歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿事典  「ひ・ふ・へ・ほ項目」の曳き廻しや拍子木、鳳凰など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    ひ・ふ・へ・ほ項目

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銀杏岡神社の曳太鼓と榊と天狗。06.06.04. 曳き太鼓 (ひきたいこ)
本格的な山車の曳行ができなくなった明治末期から作られたとされ、都内を始め、関東各地に多く見られる。 台車に乗り、巴紋の絵柄皮で、上部に鳳凰が乗っている。

祭り期間中は町内の御神酒所前に飾り、適時主に子供神輿と一緒に町内を巡行する。 祭りによっては「曳太鼓」を「山車」と呼んでいる町会もある。

小平神明宮の宮神輿が台車に乗り渡御。07.04.29. 曳き廻し (ひきまわし)
神輿を台車に載せて、曳いて廻ること。

渡御順路が長距離区間の祭礼では氏子町会内でも居住地区外では台車に載せて神輿を移動させる。

特に担ぎ手の少ない神社や、陰祭りの時に、台車に神輿を乗せて、 「曳き廻し」として祭礼を行う神社もある。

神田市場千貫神輿の飾り紐と房。07.05.12. 紐房・房 (ひもふさ)
神輿の軒下の四隅に取り付けた紐房。

四隅の蕨手に絡ませた飾り紐の端にぶら下る房で、 神輿の渡御中に房の揺れで担ぎ手の息が合っているかが分かる。

鳥越神社の熱気むんむんの担ぎ手に木が入る。07.06.10. 拍子木 (ひょうしぎ)
二つ打ち合わせて鳴らす四角い柱形の木。

神輿渡御時に担ぎ手達の拍子を取ったり、高い踏み台や脚立に乗り渡御の開閉の合図に使用する。

素材の樹種は欅(けやき) 桜(さくら) 樫(かし) 楢(なら) 椋(むく) 楓(かえで) 等で作られるが、響きの良い堅木が中心です。

国領神社のひょっとことおかめ。07.10.07. ひょっとこ
(火男)のなまり。本来は火をつかさどる神で西日本では荒神(こうじん) 東北では竃(かまど)に土製の面をかけひょっとこ(火男)とう。家々の竃の神です。

片目が小さく口のとがった男の滑稽な仮面。その仮面をかぶって踊る滑稽な踊り。
里神楽のひょっとことお亀(お多福の仮面)は道化役です。

    お江戸八百八町: 火消し (町火消し・大名火消し・定火消し)
江戸八百八町には、町火消し、大名屋敷の大名火消し、武家地の定火消し、 があったが享保時代には江戸の人口が百万人と世界最大の都市となっており、 大名や幕府直轄の火消しだけではとても町屋の火事処理は不可能であった。

8代将軍徳川吉宗の享保五年(1720)に江戸南町奉行・大岡越前守忠相が町奉行配下で鳶職を主力にした 1つの町に30人の火消しを揃え隅田川以西に 「いろは48組」。隅田川以東に 「南北中16組」を組織させた。

富岡八幡二之宮の風鐸。08.08.17. 風鐸 (ふうたく)・風鈴
神輿の屋根下の四隅などに吊り下げてある鐘形の風鈴のこと。
渡御時には落下破損を防ぐために、通常は瓔珞と共に取り外される。

神田市場千貫神輿の彫金が見事な吹き返し。07.05.12. 吹き返し (ふきかえし)
神輿の屋根の四面の軒先に付けられた軒先をそり返したような飾り金具。

この吹き返し部分には縁起物の鶴や亀、七福神や神社由来縁起などが彫金されている。

品川神社の富士塚。'13.06.09.
 品川神社の富士塚




富士塚 (ふじつか) (富士信仰)
霊峰富士山の信仰による。特に浅間大神が鎮座するとされた山頂部は神聖視された。 噴火を沈静化するため律令国家(奈良時代) により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。 (奈良平安時代に富士山の延暦噴火が続く)。

富士信仰(富士浅間信仰)は富士山の神霊として考えられている浅間大神を祀る神社である。 全国に1300社ある。富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)を総本宮としている。
富士講(相互扶助的な団体)。藩外へ出られぬ江戸庶民の富士登山(富士詣)で公然と認められた旅行である。
富士塚(ふじづか)は、富士信仰に基づき、富士山に模して江戸市中に造営された人工の山や塚である。

