灯 (ちぐちあんどん)
四角い行灯で、横に神社名や町会名を書き、 正面には世相をやゆした文言や駄洒落を絵柄と文字で表現した行灯。

祭礼期間中は各家庭の門に取り付け蝋燭を灯して幻想的な宵宮を醸し出していたが、 近年は電球を中に入れて灯す。

素盞雄神社のHPより。



茅の輪 (ちのわ)=参照:大祓い
神社の鳥居の下や拝殿の前などに茅(かや)で作った大きな輪を設け、 それをくぐることで疫病や罪穢を祓う大祓式の茅の輪(ちのわ)くぐりが6月と12月に行われる。

これは「備後国風土記」に見られる、素盞雄命が蘇民将来(そみんしょうらい) に小さい茅の輪を腰につけさせ疫病除けのしるしとした伝承に由来しています。

  茅輪のくぐり方
左まわり、右まわり、左回りと、八の字を描くように三度くぐりぬけます。 こうして、心身共に清らかになって、神社へ参拝します。

    お江戸八百八町: 昼食はいつから
江戸初期の一日の食事は、朝食は午前八時ごろ、夕食は午後二時ごろの二食が普通だった。 一日三食になったのは、明暦の大火(1657)で焼け野原になった町の復興のために雇われた職人達に 昼食をだしたのがきっかけになり、元禄時代(1688〜)の頃から、三食になったとか?定かではないが。 しかし、体力を使う大工や左官などの職人は、すでに間食をとって腹ごしらえしたと思われる。

農村では米を年貢として納めるので、日常は雑穀を混ぜて食べる地域が多かった。 江戸や大坂では、幕府直轄領や藩領から年貢米が廻送され、財政を賄うために市場に売り出され換金されていた。 それで江戸や大坂の庶民は白米を主食にしていた。
江戸の一般的な家庭では、朝に一日分のご飯を炊いて、お櫃(ひつ)に移し、昼、夜と食べた。 朝は暖かいご飯に味噌汁、昼は冷や飯に野菜か魚のおかずを一品、夕飯は冷や飯の茶漬けに香の物だった。 一般庶民は質素だったのです。

これが京や大坂では昼にご飯を炊いた。煮物か魚、味噌汁で昼食をとり、朝と夕飯は冷や飯に茶、 香の物だった。冬の朝などは寒いので粥(かゆ)をつくって食べていた。

おかずは、野菜や豆腐の味噌汁に、干物・目刺し・アサリなどの魚介類、煮豆や芋、蓮根など野菜の煮物などでした。 当時ヒジキの煮物、揚げ出し豆腐、キンピラ、イワシの丸干し、卵焼きなどが人気のおかずでした。

町会神輿 (ちょうかいみこし)
氏子町会が保有する神輿。本社神輿や宮神輿より大きい神輿もある。

鳥越神社の苔むした手水舎。08.06.08.






手水舎 (ちょうずや)
手水舎の水で両手を清め、口をすすぎます。このことを「手水(ちょうず)を使う」といいます。 手水舎の水盤には、たいてい「洗心」という言葉が彫られていますが、 これには両手を清め口をすすぐことにより、心(魂)も洗い清めるという意味があるのです。

自分で手水を使うときの作法は、まず右手で柄杓を持って水を汲み、 左手にかけて左手を清めます。次に柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清めます。 再び柄杓を右手に持ち、左の手のひらに水を受け、その水を口にふくんですすぎます (このとき、柄杓に直接口をつけることは誤りです)。
口をすすぎ終えたら、もう一度水を左手にかけます。最後に水を入れた柄杓を立て、 柄に水を流してから柄杓置きに伏せて置きます。

手水奉仕を受けるときの作法は、まず両手で水を受けて、両手を清めます。 次にもう一度両手に水を受けて、その水で口をすすぎます。そして、さらに両手で水を受けて、 再び両手を清めます。最後に拭紙で口を拭ってから手を拭います。

提灯 (ちょうちん)
和紙で作られる丸形提灯、弓張提灯、樽型提灯、細長提灯があるが、最近では何年も使用できるビニール提灯が使われる。

    お江戸八百八町: 町人地
 ○町人地の町屋。
江戸市中は京間(一間6尺5寸=197cm)が用いられた。関東地方は田舎間=江戸間(一間6尺) これは町割りの実務担当者が法隆寺村出身の都の宮大工の中井正清であったためである。

 ○町人地の町割り。
碁盤目状の京間60間(=118M)奥行き20間(=39M)を一区画の街区で十数軒に分割された細長い鰻の寝床だった。 町人地への農村地からの流入人口増に伴い一戸当たりは細分化されていった。

 ○庶民の住む裏長屋
典型的な裏長屋は、間口九尺(2.7m)奥行き二間(3.6m)で、裏長屋を九尺二間と呼んだ。 これは六畳間の広さです。下が板で上が障子の引き戸を開けると、九尺と三尺の一畳半の土間があり、 そこに竃(かまど)と大小二つの鍋、流しや水がめ、草履や下駄を置く玄関兼台所。 したがって部屋は四畳半で、畳は住人の持ち込みなのでむしろ敷き多く、 押入れも無いから普段着や仕事着は数枚、布団はたたんで風呂敷などをかけて隅に置いた。 他に行灯と当時の食事は一汁一菜なのでご飯茶碗と汁椀に箸を入れる箱膳。 手桶やすり鉢、炭壷、雨傘や蓑、菅笠などの雨具。実に簡素な暮らしだった。 裏長屋には共同の炊事洗濯の井戸と便所がついていました。

新緑に包まれた鳥越神社鎮守の杜。08.06.08.


鎮守 (ちんじゅ)
その地を鎮め守る神。またその社。

近世以降は村落鎮守が普通で氏神や産土(うぶすな)神と混同されるが、 本来は一国鎮守(各国一宮)、王城鎮守、城内鎮守(江戸城の山王神社)、 寺院鎮守(東大寺の八幡神)などがあった。

威力ある神を新しく選んで勧請する場合が多いが、土着の地主神、氏神、産土神を 鎮守に置き換えた例もある。
鎮守の神。鎮守の杜。鎮守の社の境内にある森。


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