歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 神輿雑学事典  「さ項目」の差し上げ、差しきり、猿(神の使い)猿田彦神など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    さ項目

掲載写真をクリックすると拡大写真が表示されます。  

宝田恵比寿神社のべったら市。08.10.19.
恵比寿べったら市


















    お江戸八百八町: 季節を告げる江戸の歳時記 (さいじき)

一月 恵方参り。
 元旦は夜の明ける前からその年の縁起の良い方角、 恵方に当たる神社仏閣に参詣
 するのが恒例。正月の町には万歳、越後獅子、太神楽、猿回しなどが門かどを巡り
 歩き年の初めを祝った。
二月 縁日初午祭。
 稲荷信仰が盛んで、この月最初の午の日には幟や地口行灯を飾り、子供達は一日
 中太鼓を打ち鳴らした。
三月 浅草三社権現の祭礼。
 17日、18日に御輿三基を三艘の船に乗せる船祭礼で賑わった。
四月 亀戸天神の神御衣祭。
 冬の衣を夏の衣に換える行事。境内の藤のお花見も有名。
五月 両国の川開き。
 28日は玉屋と鍵屋の豪華絢爛な花火の競演。この日から大川端での納涼始まる。
六月 天下祭の山王祭。
 十四、十五日は神田祭と隔年で行われる祭礼で、将軍家上覧の山王祭は天下祭と
 いわれた。参加町数は160町、山車は40数台を数えた。
七月 二十六夜待。
 二十六日は月の出を待つ風習があり、深川洲崎、湯島天神境内、なかでも高輪海
 岸から品川にかけての酒楼や茶屋が賑わった。
八月 深川八幡宮の祭礼。
 十五日は八幡様の祭礼で氏子の町々はことごとく大幟を立てるので俗にのぼり祭。
九月 神田明神の祭礼。
 十五日は江戸城中に御輿、練物を引き入れるもう一つの天下祭。山王祭との隔年で
 の行事。
十月 恵比寿講。
 二十日に商売の神様で商家では客を招き酒肴でもてなす。この日から大根の新漬け
 を売りだす。 (現代のべったら祭)
十一月 酉の市。
 吉原裏手の鷲(おおとり)明神が有名であった。
十二月 浅草観音の年の市。
 十七、十八日に開かれ新春を迎えるための品物を買い揃えた。

祭神 (さいじん)
神社にまつられる神。

古代には現実の人間や天皇を祭神とする例はまれで、 氏神や産土(うぶすな)神も人格神ではなく、記紀の神代巻所載の神名を除けば、 延喜式(えんぎしき=神名帳) にある3132座(編集者注:殆んど聞き及ばぬ八百万神の神々です)の神のほとんどは地神 (じがみ=土地の神、同族が集団でまつる屋敷神)であった。

鎌倉時代以降、血縁や地縁に固有の先祖、功労者などが人格神としてまつられるようになり、 この傾向は次第に強まった。
明治時代にも現実の人間を祭神とする宗敬社が多くつくられた。

京都本能寺の木目が美しい賽銭箱。'08.05.31.
京都本能寺賽銭箱

江島神社の神紋の波に三つ鱗の巾着賽銭箱。'13.01.19.
江島神社の賽銭箱

賽銭箱 (さいせんばこ)
元来「賽銭」とは、祈願成就のお礼参りの際に、「報賽」として神仏に奉った金銭のことをいいました。
それが転じて、参拝のときに奉る幣帛(神さまに奉献する物)の代わりとしての金銭を意味するようになりました。 つまり、賽銭とは供え物の一種なのです。

金銭が流通する以前は、拝者は(金銭に相当する物として)米を神前に撒いたり、 あるいは洗米を紙に包んで奉っていました。今でもその名残として、 米の代わりに金銭を紙に包み、賽銭箱に入れる人もいます。

多くの賽銭箱の形状は、長方形で、上部の蓋部分が梯子状になっており、 内部に下向きの板を配して、中の金銭に手が届かない構造になっている。 材質は、圧倒的に木製が多い。
初詣をする人が多い寺社では、 正月期間だけ特大の賽銭箱を設ける。

祭礼 (さいれい)
神を祭る儀式。神社の祭り。祭典。

神田明神境内の紋付き袴に背負った祭礼笠。07.05.12.
神田明神
亀戸香取神社。'08.08.10.
亀戸香取神社
祭礼笠 (さいれいかさ)
祭礼の行列に加わり、また山車(だし)に付き添う人などのかぶる笠。

材質はイグサ、スゲ、わらや竹、ヒノキの薄片などが使われ、 季節や地域により笠につける飾りも、花や稲穂、木札等様々です。

日枝神社山王祭の榊。08.06.13.





