歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿だ!神輿事典  「つ・て・と項目」の手古舞や天下祭り、鳶職など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    つ・て・と項目

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神田祭の鬼の首・大江山凱陣。07.05.12.
曳物の鬼の首の大江山凱陣







附け祭り(つけまつり)
江戸時代の天下祭の神田祭には各町より華麗な山車が36本も出され、多くの人々の目をひきつけた。 しかし、それに負けず劣らず「附け祭り」と言われた出し物が人気を博しました。
附け祭りとは、曳物(ひきもの)と呼ばれた巨大なはりぼての人形や様々な踊り子が流行の衣装を身にまとい流行の音楽を奏でながら 行列に参加した人々などのことを言い、毎回違う出し物が出されたため多くの見物人を楽しませました。 「附け祭り」の代表的なものには「大江山の鬼の首」や「大鯰」などバラエティーに富んでいていました。


江戸名所図会に描かれた鬼退治でお馴染みの大江山凱陣。 6人の武士が神仏の力を借りて、 大江山を本拠にする日本三代悪妖怪・酒呑童子ら鬼を退治するお話。   江戸名所図会の大江山凱陣。神田明神HPより。

小野照崎神社。'13.05.19. 辻清め・辻祓い (つじきよめ)
祭礼時に巡行する道や辻々の邪や汚れを追い払い清める神事。

狛江市の岩戸八幡神社や大国魂神社の祭礼では、青竹で地面を叩き清める「ささら」 (=簓・竹の端を細かく裂いたもの)神事を行う。
渡御の先頭で金棒で地面を叩くことも清め神事である。

辻祭り (つじまつり)
辻社(つじやしろ=道の辻などにある社)で行った道祖神の祭り。

特に古道や街道の辻つじに祀られた、 集落や村落など土着とのつながりが深い道祖神で現在でも行われる。祭りの原始的なものである。

辻店 (つじみせ)
路傍に出した店。露店。大道店。

    お江戸八百八町 月見: (お月見)
江戸時代には庶民の間で盛んに月見が行われた。 八月の十五日に行われたお月見の名所は、隅田川、綾瀬、鉄砲州、芝浦、不忍池などが好適地であった。 自宅では、団子・お神酒・ススキ・きぬかつぎ(皮付き小芋)などを供える。

テキ屋 的屋(てきや)
的屋(てきや)。 縁日や祭礼等人出の多い所で興行し、商売する露店商人。
いかがわしい品物を売る商人で、やし(香具師)=矢(野)師。弥四とも書く。 狙いが当たれば利益を得るところから、的に矢が当たることになぞらえたもの。

一説に「やし」の「や」と「てき(的)」の親しみや軽蔑の意とを添え合わせた「てきや」

明治神宮建国紀元祭の手古舞。07.02.11.
 明治神宮の冬季の装束
富岡八幡宮の夏衣装の手古舞。06.08.13.
 富岡八幡宮の夏季の装束




手古舞 (てこまい)
手古舞は手木舞とも書かれ「木遣などで梃子を操作する役の梃前(てこまえ)」 あるいは「重いものを大勢で運ぶときに、先頭に立って指揮する人の梃子前(てこまえ)」 などの当て字で、江戸時代の祭礼の余興の舞だといわれている。

また「江戸時代の吉原などの遊郭で、芸者が八月の八朔(旧暦8月朔日ツイタチのこと) の祝いなどで俄(にわか=俄狂言の略で、素人が座敷・街頭で行なった即興の滑稽寸劇) の行列や獅子、屋台の先頭に男装して行った」との説もある。

最初は氏子の娘が扮したというが、あとには芸妓が、男髷に台肘(だいつき)の長襦袢を右肌ぬぎにして、 伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・わらじを着けた男装で、花笠を背に掛け、鉄棒を左に突き、 右に牡丹の花をかいた黒骨の扇を持ってあおぎながら木遣を歌ってみこしの先駆をするようになったという。

祭りの手古舞は、5〜6才から15〜16才の若い娘さんが多く、頭はカツラあり、てぬぐい被りあり、 地毛にリボンなどいろいろある。 重くて暑くてたいへんだという。鉄棒は右に持っており、左手には提灯を持つ祭りが多い。 左右違う柄や色の長襦袢は、片肌脱ぎのイメージか。
深川八幡まつりの手古舞は、辰巳芸者と有志の人たちといわれ、より昔の手古舞に近い姿である。

