歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿だ!神輿事典 「か項目」葛西囃子や頭、神の使い、勧進相撲など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    か項目

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褌一丁での江ノ島海中渡御。08.01.20. 海中渡御 (かいちゅうとぎょ)・水中渡御
神社や神輿にとっては、祭礼は重大な行事であり、洗い清める一種の禊の行為です。
海中渡御や水中渡御は聖水に全てを洗い清めるという重要な行為なのです。

また、夏祭りの名残とも言われています。

住吉神社の江戸里神楽。08.08.02.
住吉神社江戸里神楽








神楽 (かぐら)
「かぐら」の語源は、「神座」(かむくら・かみくら)が転じたものとする説が一般的である。 神座とは「神の宿るところ」を意味し、神座に神々を降ろし、巫女が集まった人々の汚れを祓ったり、 神懸かりとなって神の意志を伝えたり、また人の側からは願望が伝えられるなど、 神人一体の宴を催す場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったと考えられている。

古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞ったという神話が神楽の起源であるとされる。 アメノウズメの子孫とされる猿女君は宮中において鎮魂の儀に携わっており、このことから神楽の元々の形は鎮魂・ 魂振に伴う神遊びであったとも考えられる。

神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間で行われる里神楽(さとかぐら)に分けられる。

「御神楽」 宮中で、夜、庭燎(にわび)をたいて執り行う宗教儀式で、伴奏に和琴・神楽笛・ 笏拍子などの日本古来の楽器に篳篥(ひちりき=笙)が用いられる。

「里神楽」 日本の民族芸能の一種で「おおかぐら」とよばれ、 さらに大きく巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽に分類される。 これらの流れを汲んだ神楽が各地に存在する。

富岡八幡。
富岡八幡宮
掛け声 (かけごえ)
江戸っ子の神輿を担ぐ伝統の掛け声は 「ワッショイ」です。が、
都電が姿を消した昭和40年代から江戸っ子、土地っ子が居なくなって、祭り愛好家等の担ぎ手などに頼るようになり、 さまざまな掛け声が混じるようになった。

  神田祭・神田明神 5月中旬 「ソイヤ」 「セイヤ」
  三社祭・浅草神社 5月中旬 「オイサ」 「ソイヤ」 「ホイサ」
  鳥越神社 6月上旬 「オリャ」   山王祭り・日枝神社6月上旬 「ソイヤ」
  佃祭り・住吉神社 8月上旬 「オリャ」 深川祭り・富岡八幡 8月中旬「ワッショイ」

陰祭り (かげまつり)
江戸天下祭において、祭りの執行には多額の費用がかかるため、 幕府の命により山王祭と神田祭を隔年に行ったことに始まる。 一方が祭りが本祭の年に他の年の祭りを陰祭という。

現在も東京では隔年〜3年毎に行う祭りが多く、長いのでは5年おきの祭りもある。 陰祭は、基本的には神事のみであるが、神幸祭がない、本社神輿が出ない、町神輿の渡御も数が少ないなど、 寂しいながら行われる祭りが多い。

近頃は地方でも交通事情の悪化や費用や執行人員の確保が難しいため、 屋台を交代で隔年に出したり、規模を縮小する傾向にある。

葛西囃子 (かさいばやし)
葛西囃子は、葛飾地方に古くから伝わる郷土芸能のひとつです。葛西神社は、 祭礼に欠かせない祭り囃子すなわち葛西囃子発祥の地として知られてます。

享保年間葛西神社の神官、能勢環(のせたまき)が敬神の和歌に合わせ、 音律を工夫して和歌囃子として村の若者に教え、 御神霊を慰めたのがその起源とされています。

以来、盛んの一途を辿り、神田囃子、深川囃子、また関東周辺にも広まり、秩父、川越、石岡、 また東北地方、東海地方の囃子の流儀を生んだ。

江戸時代末期には、幕府直参の旗本や御家人の間に囃子が流行しました。 寄席の舞台袖で囃子がつかわれることもあり、それを御家人囃子といわれた。 また祭礼でもないのに、どこからか囃子の音色が聞こえてくるという不思議もありました。 武家屋敷の奥から町場に洩れた御家人囃子だったのです。 御家人囃子の元になったのも、この葛西囃子なのです。