榊 (さかき)
榊はツバキ科サカキ属の常緑小高木。榊は「神」と「木」を合わせた字ですから、神様に関わり深い木で 神棚や祭壇に供えるなど、神道の神事には欠かせない植物である。
神事で使用される様になったのは、古来から植物には神が宿り、特に先端がとがった枝先は神が降りるヨリシロとして若松やオガタマノキなど様々な常緑植物が用いられたが、 近年はもっとも身近な植物で枝先が三角形で神のヨリシロに相応しい榊や緋榊が定着している。

語源は、神と人との境であることから「境木(さかき)」の意であるとされる。 常緑樹であり繁えることから「繁木(さかき)」とする説もある。

大真榊(おおまさかき)とは、神事の場で祭壇の左右に立てる榊のことです。
家庭の神棚にも捧げられ、月に2度、1日と15日(江戸時代までは旧暦の1日と15日) に取り替える習わしになっている。

先払い (さきばらい)
祭礼行列の先頭に立ち、前方の通行人を追い払い、順路を清める役をする。

戸倉三島神社先触れ太鼓。09.04.19. 先触れ (さきぶれ)
あらかじめ触れ知らせること。まえぶれ。

祭礼行列や神輿の前を、太鼓を打ち鳴らしながら、練り歩くこと。

サクラと田の神様
桜は田の神様の霊が宿る木と言われます。「サクラ」の「サ」は「清浄」をあらわす接頭語とされ、 他に早乙女、皐月、早苗、斎庭(サニワ:神事を行う場)、酒などにも「サ」が付き、 清い意味に加え稲の霊力にあやかった接頭語だそうです。 続いて「クラ」は「蔵」などのクラで宿る、篭るという意味。 清浄な稲の霊力、つまりサ(田の神様)がクラ(お宿り)になる木ということで桜の語源となっています。

サクラの花が開化する頃は丁度農作業が始まる頃で人々は山へ花見に行き、 桜の木の下で飲食を共にすることで「神人共食」をし、里に帰ることで里に神様を降りてきていただく働きがあるようです。 ちなみに、田の神様は農作業を始める頃、山から里に降りてきて田を守り、収穫が終ると山へ帰っていくと考えられています。

深川神明宮の宮神輿の差し上げ。06.08.12. 差し上げ (さしあげ)
神輿を「サ〜セ・サ〜セ」の掛け声で神輿の担ぎ棒を片手で支え上げて、 別の手で担ぎ棒を叩きながら神輿を回転させること。

広い場所で神輿担ぎ手達の技量と度胸を兼ねて、披露される。

富岡八幡宮の仲二の境内での差し上げ。06.08.13. 差し切り (さしきり)
「サ〜セ・サ〜セ」の合図で神輿を差し上げたまま神輿を直進させること。

簡単に見えるが担ぎ手達の息が合わないと、神輿の左右や前後が傾き、綺麗に揚がりません。

meiji-sasiko.jpg(6032 byte) 刺子半纏 (さしこはんてん)
刺子でつくった半纏。火消しが用いる。消防衣。

刺子半纏に鮮やかな刺繍をほどこして防寒着として使用される場合もある。
綿布を重ね合わせて、一面に一針抜きに細かく縫ったもの。丈夫であるから、 現在でも消防服や柔道着などに用いる。さしっこ。

五條天神社の鳳輦を覆う翳。08.05.25.

日枝神社神幸祭の紫翳。08.06.13.
翳 (さしは・さしば)
菅翳・紫翳などの種類がある。
鷹の羽・薄絹などで軍配団扇の形に作り、1丈〜1丈2尺の長柄をつける。

もともと中国から渡ってきたもので、従者が左右から高貴な人の顔を隠したり、 日差しをさえぎるために使用し、権威の象徴とされた。

古式に則った神幸祭の日枝神社や湯島天神等では、祭礼行列には必ず参列し使われている。 宮中の即位式や伊勢神宮でも使われ、伊勢神宮の翳は、柄の長さが13尺(約4m)もある。
また、この翳は団扇(うちわ)の原型ともいわれる。

住吉神社の江戸里神楽。08.08.02.

