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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 神輿事典 |
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し項目 |
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地下足袋 (じかたび)
足袋から考案された労働用の履物で、じかに履物として使える足袋の意から命名される。
大正11年(1922)に石橋兄弟(後に国産タイヤの先駆者でブリジストンタイヤを創立)が考案して、
関東大震災後の復興作業用として広まった。
甲が紺の厚手木綿、底がゴム、指股があり、こはぜ掛けなので着脱が便利。
最近は底がエアークッション、こはぜが2〜14個と用途に合わせたものもあり、
神輿の担ぎ手達が軽くて丈夫で動きやすいために多用している。 |
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式内社 (しきないしゃ) 延喜式内社を参照
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧である。
延喜式神名帳に記載された神社を、「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、
または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。 |
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式年祭 (しきねんさい)
式年(「式」はさだめの意で式年祭を行う年)とは決められた期間ごとに行われる祭祀のことであり、
神社の祭礼や祖先祭祀において見られ、由緒ある神社の一部では、定まった年ごとに行われる祭祀がある。
神社には一定の年ごとに社殿の建て直し(式年遷宮)をするところがみられるが、
社殿の建て直し自体が祭祀の一環だという見方をしたとき、これも式年祭の一種と言える。
最も有名なのは伊勢神宮式年遷宮で、20年ごとに全ての社殿を建て直し、大規模な祭礼を行うことになっている。
大祭(たいさい)とは、神社において最も重儀な祭祀。例祭、祈年祭、新嘗祭、式年祭、鎮座祭、遷座祭、合祀祭、分祀祭をいう。 |
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示現会 (じげんえ)
示現(じげん)とは神仏が人々を救うため、様々な姿でこの世に現れることをいいます。
浅草寺のご本尊である聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)が推古天皇36年(628)
3月18日にご示現されたことから、それを祝い、毎年3月18日には「本尊示現会」という法要が行われる。
明治の神仏分離以後、寺である浅草寺は3月に示現会、神社である三社権現(現在の浅草神社)は5月に三社祭りとなった。 |
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獅子頭 (ししがしら) 参照:唐獅子
大きな両眼が鋭く左右に広がった「八方睨(はっぽうにらみ)」といわれる独特な風貌を持ち、
一角・牙・大きな耳が特徴とされる。
獅子頭は古くから魔除け・厄除けなど縁起物として、調度品や祝いの贈り物などに広く用いられ、
一町一基の守護として各町会が獅子頭を持ち、その豪華さを競い合ったという。
獅子は魔除けの霊獣であり祭礼行列を守護する役目を果たす。
桐材などから一木彫りされ、白木のものから重厚な漆塗りのもの、大小もまた様々で、
掌に乗るサイズのものから獅子舞に使用する大きなものまで、
それぞれの用途に合わせたものがある。
頭にのった角が尖がった方が雄で、角が丸い方が雌です。
獅子頭を床の間などに飾る時は、獅子の口に太刀を咥えさせる。
この場合、祝い事には太刀の刃を内側に、必勝祈願などのときには刃を外側に向けるのが習わしとされる。 |
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獅子舞 (ししまい)
中国に発する伝統芸能の一つで祭囃子と共に獅子が舞い踊る物である。
古くは唐の時代には存在したという。
獅子頭と前足に1人、後ろ足と背中に1人の2人と楽団で構成されている。
旧正月や商店の開店祝いなどの祝いで「招福駆邪」として演じられる。
