歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿だ!神輿事典 「あ・い・う項目」の阿吽(狛犬)天照大神、氏子など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    あ・い・う項目

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武蔵一之宮小野神社末社殿。'10.04.04.
武蔵一之宮の末社殿
相殿 (あいでん・あいどの)
相殿(あいどの=合殿):
 同じ社殿に二柱以上の神を合祀(ごうし)すること。またその社殿。あいでん。

末社: 本社に付属する小さい神社。えだみや。(=境内社)
摂社: 本社に付属し本社に縁故の深い神をまつった神社の称。
 本社と末社との間に位し、 本社の境内にあるものと境外にあるものとがある。

大鳥神社の狛犬は大正5年に建立で子と手毬を抱える。06.09.10.
大鳥神社の狛犬は溝口の石工内藤慶雲の名作です。06.09.10.
阿吽 (あうん) =狛犬 (こまいぬ)の項参照。
阿吽(狛犬)もとは高麗犬といい獅子と一対であったが、あわせて狛犬と総称するようになりました。 大陸より伝来したもので、いかつい形相で邪気を祓う意があります。
宮殿入口などの鎮子として古典などにもしばしば登場します。「阿吽(あうん)」の姿になっており、 左右の狛犬には多少の違いがあります。
片方が口を開け片方が口を閉じるなど様式は様々です。  「阿吽(あうん)の呼吸」
阿吽: 梵音のアとフームの音写。
   阿は口を開いてだす最初の音。吽は口を閉じて出す最後の音。

    密教(7世紀後半インドで成立した仏教の流派のひとつ)では阿は万物の
   原因(理) 吽は万物の結果(智)とする。

寺の門や神社にある仁王や獅子、狛犬などは阿吽を表す。

四隅に青竹が立つ五條天神の上野町会のお神酒所。08.05.25.




青竹
主として地鎮祭など、外で行われるお祭りのときに、四隅に立てられる青竹のことを「忌竹」(いみだけ) といい、「斎竹」とも書きます。

外でお祭りを行うときには、その場所に神籬(ひもろぎ:一般に榊に紙垂を付けたもの)を立て、 そこへお祭りにゆかりのある神に降臨してもらうのです。
神は清浄であることを第一としますから、降臨いただく場所は、祓い清められた清浄な聖域でなくてはなりません。 そのために、忌竹を立てて注連縄を張り巡らし、聖域であることを示すのです。

竹は日本列島に広く自生するイネ科の常緑植物です。古来から、竹の青々とした色とまっすぐに天に伸びる姿は、 日本人に好まれてきました。そして、竹も榊と並んで清浄な植物の1つとされているのです。

天照大神 (あまてらすおおみかみ)=天照皇大神
伊弉諾尊 (いざなきのみこと=日本神話で天つ神の命を受けわが国土や神を生み、 山海・草木をつかさどった男神で天照大神・素盞鳴尊の父神) の女(むすめ)。

高天原 (たかまのはら=天つ神がいたという天上の国) の主神。
皇室の祖神。大日靈貴 (おおひるめのむち=天照の原始的名称)とも号。

日本神話中の最高神で、太陽神と皇祖神の二つの性格をもつ。
素盞鳴尊 (すさのおのみこと) 月読命 (つきよみのみこと)とともに三貴子といわれる神々のうちの一人。

日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされる。
    『古事記』においては天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
    『日本書紀』においては天照大神と表記される。

伊勢神宮においては、通常は天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)、 あるいは皇大御神 (すめおおみかみ)と言い、 祭事の際神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)などとも言う。

    お江戸八百八町: 行灯(あんどん)と蝋燭(ろうそく)

当時の照明器具は行灯で、蝋燭は贅沢品であった。行灯は油を入れた皿に 灯芯を浸し、そこに火をつける。油皿の周りを和紙で囲むために、 現代の電球60ワットの約百〜二百分の一ぐらいの明るさです。

江戸の庶民はこの暗さの中で読書や夜なべの針仕事などをしていた。 また油はイワシなどの臭いがひどかった魚油であり、菜種油は高級品で民には使えなかった。

行灯の火を落として床に就くのが20時ごろで、戦国時代にハゼの実から蝋を取る技術か開発され、 蝋燭を使った提灯があったが、原則夜間の外出を控えていたので日常的には使用しなかった。 当時ハゼの木蝋は四国伊予地方が名産地であった。

三崎稲荷神社の衣装ポスター。08.05.05.