小平神明宮の旧本社神輿と小神輿。08.04.29. 飾り神輿 錺神輿 (かざりみこし)
擬宝珠や瓔珞そして飾り棒と飾り紐を付けて飾る神輿で、 渡御の時に使用する担ぎ棒は付けず極端に短い飾り棒を付ける。

多くは経年劣化や歴史的価値のある神輿で神輿庫や宝物殿で展示される。

富岡八幡宮の一之宮。08.08.17. 飾り棒
飾り神輿に付ける極端に短い飾り棒である。
飾り神輿として展示中は神輿庫や宝物殿のスペースの問題もあり、見栄えの点からも短い飾り棒をつける。 渡御や巡行時には、飾り棒に換えて、担ぎ手が肩に掛ける長い担ぎ棒に差し替える。

神田市場千貫神輿の飾り紐と房。07.05.12. 飾り紐と房 (かざりひもとふさ)
化粧綱とも呼ぶ。紫や朱、金の豪華な綱でできている。

祭礼渡御中に風雨に遭うと収納作業の陰干しが重要となり、手順を誤ると数百万円の制作費がかかり、 木遣頭や氏子整備担当者の陰に隠れた腕の見せ所なのです。

神田明神の木遣の番印半纏。07.05.12.


頭 (かしら)=鳶職・木遣を参照
徳川八代将軍の時代、江戸に誕生した町火消しの統領、鳶職の親方をさす。
勇敢で機敏、 技術に優れた鳶と呼ばれる建築労働者を中心に選ばれた町火消しは、義勇消防の担い手。 また町の世話役でもあり、祭りにも欠かせない存在でした。

現代でも祭礼の準備や仕度ではその役割は大変重要なのです。
祭礼の一ヶ月前から、軒提灯の注文取り、取り付け、注連縄張り、御幣付け、お神酒所、 御仮屋などの設営、そして最後はお神輿の担ぎ棒締めです。 一度締めたら絶対に緩まない締め方は、これぞ伝承の技なのです。

形代 (かたしろ)
みそぎ、お祓いなどに用いた紙の人形(紙を人の形に切り抜いたもの) 川や海に流して身代わりに使います。
また、神を祭るとき、神霊の代わりとして据えたもの。

十二社熊野神社。'09.09.20.
熊野神社の千鳥担ぎ

富岡八幡宮二之宮神輿。06.08.13.
富岡八幡宮わっしょい

荏原神社の城南担ぎ。'07.06.03.
荏原神社の城南担ぎ

行徳担ぎ。'09.10.11.
伊勢宿豊受神社

川崎道祖神の横田担ぎ。'09.11.01.
川崎道祖神横田担ぎ

茅ヶ崎湘南濱降祭。'09.07.20.
茅ヶ崎湘南ドッコイ担

御霊神社の鳴閂担ぎ。'07.05.18.
京都御霊神社の鳴閂
担ぎ方 (神輿の担ぎ方・掛け声)
○千鳥担ぎ。
 関東では珍しい担ぎ方で東京熊野神社で担がれる。 担ぎ声は「おいさ、ちょいさ」 先棒(はなぼう)の担ぎ方が特徴で、 肩に入れるのではなく、首の後で受け止め、両手を添える。 腰は折らない。足をチョイチョイ出して進む。千鳥足の如く…
  参照: 十二社熊野神社

○四ッ谷担ぎ・さっさ担ぎ。
 大枠は千鳥担ぎと同じです。四ッ谷須賀神社の担ぎです。 「さっさっさっさ…おいさ」の担ぎ声で始まります。 ご多分にもれず担ぎ手が少なく、睦によっては、江戸前担ぎをしています。