写真は一人立の角兵衛獅子(=越後獅子、蒲原獅子)。(子が行った大道芸の一つ) |
四神の北の玄武(亀と蛇)
四神の東の守り神の青竜
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四神 (しじん)=参照:江戸の守り神
中国、古代に信じられた四種の空想的動物。
東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(=朱鳥・すざく)・西の白虎(びゃっこ)・
北の玄武(=亀と蛇の合体・げんぶ)に当て、
おのおの春夏秋冬を配し、また中国天文学では、
天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の四大区画にわけ、
それぞれに四神(四象)を対応付けた。これらを東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀と呼び、
星宿に配当する。
図様は竜、鳳凰、虎、亀に蛇が巻きついたもので示す。
この思想は戦国時代に認められるが、漢代になって、諸種の工芸品に多く描かれるようになった。
楽浪郡遺跡の古墳壁画、日本では奈良高松塚古墳壁画、薬師寺本尊の台座に見ることができる。
(お江戸の神輿には、この四神が吹き返しや台座などに彫金等で多様されている) |
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お江戸八百八町: 自身番 裏木戸、町木戸、大木戸
自身番とは現在の交番や消防署の機能を備えた施設で、初期は各町の地主たち自身が詰めていたので、この名がついた。
後には配下の大家が詰めてるようになったが、その機能は残った。
のちに奉行配下の町制度に組み込まれるが、幕府の公的な施設ではなく、
地元民が金を出し合って維持していた民間の施設だった。
元禄11年(1698)の規定に 「自身番所は夜も戸障子を立ててはならず」とあり、このころには町制度として成立していた。
幕末の嘉永3年(1850)には市中に994箇所もあった。
ときには町内の会議や宴会に使われ、捕り物の際の罪人の留置や取り調べの場になった。
そのため番屋の中には捕り物に使用する突き棒、さす又などや、消火道具の纏や鳶口、竜吐水なども揃えた。
町木戸: 江戸の幹線道路を各町ごとに仕切ったのが町木戸。番人を「番太郎」といい、
給金が少ないため日用雑貨や駄菓子を売っていたため「商い番屋」といわれ庶民からは重宝がられた。
実際には戸がないのが普通だった。
裏木戸: 長屋の木戸で、大家が管理していたが、住人が当番制で開閉していたところもある。
夜の十時ごろには閉められた。
大木戸: 江戸から発する五街道の出入り口に設けられた大木戸は、
本来は人や荷駄の手形を検査する場所で、やがて江戸を出入りする送迎の場となった。
設置判明しているのは、高輪と四谷のみですが。
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品川拍子 (しながわびょうし)
参照:
品川神社北の天王祭
品川神社に伝わる品川拍子は神輿に取り付けた括り太鼓と横笛(大拍子と篠笛)で拍子をとり、
神輿を城南担ぎで揉みながら渡御する。
締太鼓と篠笛での演奏曲目には、寄せ (ヨセ・担ぎ手を集める) 上げ (アゲ・神輿を上げる) 下げ (サゲ・馬を入れるとき)
地 (ジ・渡御時に演奏) 御旅 (オタビ・神輿を差し上げのとき) 納め (オサメ・祭礼終えて神輿を納めるときに) がある。
品川拍子にのり「ちょいちょい」といわれる「城南担ぎ」で渡御するが、
この担ぎ方はもと漁師町であったこの地区独特のもので、波にもまれる舟を表したとも言われ小刻みに激しく神輿をもむ担ぎ方で、
さざ波のように神輿を揺らしたりして担ぎ、
人波の中を行きつ戻りつ進む様は荒波にもまれた船のようです。 |
神奈川藤澤七福神
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七福神 (しちふくじん)
福徳をもたらす神さまを「福神」といい、その代表的なものに「七福神」の信仰があります。
この信仰は、室町時代から起きたものともいわれ、普通は恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人の七神があてられます。
このうち寿老人は福禄寿と同体異名であるという説もあることから、寿老人の代わりに吉祥天を入れることもあります。
七福神は吉祥の象徴として、絵画や彫刻、芸能の題材にもされています。