衣装 (いしょう)
祭り衣装には基本があります。
「鉢巻」、袖が広く桁が八分袖で動きやすい「ダボシャツ」、ポケットが付いた腹掛け「ドンブリ」、 身体にフィットした動きやすいズボンの「パッチ」は腹掛けの色と合わす、 「地下足袋」、丈夫で軽くて動きやすい「わらじ」。 もちろん揃ってなくてもいいのですが。

一番重要な「半纏」 は各会で揃いにするのが基本です。「帯」 は細めの帯です。

持ち物には、「扇子」 肩下げ「ポジェット」 腰下げ「巾着」 「手拭い」が必須うです。

一本締め
神輿を担ぎ始める際と、担ぎ終わった際に拍子木に合わせて行う。

最初に「イヨー」と掛け声をかけ3回・3回・3回・1回手を打つ。 3回・3回・3回・1回は、3が3回で九になり、もう1回手を打つと九に点が打たれて「丸」になり、 「丸く納まる」の意味になるからと俗に言われている。 10回手締めであるところから十締め (とうじめ)とも呼ぶ。
最近よくやる「イヨー、ポン」は、「一丁締め (いっちょうじめ)」や「関東一本締め」と呼ばれるもので、 「一本締め」と混同されるが一丁締めは略式の手締めである。

伊勢神宮 (いせじんぐう)
伊勢神宮 (いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神社。
神社本庁の本宗 (ほんそう)とされ、正式名称は神宮。 ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。 神道の神社では別格とされ、格付けはされない。

建物は皇大神宮 (こうたいじんぐう)と豊受大神宮 (とようけだいじんぐう)からなる。
 通常は皇大神宮を内宮 (ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮 (げくう)と呼ぶ。
   内宮は天照大神 (あまてらすおおみかみ)を祭り、
   外宮は豊受大御神 (とようけのおおみかみ)を祭る。
近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。

伊勢神宮の起源は、倭姫命(やまとひめのみこと)日本神話中の登場人物による。
(第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。また日本武尊の叔母とされる)

第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の後を継ぎ
天照大神の「御杖代(みつえしろ、神の意を受ける依代)」  として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、 神託により現在地に伊勢神宮を創建したとされる。

倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢神宮を建立するまでに八咫鏡を順次奉納した場所は元伊勢と呼ばれる。 後に、蛮族の討伐に東へ向かう日本武尊に天叢雲剣を与えている。

神宮の本殿などは、20年ごとに全く同じ形で建て直される。
これを神宮式年遷宮 (じんぐうしきねんせんぐう) (単に式年遷宮、正遷宮などとも)という。
これは、第一に社殿の清浄さを保つためで、 掘立柱建物である伊勢神宮の建物としての耐用年数と関係がある。 他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。

建て替えられたあとの古い建築材は、神宮内の他の社殿や施設に使用したり、 日本各地の神社に譲り渡されたりして再利用される。

武蔵之国一之宮
武蔵之国一之宮
一之宮 (いちのみや)
神社の社格で平安時代の頃、日本の諸国それぞれの国内で第一番の地位をもった神社を「一宮」としました。 原則一国に一社。

国司(現在の知事の役割)は勤める国の主要な神社にお参りすることが決められており、 まずお参りするのがこの一之宮だったそうです。
また国司は神社の管理やおまつりを行う役目もあったといいます。
写真は武蔵之国の一之宮である小野神社の境内は、昔の栄華を今に伝えている。

日本の髪型の銀杏返し。
日本髪型の銀杏返
鳥越神社の手古舞の髪型。08.06.08.
手古舞男装野郎まげ
銀杏返し (いちょうがえし)

女の髪の結い方で江戸末期から江戸市中の少女の蝶ちょう髷(まげ) から起こった髪型であったが、明治以降は中年向きとなる。

髷の毛を二分して根の左右に輪を作り、毛先を元結で根に結ぶ。 この根を低く取ったのを根下り銀杏といい、芸者などが多く結った。

銀杏崩し (いちょうくずし)
髷(まげ)の中に浅葱(あざみ)または紫の無地の縮緬(ちりめん)を巻き込んだもの。 もと江戸少女の髪型。

写真下は鳥越神社の渡御行列に参列の手古舞の男装のために男髷を結った「野郎まげ」です。 なかなか粋なものです。

稲荷神社 (いなりじんじゃ)
祭神は倉稲魂神 (うかのみたま)、佐田彦神(さたひこのかみ)、大宮女命(おおみやのめのみこと)の3神に、 摂社の田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)の2神を加え、稲荷五所、稲荷五社大明神と称する。

和銅4年(711) 奏公伊呂具 (はたのきみいろく=秦氏)が鎮守神として創始した。
全国稲荷神社の総本社は京都市伏見区稲荷山にある元官幣大社。
朝廷は賀茂・松尾・稲荷の3社を京都付近の信仰の中心とした。 また二十二社 (長暦3年・1039年に後朱雀天皇が制定した大小神社の首班で京都の22の各社)の一つ。
鎌倉時代には衣食住の神として、 近世以降は、各種産業の殖産興業の守護神として、全国に分祀・末社がつくられ一般の信仰を集めた。 今は伏見稲荷大社(稲荷大社とも)と称する。