    お江戸八百八町: 奉行所三大名奉行
江戸町奉行は寺社奉行・勘定奉行とあわせて三奉行と称された。 他の二奉行と同様評定所の構成メンバーであり、幕政にも参与する立場であった。 基本的に定員は2人である。初期は大名が任命され、以後は旗本が任命された。 旗本が任命されるようになってから以降の町奉行の石高は3000石程度であった。
その職務は午前中は江戸城に登城して老中などへの報告や打ち合わせを行い、 午後は奉行所で決裁や裁判を行なうというもので、夜遅くまで執務していた。時代劇でもお馴染みの名奉行は。
 南町14代 大岡越前守忠相  享保2年(1717)〜19年間
 南町26代 根岸肥前守鎮衛  寛政10年(1798)〜17年間
 南町33代 遠山左衛門尉景元 弘化2年(1845)〜7年間
         (先に北町奉行を担当した。天保11年(1840)〜3年間)

片瀬海岸海中練成渡御。08.01.20.
きりりと締めた六尺褌






褌 (ふんどし)
広辞苑による「男子の陰部をおおい隠す布。たふさぎ。したおび。ふどし」とある。 「ふんどし」は、昔の男性の下着であった。
今の下着は、「パンツ」、「ブリーフ」、「トランクス」など形状により一つの呼び名しかないが、 “ ふんどし ”の呼び方にはいろいろあった。
  越中ふんどし: 長さ1mほどの手拭い状の布の一端に紐を附けたふんどし 。
  六尺褌:    長さ6尺の晒木綿を使って締めるふんどし 。
  しめこみ(締め込み):  力士が相撲をとるときに締めるふんどし 。
  したおび(下帯):  装束の下、小袖の上に締める帯 。
  へこ(褌):   ふんどしに同じで九州・中国地方で使われる 。

相撲取りのふんどしでも、「まわし」、「締め込み」、「ふんどし」があり、「ふんどしかつぎ」 などと見下げたいいかたにも使われているケースもある。 今では一般にふんどしを着用する人は少ないが、祭りには神輿の担ぎ手の衣装の一つとして多く見られる。

    お江戸八百八町: 褌(ふんどし)
六尺褌はすでに中世の農民が着用しており、江戸時代には職人はじめ男達はみな長い六尺(1.8メートル) 褌をキリリと締めていた。素材は古くは麻布、江戸時代は木綿を用い、 上層階級や通人は縮緬や緞子(どんす)などを用いた。
越中褌は慶長のころにできたらしい。六尺褌の半分ほどの長さで、布に紐を通し前に垂らすだけだから、 力仕事にはゆるみ労働に適さず、僧侶や老人が着用した。 越中褌が普及したのはズボンを穿くようになった明治以降である。
江戸時代の庶民には、その褌も貴重品で銭湯で盗まれることも多く、 頭上に手拭でくくりつけて湯船につかることもあった。行き倒れがいると褌から盗まれたといわれる。

幣帛 (へいはく)
神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。
中国で古来から進物、礼物にきぬ(帛)を贈ることから称される。

幣(ぬさ)、幣・幣帛(みてぐら、みてくら)ともいい、 布帛(ふはく、織物)・紙・玉・衣服・酒・武具・神饌・貨幣・器物・獣類などがある。
現在では、御幣も含む。また、幣束も同意味で使われる。

幣束 (へいそく)
幣帛と同じ神に供えるささげるものに使われる他に、 御幣と同じように祓の際に使われる裂いた麻や細長く切った紙・ 布を細長い木の幣串(へいじ、へいぐし)に挟んだものをいう。

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野口八坂神社の別当寺の正福寺地蔵堂
別当 =別当寺(べっとう)
神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のこと。 神前読経など神社の祭祀を仏式で行う者を別当(社僧ともいう)と呼んだことから、 別当の居る寺を別当寺と言った。神宮寺(じんぐうじ)、神護寺(じんごじ)、宮寺(ぐうじ、みやでら)なども同義。
別当とは、すなわち「別に当たる」であり、本来の意味は、 「別に本職にあるものが他の職をも兼務する」という意味であり、「寺務を司る官職」である。
神仏習合の時代には、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。
別当寺が置かれた背景には、戸籍制度が始まる以前の日本では、寺院の檀家帳が戸籍の役割を果たしたり、 寺社領を保有し、通行手形を発行するなど寺院の権勢が今よりも強かったことがあげられる。 一つの村に別当寺が置かれると、別当寺が、村内の他のいくつかの神社をも管理した。神仏にかかわらず、 一つの宗教施設、信仰のよりどころとして一体のものとして保護したのである。

別表神社 (べっぴょうじんじゃ)
昭和21年(1946年)の神社の国家管理の廃止に伴い公的な社格の制度(近代社格制度)が廃止されたため、 それに代わるものとして昭和23年(1948年)に定められた。
社格制度廃止後は、全ての神社は対等の立場であるとされた(伊勢神宮を除く)。
しかし、旧の官国幣社や一部の規模の大きな神社については、 神職の進退等に関して一般神社と同じ扱いをすると不都合があることから、 「役職員進退に関する規程」において特別な扱いをすることと定めている。その対象となる神社。
人事の面で以下のような特別の扱いがされる。