「恵比寿」(えびす)
(恵比須・夷・蛭子)は狩衣・指貫に風折烏帽子を着け、右手に釣ざお、
左手に鯛を抱える。事代主神や蛭子尊をさすともいわれる。海運守護・商売繁昌の神。
「大黒天」(だいこくてん)
頭巾をかぶり、右手に小槌、左手は背負った大きな袋の口を握り、米俵の上に乗っている。
インドの神であるが、「大黒」が「大国」に通ずるところから、出雲大社に祀られている大国主命と混同される。
福徳の神で、恵比寿とともに広く民間に信仰されている。
「毘沙門天」(びしゃもんてん)
黄色くて怒りの相を表し、甲冑を着け、手には宝塔を持つ。
別名を多聞天という。インドの神であり、財宝の神として信仰されている。
「弁財天」(べんざいてん)
「弁天」と略称で呼ばれることもある。その像にはいろいろと種類があるようだが、
琵琶を弾じている女像が代表的な像とされる。本来はインドの神で、農業神でもあったが、
のちに音楽や芸能、知恵の神となった。
「布袋尊」(ほていそん)
中国で実在した禅僧布袋和尚を神格化したものといわれる。
肥満体で腹が出ていて、布の袋を持つ。円満の神。
「福禄寿」(ふくろくじゅ)
中国の仙人に由来するといわれる。背が低くて頭が長く、
髭が多くて経巻を結びつけた杖などを持つ。長寿を授ける神。寿老人との混同がある。
「寿老人」(じゅろうじん)
背が低くて白髪を垂れ、髭が長くて杖やうちわを持つ。長寿を授ける神。
福禄寿との混同がある。 |
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お江戸八百八町: 七福神参り
上記の七福神七ヶ所を年頭に巡拝して御利益を得る、一年の幸福を祈念する慣わしが江戸時代には確立されていた。
江戸最古の七福神参りは大坂よりも古く、寛政十年(1798)の「谷中七福神参り」が明記されている。
現在の港区・品川区・目黒区の「山手七福神参り」、そして「隅田川七福神参り」は文化元年(1804)に創設されている。
この三つが江戸の巡拝コースであった。 |
八王子八雲神社の注連縄
明治神宮境内神木の注連縄
米俵載せた太い北海道神宮 |
注連縄 (しめなわ)
神社の鳥居や拝殿前に張ってある縄のことです。
御神前や境内地、御神木、岩など神聖、清浄な場所を示す為に張るものです。
特に、祭事神事において神聖な場所を区別るために用いたり、また新年には家庭でも門口に魔除けのために張ったりします。
材料は藁(わら)が多く、左縒 (よ)りに綯 (な)い、藁の端を垂らします。垂らす数は現在では七・五・三が一般的なようです。
間に紙の四手 (しで) を下げます。形や太さも様々なものがあります。
神前や鳥居では一面だけ張りますが、地鎮祭などでは四隅に立てた竹を囲うように張った斎場を四方(四面)を囲むように張る場合も有ります。
しめなわの字も「標縄」「七五三縄」などと書いたりしますが、
「注連」はもともと中国では死霊が入り込まないように、水を「注」いで清め「連」ね張った縄のことで、
これがあてられたと考えられています。
呼び方も「大根じめ」「牛蒡じめ」などと色々有るようです。
起源:「天の岩戸」の神話の中、天照大神が天の岩戸から出てきた後の岩戸に尻久米縄(しりくめなわ)を張り、
再び入れぬようにしたことが始まりとされています。 |
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社旗 (しゃき)
社紋を入れた神社の幟。 |
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社格 (しゃかく)
神社の格式。
明治4年(1871)の太政官布告は、大・中・小の官弊社、別格官弊社、
大・中・小の国弊社、府・県・郷・村社および無格社に分けた。昭和21年(1946)に廃止。
昔は天つ社(あまつやしろ)・国つ社(くにつやしろ)、大・中・小社、
官社・式内社・式外社などの社格があった。 |
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笏 (しゃく)
今でこそ「笏(しゃく)」を持つことは神職に限られていて、神職には欠かすことのできない持ち物の一つとなっていますが、
かつては官位のある人であれば、儀礼用の服装をするとき、必ずこの笏を持っていました。
笏は、欽明天皇の頃(6世紀)に、中国から伝来したと言われており、中国においては役人が君命の内容を忘れないように書いておくための板でありました。
日本においては、君前での備忘のため、必要事項を書き記した紙(笏紙)を裏面に貼って用いていました。