日の出町の幸神神社の里神楽。'12.03.25.
里神楽 (さとかぐら) 参照「神楽」
禁中の御神楽(みかぐら)に対して、諸社や民間で行う神楽。
また村里で行われるひなびた神楽。

笛、大拍子、長胴太鼓を3名の基本とする囃子に、仮面をつけ、時に素面で古事記、 日本書紀の神話を演じる無言劇の形態をとる神楽の総称。

「里神楽」 日本の民族芸能の一種で「おおかぐら」とよばれ、 さらに大きく巫女神楽・出雲流神楽・伊勢流神楽・獅子神楽に分類される。
これらの流れを汲んだ神楽が各地に存在する。

日枝神社拝殿左の子猿抱える雌猿。05.11.25.
子猿抱える雌猿

日枝神社拝殿右の烏帽子被った雄猿。05.11.25.
烏帽子被った雄猿
猿 (さる)=神の使い
猿は古くから魔が去る「まさる」と呼ばれ、厄除・魔除の信仰を受け又農業の守護神とする信仰が強く、 俗に「さるまさる」といわれ、繁殖の獣として人々に愛され、犬と共に分娩の軽き 安産の神として信仰されます。

猿は集団生活をして特に子供への愛情が強く、母猿はどの子猿にも乳を与えるという性質があるといわれ、 その姿が神猿像に表されており、 夫婦円満・安産・家門繁栄の徳を称え安産・子育・厄除のお守りとして慕われている。

一般にサルは次の原猿類、メガネザル、広鼻猿類、狭鼻遠類、類人遠類と5分類されるが、 単にサルといった場合は類人遠類のニホンザルのみをさす場合がある。
類人遠類は尾がなく、尻だこは多くは退化している。前肢が強大。大脳はよく発達し、知能が高い。

烏森稲荷神社の猿田彦神。08.05.05.




猿田彦神 (さるたひこかみ)=天狗
日本神話に登場する神で、古事記では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、 日本書紀では猿田彦命と表記する。

古事記および日本書紀の天孫降臨の段に登場し、 道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。 そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。

猿田彦の衣装は、頭には鳳凰の頭を象ったという鳥甲(とりかぶと)を被り、 神楽狩衣に大口袴、あるいは、差袴をはく。 赤い顔に長い鼻に長い髭の面、一本歯の下駄を履き、太刀を佩き、右手には仗旗を持つものが多い。 中には、髭がなかったり、下駄が二本歯や雪駄であるなどがある。

祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をするが、道の神、旅の神に由来する。

    お江戸八百八町 粋(いき)で鯔背(いなせ)な三人男
江戸の女性は優柔不断の男を嫌い、与力、相撲、火消しの頭が女性達の理想の三人男であった。
町方にかかわった与力には袖の下の金まわりがよく、相撲取りは力持ち、 火消しの頭は気ッ風が売りだった。
町火消しは当初武家地の消火は許されなかったが、享保七年(1722)に認められ、 時には纏を先頭に消し口を争い喧嘩にまで発展することあり、 文化六年(1809)には神田明神の祭りで火消し同士が激しい抗争繰り広げた。
その後、消火の実力を認められ、江戸城内に入ることも許され、 弘化元年(1844)の江戸城炎上の時は、江戸中の町火消が総出で消火にあたった。
「火事と喧嘩は江戸の華、またその華は町火消し」と称讃された。

元々江戸の女性はいささか気の荒いとかろがあり、 男も威勢がよくないと釣り合いが取れず、粋で鯔背(いなせ)で勇ましい男が好かれた時代あった。

三種の神器 (さんしゅのじんぎ)=鏡・勾玉・剣
八咫鏡(やたのかがみ)
アマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れたとき、このままじゃまずいので石凝姥命が作りました。 アマテラスがちょっと扉を開けたとき、この鏡でアマテラス自身を映し、おびき出しました。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
こちらも岩戸隠れの際、玉祖命がつくりました。八咫鏡とともに榊の木にかけられました。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
スサノオがヤマタノオロチを倒した時、尻尾からでてきました。 それをスサノオはアマテラスに奉納しました。
神器(じんぎ)は神の依り代です。


yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「祭りだ!神輿だ!し項目」にリンク。 「祭りだ!神輿だ!神輿事典トップ」へリンク。