○わっしょい担ぎ。
 「わっしょい、わっしょい」で並足で揺らさない平担ぎが全国で一番多い。
近年は神輿同好会等の影響で「オイサ」「セイヤ」「ソイヤ」が増えている。 浅草三社祭・鳥越祭り・神田明神祭など、東京の祭礼の殆どはこの担ぎ方となっている。
わっしょい = 和を背負う(しょう)重いお神輿を担ぐには、担ぎ手みんなの和が大切です。 「わっしょい・輪一処」とは、皆で輪になって力を合わせるという意味で、 お神輿を担ぐ掛け声「わっしょい」の語源となったとか。
朝鮮語の「ワッソイ」が転訛したものと考えられています。 ワッソイは「来ました」と言う意味です。つまり「わっしょい」は「神様が来ました」と言っているとか。 何故それが朝鮮語かは、神社は朝鮮半島を経由して日本に伝わったと考えられているからです。

○城南担ぎ。 参照: 荏原神社。
 「ちょいちょい」の掛け声で神輿の胴の脇に括り付けられた大拍子(太鼓)と篠笛の拍子(リズム)に合わせ、 揉みながら担ぐ独特な担ぎで、 カニのように横に広がっている感じ。長いトンボが6本。必ず太鼓が付いています。 担ぎ手は進行方向ではなく神輿に向かって担ぐ。神様にお尻を向けては失礼だからだそうです。
小刻みに激しく神輿をもむのですが、さざなみに揺れる小舟を表現したものと言われ、 いかにも旧猟師町という担ぎ方です。 旧東海道品川宿に端を発し、旧東海道沿線の鮫洲・濱川などの旧猟師町をはじめ、 旧池上道沿線の大井・大森、そして大崎・五反田・戸越でも見られますが、 限られた地域内でさえも数が少なく貴重な担ぎ方と言えます。

○行徳担ぎ。 参照:  伊勢宿豊受神社
 行徳近辺(千葉県市川市)では神輿を差し上げ、空中に放ったり、 地面にギリギリまで降ろしたりする行徳担ぎなどがある。

○深川担ぎ。
 深川担ぎは平担ぎ「わっしょい」の他に神輿を揉み、次に差し上げる担ぎ方が有る。 掛け声は「もーめ もーめ」「さーせ さーせ」。

○横田担ぎ。  参照:  川崎道祖神の横田担ぎ
 東京羽田地域 羽田神社、大田区六郷神社。担ぎ声は「横田でおいで〜おいっち、にい、さん」を合図に、 豪快に神輿を左右に振る。縦棒をささえ、横棒を激しく上下に振る担ぎ方。 脇棒の担ぎ手は、腰を落としそしてジャンプと繰り返す。

○湘南担ぎ。どっこい担ぎ。  参照:  茅ヶ崎湘南濱降祭
 箪笥金具の音頭にのせて「どっこいどっこい、どっこいそりゃ」などの掛け声(湘南甚句)に合わせて、 ゆったりとしたテンポで膝を大きめに屈伸して担ぐ。

○せり担ぎ。
川崎特有の担ぎ方で、担ぎ手は神輿に背を向け、体を棒に預けて力を胴に集中させる超ハードな担ぎ方。
要所では地面スレスレまで「絞込み」、再度持ち上げる様は実に壮観です。

○京都などでは八坂神社の祇園祭を中心に「ホイットー、ホイットー」と掛け声を掛けながら、 ひたすら前進したままでシーソー状に激しく神輿を振り回す。 担ぎ棒の前後に取り付けたナリカンと呼ばれる特殊な金具の鳴り物を激しく打ち鳴らすのが特徴である。
  参照:  京都御霊神社の鳴閂(なりかん)


花園神社唐破風の新宿園町会神輿。07.05.27.