後に、重要な儀式や神事に際し、笏を持つ人のその姿勢や心正すための持ち物となりました。 |
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三味線胴 (しゃみせんどう)
三味線の胴のように、角に丸みをもった方形。
神輿の台座の角の形状の表示によく使われるが、細かい形状でありよく観ないと判断がつきにくい。 |
通常使われる一般朱傘
先端が折れ曲がる妻折傘
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朱傘 (しゅがさ)
祭りで使われる傘は、主に神幸祭などで神職に差し掛けられる傘である。
一般に、この傘は、朱色・長柄・妻折の大きなものである。
妻折(つまおれ)とは、傘の先端が折れ曲がった形の傘で、古くは僧侶・貴族などへの差掛傘・差し掛け傘に使われた形である。
この傘は、端折傘・妻折傘・爪折傘(つまおりがさ)、妻折れ野点傘、妻折の差掛傘などと呼ばれる。
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お江戸八百八町: 宿場 品川宿
品川宿。江戸四宿の1つ(他は千住宿、板橋宿、内藤新宿)。
中世には既に品川湊として発展していたが、徳川家康による伝馬・宿駅制度の整備に伴い、慶長6年(1601)
ごろに正式に東海道の第1宿となる。
当初は北品川宿と南品川宿の2宿で伝馬役を務めていた。
その後北側に品川新町ができ遊里化して、南北両宿から非法と訴えられ、享保6年(1722)毎年歩行(かち)
人足12,000人を負担することで品川新町は品川宿に加えられ歩行新宿(かちしんじゅく)と呼ばれるようになった。
本陣は北品川宿、脇本陣が南品川宿と歩行新宿におかれた。遊所(遊郭・遊里=遊び場)として北の吉原、南の品川と称せられた。 |
平安神宮の丹塗の大鳥居 |
朱塗り 鳥居の(しゅぬり) 丹朱(たんしゅ)
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。
稲荷神社に限って云えば稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。
ただ、お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くあります。
また朱の原材料は硫黄と水銀との化合したもの、赤土=丹(たん)です。この朱を塗ったのが鳥居の丹塗です。
これは昔から木材の防腐剤として使われてきました。 |
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朱引き (しゅびき)
神幸祭や宮神輿の渡御路を朱で線を引くこと。また、その線。
江戸時代、江戸の府内と府外とを地図に朱線を引いて区別したもの。
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巡行 (じゅんこう)=神幸祭
神輿が担ぎ手に担がれ、山車が引き手に引かれて練り歩くこと。
このホームページでは宮神輿(本社神輿)の巡行は渡御と表示しています。
町会神輿や祭り神輿は巡行と表示しています。 |
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准勅祭社 (じゅんちょくさいしゃ)
東京十社(じっしゃ)とは、明治初年に准勅祭社と定められた東京近郊の10の神社のことである。
明治元年(1868)10月明治天皇は氷川神社を勅祭社に定め、
それに続いて11月東京近郊の主だった神社を准勅祭社と定め、
東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社とした。
当初は12社(日枝神社・根津神社・芝神明宮・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川貴船社・
富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・鷺宮神社) であったが、
東京市から遠隔の府中町六所宮(現大國魂神社)と埼玉県鷲宮町の鷲宮神社が外されて10社となった。
准勅祭社の制度は一時的なものであり、明治3年(1870)9月1日には廃止され、
該当神社は、府社あるいは郷社となる。 |
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印半纏 (しるしはんてん)=半纏参照
襟・背・腰の部分などに屋号・町会名・睦名などを染め抜いた半纏。
神社の本社神輿(宮神輿)の渡御時には、