手締め (江戸締め)
日本の風習の一つで物事が無事に終わったことを祝って、その関係者が掛け声とともにリズムを合わせて打つ手拍子である。 手打ちともいう。祭りや冠婚葬祭などの式典、商談や株主総会などの終わりに行われる。

○一本締め  3回・3回・3回・1回手を打つ。
一般的な流れ 1.「お手を拝借」 2.「イヨーオ」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン. 「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

○三本締め  一本締めを3回行う。
一般的な流れ  1. 「お手を拝借」 2. 「イヨーオ」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン  3. 「イヨー」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン   4. 「もう一丁」 タンタンタン タンタンタン タンタンタン タン  5. 「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

○一丁締め  一本締めの変形として1回だけ手を打つ一丁締めもある。 これは「一本締め」と混同されるが、一丁締めは略式の手締めである。
関東のローカルでは一本締めが広範囲にわたって一丁締めと同じ意味で使われる。
一般的な流れ 1.「お手を拝借」 2.「イヨーオ」 タン 3.「ありがとうございました」 パチパチパチ…(拍手)

日枝神社山王祭で皇居に参内する宮司達。06.06.09.
現在も皇居参内の日枝神社










天下祭り (てんかまつり)
お江戸の三大祭りを指していう。
江戸時代に日本三大祭の一つとされ、徳川幕府の権力の象徴として金銭的援助と統制のもとに行われた、 山王権現の「山王祭」と神田明神の「神田祭」をいう。
両神社の氏子地域は異なるが、両祭礼に神幸行列を出す町内も多かった。しかし、 行列を出す費用がかさむことから、天和元年(1681)に幕府の命により、 両祭が隔年に行われるようになった。

山王祭は、徳川将軍家の産土神であったため、山車と神輿からなる神幸行列は、元和元年(1615)に江戸城へ入ることが許され、 その数は71回におよぶ。

神田祭はその後73年の元禄元年(1688)にやっと江戸城内へ入り上覧を受けているが、 記録では3回しか確認できていない。しかし、神田祭も、年々形を整え盛大な祭りになっていた。

徳川家宣の産土神であった根津権現の祭礼が一度だけ天下祭に参加したことがある。

山王祭・神田祭とも祭礼では、神幸行列が中心であった。 神幸行列は、大きくは神輿行列の部分と山車行列の部分にわけられ、山王祭では、山車行列が先行し、 神輿行列がそれに続いた。
神田祭では、山車行列の間に神輿行列が入った形式が取られていた。

神輿行列に必要な費用は、幕府から支給された。山車や附祭の踊台・地走り踊・練物などの出し物の費用は、 町内が負担した。山車の数は、両祭りともだいたいきまっていたが、附祭の出し物は、最初は制限がなく華美になり、 幕府により規制された。
元和元年(1681)以降、山王祭と神田祭が交互に隔年で行われるようになり、天保の改革(1841〜1843) で規模が縮小された。

烏森稲荷神社の天狗(猿田彦神)。08.05.05.
一本歯の高下駄履く

天狗 (てんぐ)=猿田彦神
元は中国の怪物で、声は砲弾に似るという。 日本では日本書紀に怪音をたてて空を飛来するものを、「流星にあらず、これ天狗(あまきつね)」 と呼んだと出ているのが最初。

平安時代の天狗は、山海経(中国古代の神話と地理の書)のに書かれている天狐で、 彗星あるいは流星を指したとされる。

今日でいう、高い赤鼻で赤ら顔で山伏のような装束、一本歯の高下駄を履き、葉団扇を持ち、 空を自在に飛び、悪巧みする天狗は、中世以降のものとされている。
渡御行列の先頭にいる天狗は、猿田彦神のことである。=鼻高面。参照:猿田彦神