唐破風 (からはふう)
唐破風は、日本特有の形式で、切妻のむくり屋根の先に独特のフォルムの破風板が付けられる。 城郭建築や、近世の寺院などで多く見られる。装飾性は非常に高い。 大きな邸宅の玄関としてつけられることもあり、現在の和風住宅でも稀に付けられることがある。

唐破風には向唐破風と軒唐破風の二つの形式がある。

向唐破風は、出窓のように独立して葺き下ろしの屋根の上に千鳥破風のようにして造られる。 出窓として造られるものもあるが全くの飾りとして造られることも多い。

軒唐破風は、軒の一部にむくりをつけるか、むくりをつけた切妻に付けて造られる。 寺社建築などでも見ることができる。
神輿の唐破風は殆んどが軒唐破風です。

唐獅子 (からしし) 参照:獅子頭
獅子とはライオンのこと。アッシリアやインドでは王や仏の守護動物とされ、 獅子を美術的に装飾化したもの。
伎楽 (古代日本の寺院屋外で供養として上演された無言仮面舞踊劇)
舞楽 (管楽器と絃楽器(+打楽器)による雅楽の合奏で舞う)
行道 (お練り獅子のことで、祭礼行列の先頭を行き悪霊を威圧し道を治める露払い)
    などの獅子はその様式化されたものです。

獅子と言えば古来日本では猪(いのしし)、鹿(しし)などの食用獣類を 「しし」といったので、 これと区別して唐獅子 (外国の獅子の意)という。

神と仏 (かみとほとけ)

神とは人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以ってはかることのできない能力を持ち、 人類に禍福を降ろすと考えられる威霊。
日本の神話に登場する人格神。

仏とは悟りを得た者。仏陀(ぶっだ=悟りに達した人をいう。覚者、智者)。
死者またはその霊。ほとけのように慈悲心の厚い人。

烏森神社境内の幟旗の社紋。08.05.05.
烏森神社の社紋の烏

烏森神社千貫神輿の蕨手の烏。08.05.05.
烏森神社蕨手の烏


神の使い (眷属・けんぞく)
神または神社に付属して、その使いとなるといい伝える諸種の動物で、 日吉の猿、八幡の鳩、稲荷の狐、春日の鹿、熊野の烏、大黒天の鼠、や牛等で神その者ではない。
(神の使い眷属) つかわしめ。白狐とは、年老いた狐のこと。

神の使い 系列神社名 神の使い 系列神社名
愛宕神社 天満宮・菅原神社
天神神社・北野神社
出雲神社・住吉神社 三島神社・三島明神
御嶽神社・御岳神社 松尾神社
厳島神社 稲荷神社
日枝神社・日吉神社 鹿 鹿島神社・香取神社
春日神社
神明神社・伊勢神宮 八幡神社
諏訪神社・三輪神社 八咫烏 熊野神社
熱田神宮

上野五條天神社の渡御行列の曳き太鼓と金棒。08.05.25. 金棒 (かなぼう)・鉄棒
鉄棒の頭部に数個の鉄輪をつけたもの。

祭礼行列の先頭に立ち、金棒(鉄棒)で渡御の道の路面を突いて鳴らして、 地下に潜む邪気を追い払い、神祭が通る巡行路を清める役割をはたす。

鬼に金棒。(勇猛の鬼に、強い上にもさらに強さが加わることのたとえ)

明治神宮建国紀元祭。08.02.11. 被り物 (かぶりもの)
すぐにかぶれるように結んである手拭いや手拭いをかぶることをいう。

左右を細く、前後に長く結んだ手拭いを、喧嘩かぶり手拭という。
最近の祭礼では夏場の祭りで麦藁帽子を認める神社もある。

鳥越神社氏子町内貼り付けの大相撲。08.06.08.
平成大相撲五月場所

富岡八幡宮の横綱 不知火の碑。08.07.16.
第十一代横綱不知火

富岡八幡宮の横綱 陣幕の碑。08.07.16.
 第十二代横綱陣幕


勧進相撲 (かんじんすもう)
勧進とは、寺院の建立や修繕などのために、 信者や有志者を説きすすめてその費用を奉納させることをいう。

勧進相撲は、京都、大坂、江戸の三都を中心に開かれた。
当時、各地に職業的な力士集団が生まれつつあり、勧進相撲に招かれては出場した。 しかし、戦国時代の気風が抜けきれず、様々な問題を引き起こしたため、 江戸幕府は慶安元年(1648年)に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。