神社指定の印半纏を着用しないと氏子であっても担げない神輿が大半です。
商家では、店員に印半纏を着せたり、出入りの職人に盆暮れに贈った。
これを“ お仕着せ半纏 ”というところもある。
長半纏:着物よりたけの少し上まである長さで、衽がなく、襟が裾まである半纏。
鳶職人や火消しなどの厚手の生地に刺し子をした半纏は、このサイズ。 |
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お江戸八百八町: 上水道
江戸は武蔵野台地の最末端で江戸湊(みなと)と称する海辺にあり、海水と地下水が交じり合い、
水質が悪っかた。ごく一部「御茶の水」など台地の湧水部を除き、大部分は水に恵まれない土地であった。
江戸で最初の上水道は井の頭池を水源とする「神田上水」(天正18年〜慶長時代・1590〜1615))で神田・日本橋地域に給水したが、
増え続ける人口を維持するため、水量の豊富な多摩川を水源とする「玉川上水」が(承応二年・1653)に堀削された。
この二本の上水道は総延長150キロに達し、給水人口、給水面積、給水量ともに世界最大の水道網であった。
共に明治34年(1901)の改良水道完成まで使用された。
上水で送られてきた水は、主要道路に埋設した樋(ひ=導水管)を通して分岐点に桝(ます)を設けて、
町内の長屋の水道井戸に導いた。
樋はヒノキの細長い箱型で、
一切の動力を使用せず自然勾配だけを利用した「流下式」で流していた。
一年に一度土用の時期に長屋総出で清掃する井戸さらえをした。
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神宮 (しんぐう)(じんぐう)
伊勢神宮をさす。一般に「お伊勢さん」。皇室の祖先神「天照大御神」をまつる。
式年遷宮(しきねんせんぐう)神社で一定の期年において新殿を営み、これに神体を移す。
伊勢神宮では、20年に一度行われる。
伊勢神宮の社殿は唯一神明造り(ゆいいつしんめいつくり)という神宮独特の建築様式です。
米を納める倉を起源として、礎石のない掘立柱と萱(チガヤ・スゲ・ススキなど)
の屋根を特徴とする古代の建築様式で、20年ごとに建て替えられる。 |
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神幸祭 (しんこうさい)
神幸: 遷宮、または祭礼に際し、神霊が神輿・
鳳輦や御船代などに乗って新殿または御旅所などに渡御すること。
神幸祭: 神社の一番重要な行事で神霊の移動そのものを神威の顕れとしてまつる神事。
神霊を神輿などに載せ、氏子町内を巡行(渡御)すること。
日枝神社の山王まつり最大の盛儀で、優雅な格調高い御列は供奉員総勢約500人・
御列は300メートルに及ぶ。山王まつり渡御行列の内容は、
先導神職、副宰領、竹棹持ち、諌鼓鳥山車、太鼓、神幸祭旗、馬乗祭典副委員長、
金棒、高張り提灯、御幣、鼻高面(猿田彦)、朱傘、賛者、大真榊、錦旗、大幟、
馬乗禰宣、寶物係、獅子頭二頭、副宰領、御神馬、御弓、御胡舞、御鉾、御楯、
御太刀、馬上禰宣、権禰宣、舞姫、童女、楽人、輿丁連高張、青年会旗、錦旗、
管翳、管蓋、総代連高張、総代連、副宰領、
竹棒持、御綱持、御鳳輦、
竹棒持、御綱持、御鳳輦、
竹棒持、宮神輿、
宰領、紫翳、錦蓋、馬車宮司、朱傘、馬車付、
権禰宣、寶物係、祭典委員長、祭典副委員長、副宰領、巫女、総代連高張、総代漣、
葵会漣高張、葵会漣、風流舞、
竹棒持、花山車、
竹棒持、干支山車、
竹棒持、美少年山車、用度方、
竹棒持、人形山車(東郷元帥・日本武尊)の序列です。 |
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神職 (しんしょく)
神社に奉仕して神事に従う者。神主、神官。
旧制度で、官弊社、国弊社以下、府、県、郷、村社の格神社および神官神部署などの職員の総称です。
一般的には、 宮司(ぐうじ)・ 禰宜(ねぎ)・ 権禰宜(ごんねぎ)が置かれている。
原則として宮司・禰宜は各神社に1名づつである。
別表神社の一部では、宮司の下に権宮司(ごんぐうじ)を置いている。
簡単に言えば、宮司は神社の代表者、権宮司は副代表、禰宜は宮司の補佐役、権禰宜は一般職員である。
神社本庁が包括する神職は21,500名ですが、その内女性は2,600名です。
なお、舞女や巫女は正式に神職とは認められていない。 |
御嶽神社の旧本殿は元禄13年の建造で都内で唯一残る室町時代の規模の建造。
主祭神は崇神、景行、安閑、清和天皇と副祭神を加えると
96柱がこの旧本殿に祀られている。