素盞雄神社の天王祭。'08.06.07.
千住素盞雄神社




天王祭 (てんのうさい)=参照:牛頭天王
天王とは牛頭天王(ごずてんのう)の略で、牛頭天王は元来、水の神であったが、 のちに疫病除けの神として崇められた。
医学の発達していなかった昔は、疫病の流行は最大の恐怖であり、ひたすら神仏に祈るしかなかった。
牛頭天王は素盞雄命の本地(仮の姿であり本来の姿)であり、平安時代中期には、疫病除けの神である天王信仰は盛んになり、 京都の八坂神社の祭神牛頭天王が各地に勧請されて、広く信仰され、 疫病が発生しやすい六月ごろには各地で天王祭が行われた。 素盞雄命は荒い神であるので、天王祭も荒っぽく神輿を担いだり、 八坂の祇園祭に習って派手な祭礼が行われた。

江戸の天王祭。(現代も行われている天王祭)
○ 品川天王祭((北の品川神社・ 南の荏原神社)  ○ 千住天王祭(素盞雄神社)
○ 羽村天王祭(八雲神社)    ○ 武蔵村山三ツ木八坂祇園天王祭

富岡八幡宮二の宮の六天棒。'06.08.13.
富岡八幡宮の二の宮
天棒 (てんぼう)
神輿を担ぎ手が肩に掛けて担ぐ棒。二天棒、四天棒、六天棒などがある。

江戸の神輿は、四天棒で担ぐことが基本です。神輿の台の棒穴を通った二本棒に横棒を渡し、 さらに左右に脇棒を付けて渡御を行ないます。
神輿の棒穴と通る棒は漆塗りのものがほとんどで、その前後の先端には神社名や町会名のついた金物が付いています。

天領 (てんりょう)
天領とは江戸幕府の直轄領のこと。幕府の重要な経済的基盤であり、元禄年間(1688〜1704)には四百万石に達した。 全国に分布し、郡代・代官を配置し支配させた。

私領とは大小名の封地のこと。大名・旗本・御家人の領地。
 「加賀藩」前田家 外様大名 百二万石。
 「薩摩藩」島津家 外様大名 七三万石。
 「仙台藩」伊達家 外様大名 六二万石。
 等の大名領は総合計二千二百五十万石。 (総石高の74%)であった。

東京十社 (とうきょうじゅっしゃ)
明治初年に准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)と定められた東京近郊の10の神社のことで、 東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社とした。

東京十社→根津神社、神田明神、芝大神宮、日枝神社、亀戸天神社、 白山神社、品川神社、富岡八幡宮、王子神社、氷川神社 (当初は府中町の六所神社(現大國魂神社)・埼玉県鷲宮町の鷲宮神社が含まれ十二社であった)

ところてん
担ぎ手が先棒を担いだ人から抜けていく担ぎ方。
後ろから順に先棒へと担ぎ手が移動していくようすがトコロテンを搾り出す様に似ているところからついた。

    お江戸八百八町: 東京の郷土料理
握りずし:  江戸前で取れた魚介類を、握った酢飯にのせたのが「江戸前ずし」(=握
  りずし)文化文政時代(1804〜1830)江戸の与兵衛が考案。長時間の発酵を必要
  とせず、手早くでき江戸っ子の性分にあって、あっと言う間に広がった。
天麩羅:  江戸前でとれたシバえび、コハダ、アナゴ、ハマグリ、アサリなどを串に刺
  して、ころもをつけて揚げていた。あまり肉を食べなかった江戸庶民は、肉料理の代
  用として屋台料理の人気料理となった。
二八そば:  (値段が二×八=十六文だったから。小麦粉二に対しそば粉八の割りだ
  ったから。との説がある) 現在の立ち食いそばのルーツです。うどんは関西が主流
  で、蕎麦は成長が早く、荒地でもよく育ち、年二回の収穫可能で農業後進国の関東
  の江戸ではにうってつけでした。

江戸前とは文字通り江戸城の前の海と川のことである。隅田川河口から芝浦、高輪の海をさした。 享保(1716)以降に、そこで獲れた魚を意味するようになった。

渡御 (とぎょ)=神幸祭
神社の例大祭で宮神輿 (本社神輿)が氏子区域を巡行すること。

神田明神の粋な鳶職。07.05.12. 鳶職 (とびしょく)
鳶の者。鳶人足とも。江戸では仕事師、京阪では手伝いと呼んだ。
土木事業の雑役にあたる人夫で、町方の火消し人足も兼ねた。
祭礼では提灯や注連縄、歌舞伎座の櫓や大垂れ幕取り付けなど、年中行事や催しで高所作業も請け負う。 鳶口を用いたためにこの名がある。