貞享から元禄にかけて、勧進相撲の禁令は随時解かれていき、 江戸でも1680年代に興行制限が大幅に緩和された。 京都では元禄12年(1699年)に岡崎神社で再開されたという記録がのこり、大坂では、 元禄15年(1702年)に現在の南堀江公園(大阪市西区南堀江)で再開されたとの記録がある。

寛保2年(1742年)に江戸で勧進興行のすべてにわたって解禁され、春は江戸、夏は京、秋は大坂、 冬は江戸で「四季勧進相撲」を実施するという体制が確立していく。

1684年(天和4年)、興行は江戸深川の富岡八幡宮境内で行われた。 富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥の地としても知られ、 しばしば境内で本場所も開催された。 このとき、寺社奉行の管轄となったことで、江戸時代のあいだ、 興行は江戸市中の神社や寺院の境内で行われた。
本所の回向院での開催が定着したのは、1833年(天保4年)のことです。

富岡八幡宮境内に横綱力士碑の両脇に安政4年(1857)正月、回向院興行2日目の取り組みの碑が建つ。 この碑は陣幕久五郎が、不知火との生涯忘れえぬ取り組みとして、明治28年(1895)に奉納したものです。
    肥後 不知火光右衛門 (文久3年:1863、第十一代横綱)
    出雲 陣幕久五郎 (慶応3年:1867、第十二代横綱)

日枝神社の山王祭の諌鼓鳥山車。08.06.13.






諌鼓鳥山車 (かんこどり だし)
古代中国において、天子を諫めよう(いさめる)とする人たちに打たせるために、 宮廷の門外に設けたという鼓を「諌鼓」といい、「諌鼓鳥」とは、その諌鼓が打ち鳴らされることがなく、 即ち天下泰平であるため、鳥が留まることから出た言葉とされている。

このことから天下泰平であって欲しいとの願いをこめて、全国的に祭りの山車に「諌鼓」の上に鳥を配した諌鼓鳥の山車がでる。 鳥は鳳凰ではなく、一般的に「にわとり」風の鳥が多い。太鼓は叩かれることはない。

天下祭りが行われていた頃の寛政四年(1792)〜文久二年(1862)の「神田御祭礼番附」や 「山王御祭礼付祭番附」には、必ず山車の一番に大伝馬町の「諌鼓鳥山車」が載っており、 二番の「猿」の南伝馬町とともに山王祭、神田祭、根津祭にセットで参加していたとされる。 山王祭には五彩色の鳥(鶏)を神田祭には白鳥(鶏)を出していた。

現在の東京の神幸祭では、 天下祭りに見られるような大きなものではないが、諌鼓鳥山車が巡行する神幸祭が多く、 天下祭は三六台の山車巡行が呼び物であった。

  
官弊社 (かんへいしゃ)・ 国弊社 (こくへいしゃ)=社格参照
社格の一つ。
官弊社。古くは神祇官から幣帛を捧げた神社であったが、 明治以降は宮内省から幣帛を供進した神社をいう。 大社・中社・小社・別格官弊社の別があった。主として皇室尊崇の神社および天皇・ 皇親・功臣を祀る神社。第二次大戦後、こも制度は廃止となる。

国弊社。国司から幣帛を奉った神社。大社・中社・小社の三等があり、 主に国土経営に功績のあった神を祭る。大戦後廃止となる。

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