○一定以上の基準に達すれば宮司の下に権宮司を置くことが認められる。
○宮司・権宮司は明階以上の階位を有する者でなければ任用されない(一般神社では権正階以上)
○禰宜は正階以上の階位を有する者でなければ任用されない(一般神社では直階以上)
○権禰宜は権正階以上の階位を有する者でなければ任用されない(一般神社では直階以上)
○宮司・権宮司の在任中の身分は特級、一級・二級上以外の者は二級とする
○宮司・権宮司の任免は各都道府県の神社庁長の委任事項としない(神社本庁統理の直接任免とする。)

当初の別表神社は旧官国幣社のみであったが、昭和26年(1951年)に「別表に掲げる神社選定に関する件」という通達が出され、 官国幣社以外で新たに別表神社に加える神社の選定基準が示された。それは以下のものである。

由緒 。社殿・境内地などの神社に関する施設の状況 。常勤の神職の数。 最近3年間の経済状況。 神社の活動状況。 氏子崇敬者の数および分布状況 。

東京都下では以下の神社である。
日枝神社、大國魂神社、東京大神宮(東京都千代田区) 富岡八幡宮、乃木神社、神田神社、 東郷神社、大宮八幡宮(東京都杉並区) 井草八幡宮(東京都杉並区) 湯島天満宮 。

神田明神大神輿の大鳥の鳳凰と蕨手の小鳥も同じ彩色。06.05.14.


鳳凰 (ほうおう)
神輿屋根の中央の露盤上に飾る大鳥を鳳凰という。
古来中国で、麒麟(きりん)、亀、竜と共に四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥。

形は前は麒麟、後は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、顎(あご)は燕、嘴(くちばし)は鶏に 似て、五色絢爛、声は五音。梧桐(あおぎり)に宿り、竹実を食い、醴泉(れいせん)を飲むと伝える。

聖徳(せいとく)の天子の兆として現れると伝え、雄を鳳、雌を凰という。

奉賛会 (ほうさんかい)
神社の祭礼に積極的に参加して、祭礼の全てを謹んで賛助する会。

氏子を多く抱える大きい神社では、お膝元の宮元だけではなく、 各氏子町会や町会以外の広範囲の区域から参加して賛助する会。

神田明神一之宮鳳輦。07.05.12.


鳳輦 (ほうれん)
鳳輦と神輿とどちらも神が乗る乗り物です。 大きな違いとしては神輿は「輿」で人がかつぐもので、車などはついていません。 鳳輦は「車」で(台車)で曳くものです。

鳳輦の鳳(ほう)とは、四瑞(麒麟・亀・竜・鳳凰)として尊ばれた中の一つである鳳凰の雄をいう (雌は、凰)。輦(れん)は、天子の乗物、手ぐるま、腰車をいい、鳳輦・葱花輦・輦輿、輦車・歩輦などと使われる。

字の意味から神社の鳳輦といえば、屋形の上に雄の鳳凰をつけた輿で、神さま(御神体・御霊代)の乗物をさします。 また、鳳輦は、鸞輿(らんよ)、鳳輿ともいう。

本社神輿 (ほんしゃみこし)
神社が所有する神輿で、神社の御神霊を乗せて渡御する。 また神社には本社、摂社、末社とあるが本社の神輿をいう。
すべての神社の神輿を宮神輿ともいう。

一般に本社神輿が一基の場合は、あえて駒札を掲げない。まれに「御本社」「宮神輿」「***神社」 等を掲げる神輿もある。

神社が1〜3基等複数を所有し、合祀されている神体を別々の神輿に乗せ、 「一之宮」「二之宮」などと呼び駒札を掲げて渡御をする神社もある。

品川神社では、古い神輿も残されており、その多くは由緒ある神輿であり、 渡御せず飾り神輿として展示される。

本務神社と兼務神社
神主には、自分が主に務める本務神社があり、常日頃はここに常駐しているのが一般的です。 そのほかに、常にはいませんが、年に数回のお祭りの時などに、ご奉仕する兼務神社があります。本務神社は基本的に一社であるのに対して、 兼務神社は複数である場合がほとんどです。
神主がいない神社でも祭事が行えるのはこうした事情によるのですが、基本的にはその神社の氏子の組織力で運営されています。

本祭り (ほんまつり)
江戸天下祭において、祭りの執行には費用がかかるため、幕府の命により山王祭と神田祭を隔年に行ったことに始まる。
天下祭の当番の年の祭りを「本祭」、当番でない年の祭りを「陰祭」といった。

現在も東京では隔年〜3年毎に行う祭りが多く、陰祭は、基本的には神事のみであるが、 神幸祭がない、本社神輿が出ない、町神輿の渡御も数が少ないなど、 寂しいながら行われる祭りが多い。


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