鳶職は平日も印半纏にめくら縞(じま)の腹賭け、股引(ももひき)に足袋のいなせな服装で、 火事場には頭(かしら)の統率の下に秩序ある行動をとり、独特の男気があって、 芝居や講談の題材となった。

江戸時代の鉄製の鳶口。 鳶口 (とびくち)
竹や木製の棒の先端に鉄製の鉤(かぎ)をつけ、破壊消防や、木材の積み立て・搬出・ 流送などを行う道具。

0.6〜3Mまで、用途に応じて各種の長さのものがある。鳶職の名はこれに由来する。

富岡八幡宮本社神輿「二之宮」巴紋。06.08.13. 巴紋 (ともえもん)
屋根紋のひとつで、一巴紋、二巴紋、三巴紋がある。

紋章の一種で、水の渦巻とも、雲文、雷文の変化したものともいう。ふくれた部分を首、 細い部分を尾と呼び、二つ巴、三つ巴、組巴、対巴など各種ある。

家紋としては、 公家では西園寺家、武家では宇都宮・小山・結城氏に始まると伝え、鎌倉以降武家で盛隆。

芝大神宮本殿前の大鳥居。07.09.16.
芝大神宮の神明鳥居
下谷神社第一の鳥居。額は東郷元帥の筆。07.05.12.
下谷神社の明神鳥居
平安神宮参道の大鳥居。08.05.31.
平安神宮の24.4Mの大鳥居
笠木長さ33M 柱直径3.63M 鉄筋コンクリート丹塗
昭和4年建造
鳥居 (とりい)
鳥居は神社の象徴となっていますが、これは神社の入り口に建つ門の一種であり、 神様の聖域と人間世界との境界線を示したものだといわれています。
大きな神社ではたいがい二つ以上の鳥居がありますが、その場合は外側にある鳥居から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と呼んでいます。

鳥居の起源についてはいろいろな説がありますが、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸隠れのとき、 鶏(常世の長鳴鳥)を止まり木にとまらせて鳴かせたところ、それによって大御神が岩戸から出てこられたことから、 あるいは天孫降臨の際、鶏が道案内をつとめたから、などといわれています。
以後神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。 また、語源については「通り入る」とか「鶏(とり)居」という言葉が転化したものといわれています。

普通、鳥居の構造は二本の柱と柱の上に乗せた「笠木(かさぎ)」、その下に水平に通された 「貫(ぬき)」という柱から成っています。材質は古くは檜や杉な どを用いた木造でしたが、 後世には石造・銅造・コンクリート造などもできました。
また、一見したところ同じように見える形にも、神明(しんめい)・春日・ 八幡・明神・稲荷・山王・ 両部・三輪などの種類があります。

これらを大別すると、神明鳥居系(笠木に「反り増し」と呼ばれるゆるやかなカーブがない) と、神明鳥居が装飾的に発展した明神鳥居系(笠木に「反り増し」と呼ばれるゆるやかなカーブがある)の二つになります。
全国的に多く見られるのは、後者の明神鳥居系です。

明治神宮で道祖神の神輿振り。08.02.11. トンボ
素盞雄神社の天王祭の大型神輿の神輿振りは熟練の担ぎ手しかできない荒業ですが、 小型の神輿の神輿振りに誰でも行いやすくするために取り付けた横棒をトンボという。
二天棒を中心にして横棒のトンボを左右で上げたりしゃがんだりして、 神輿を激しく左右に振ることができる。

どんと・どんど焼き・左義長 (さぎちょう
地方によっていろいろな呼び方がある。 小正月(本来は旧暦1月15日をいうが、今は1月15日をいう)に行われる火祭りの行事で、 全国的に見られる。
しかし、東京では江戸時代の万治・寛文に火災が多発したため禁止されたため以降廃れた。

1月14日の夜、または15日の朝、神社の境内や田圃などに竹を3〜4本組んで立て、 そこに門松・注連飾りなどを持ち寄って焼く。 その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除くとされる。
道祖神の祭りとされる地域が多い。関東地区では、屋台や山車がでるところもある。


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