※ 秦氏(はたうじ) 漢氏(あやうじ)と並ぶ古代の有力な渡来人系氏族。

応神天皇(在位西暦270〜310年)の世に秦(しん)の始皇帝の子孫と称する弓月君 (ゆづきのきみ=秦氏の先祖とされる) が帰化したと伝えられている。
おそらく楽浪(らくろう)郡滅亡後、南朝鮮にいた中国人が5世紀初めごろ渡来したと考えられている。 機織(はたおり)の技術を伝え、各地の秦の統率者として朝廷に仕え、財政事務にもたずさわった。

波除稲荷神社。'08.06.07.
波除稲荷神社
居囃子 (いばやし)
氏子町内などに臨時の舞台を作り、祭囃子の演奏や所作をすること。

居囃子が盛んな祭り(三社祭・山王まつり・川越まつりなど)と、ない祭りがある。

    お江戸八百八町: 粋(いき)と鯔背(いなせ)

粋はもともと意気のことで、元気があって色っぽく垢抜けて新しもの好きをいう。 さりげなさが身上で、わざとらしく格好をつけるのは野暮天とさげすんだ。

鯔背はさらに気ッ風がよく威勢がよいものを指す。 粋は色っぽい風情があるが、鯔背は半纏を着て、ねじり鉢巻をしめた威勢のよさ、野蛮な雰囲気がある。

「粋の深川、鯔背の神田」とは、遊興地のあった深川は色っぽさがあり、 職人の多い神田は男っぽく威勢がいいことによる。

町田天満宮の神の使い牛。06.09.22.
町田天満宮の臥牛



牛 (うし)=神の使い
牛は神ではなく、天満宮の神の使いです。
牛はウシ科の一群の哺乳類の総称。体は頑丈で角を持ち、尾は短い。草などを食い反芻(はんすう)する。

天満宮の祭神は菅原道真 (承和2年西暦845年、京に生まれ、55歳で右大臣になるが、 左大臣藤原時平により讒訴(ざんそ)され、九州大宰府に左遷され、59歳で没)

棺を牛車で墓所へ行くとき、 途中で牛が臥て動かず、仕方なくその場に祀る。それが大宰府天満宮(=天満宮系列神社の本社です)
そのことに因んで、天満宮・天神・北野神社・菅原神社は全て臥牛(ねうし)姿です。

氏子 (うじこ)
氏神と氏子という関係は、生家の氏神や地元の地域にある神社にて氏子入りをすることにより生じる。 お宮参りが産土神 (うぶすながみ)という、生まれた土地の神に対して行われる様に、 多くの場合において、産土神を氏神としていることが多い。 ただし、お宮参りと氏子入りの儀式は必ずしも同一ではない。

氏神と産土神の区別がなくなって以降、実質的にはお宮参りを以って、 氏子入りを意味している場合も多い。よって、お宮参りにおいて、 氏子である証明として氏子札を授与されることが一般化している。

一方で代々に渡って氏神を崇敬したり、祭事に従事する家でない者には、 お宮参りはかなり慣例的に行っている場合が多く、氏子という意識や自覚を持たずにいる場合も多い。 また、婿入りや嫁入りを以って、改めて婚家の氏神に対して氏子入りの儀式をする場合も多い。
最近では、祭事に従事する人口も高齢化し、祭事に加わる氏子も減っているためか、 氏子の務めである神事祭事と崇敬への取り組みも形式的となっているが、 神棚に神璽や氏子守を納め、家中でお供えすることに留めていることも多い。

氏神 (うじがみ)
氏神とは、日本において、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のことである。
同じ氏神の周辺に住みその神を信仰する者同士のことを氏子(うじこ)という。 現在では、鎮守(ちんじゅ)・産土神(うぶすながみ)もほぼ同じ意味で用いられる。 後に、血縁関係にある一族だけでなく、 その氏族とともに生活を営んでいる者をも含めて「氏子」と称するようなった。

室町時代ごろには、氏神の周辺に住み、 その氏神の祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、 氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。

同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、 その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。

氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰している者のことを 「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。

産土神 (うぶすながみ)
生まれた土地の神。
中世以降、生児は初宮参りさせ、氏子入りの承認を受けた。 また誕生日、七五三などに産土詣でをし、旅立ちには暇乞い(いとまごい)をする。

もとは氏神とは異なる地縁の神であるが、同属結合のうすれるに及んで両者は混用され、 ともに村の守護神とされた。
氏神=、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のことである。

日枝神社は徳川将軍家の産土神であったため天下祭りで江戸城参内は71回と厚遇されたが、 同じ天下祭りの神田明神は三回、 また徳川家の産土神の根津神社は天王祭の祭礼に一回のみの参加と、 なぜか処遇に格差があったのです。

大国魂神社の発輿式に使われる馬。07.05.05. 馬 (うま)
神輿の渡御中の駐機の時や神輿庫に神輿を保管する時に使う脚立。

尚神輿が大きくて神輿庫に収めやすくするため、極端に低い馬を使用する神社や、 神輿の台座に直接馬を取り付けた 国領神社のような特殊な神輿もある。


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