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神社 (じんじゃ) 神社系列の祭神と社数=祭神
神道の神を祀るところ。やしろ、おみや、鎮守のもり。
日本は神代(かみよ)の国、八百万(やおよろず)の神々が、とよく表現されるが、
これはそれ程多くの神がいるとの例えですが、神社は確かに多いのです。
全国の神社の数は 13万5千社(リーダース・ダイジェスト社)や 8万社(神社本庁)とも
神社系列名 |
祭神 |
社数 |
神社系列名 |
祭神 |
社数 |
稲荷神社 |
宇迦之御魂神 |
32000 |
八幡神社 |
応神天皇 |
25000 |
伊勢神明社 |
天照大御神 |
18000 |
天満宮・天神 |
菅原道真 |
14000 |
諏訪神社 |
建御名方神 |
13000 |
厳島神社 |
宗像三女神 |
9500 |
宗像神社 |
宗像三女神 |
6000 |
日吉・日枝神社 |
大山咋神 |
3800 |
熊野・王子 |
熊野神 |
3000 |
津島・須賀神社 |
素盞鳴尊 |
3000 |
春日神社 |
経津主命 |
3000 |
八坂神社 |
素盞鳴尊 |
2600 |
住吉神社 |
住吉大神 |
1600 |
浅間神社 |
木花咲耶姫神 |
1300 |
金毘羅神社 |
大物主神 |
700 |
氷川神社 |
素盞鳴尊 |
200 |
花園・鳥越 |
日本武命 |
? |
白髭・大田 |
猿田彦神 |
? |
鹿島神社 |
武甕槌命 |
? |
香取神社 |
経津主命 |
? |
上記以外に
大鳥(鳳・鷲)神社は日本武尊、愛宕神社は迦具土神、秋葉神社は迦具土神、
白山神社は菊理媛神、多賀神社は伊邪那岐命、出雲神社は大国主命、
賀茂神社は賀茂別雷神、松尾神社は大山咋神、熱田神社は草薙剣、
貴船神社は闇淤加美神、三輪神社は大物主神など。
なお伊勢神明社は大半が神が不在の遥拝所と思われます。 |
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神社の施設
社殿 (社殿というのは、神社の境内にある建物を総称していう言葉)
本殿 (本殿とは、そのうち御神体や祭神がまつられている中心的な建物を指す)
拝殿 (拝殿はお祓いや祈祷などを受ける場所で、この奥に本殿がある)
幣殿 (へいでん:祭儀を行い、幣帛を奉る社殿であるが拝殿と一体が多い)
相殿 (あいどの:合殿とも記す。神社の主祭神に対して1柱またはそれ以上の神を合
祀(ごうし)すること、またその社殿。)
社務所 (神社の事務を取り扱う所)
神楽殿 (かぐらでん:神社の境内に設けた、神楽を奏するための建物。神楽堂。)
舞殿 (まいどの:神社の境内に設けた、舞楽を行うための建物。=神楽殿)
宝物殿 (寺社などで宝物を納める建物)
神輿庫 (神輿を格納するところ)
摂社 (せっしゃ:その神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社。本社の境内にあるも
のを境内摂社(けいだいせっしゃ)または境内社、境外に独立の敷地を持つも
のを境外摂社(けいがいせっしゃ)という。)
末社 (まっしゃ:摂社以外のもの、格式は本社・摂社・末社の順とされる。)
社号標 (しゃごうひょう:神社の名称と肩書きも表示される。石塔が多い)
参道 (さんどう:神社や寺院に参詣するための道のことである)
鳥居 (とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)
であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。)
扁額 (へんがく)とは、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額、看板
であり、書かれている文字はその建物や寺社名であることが多い。
随身門 (随身の姿の守護神像を左右に安置した神社の門。
この二神はかどもりの神あるいは看督長(かどおさ)といわれ、俗に矢大臣・左
大臣と称される。
随身 (ずいじん:平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官
人のことである。また神社の門(随身門)の左右に、神を守る者として安置され
る随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。)
楼門 (寺社などにある、二階建て(重層)になった門。
下層に屋根がなくて上層に高
欄付きの縁をめぐらしたもの。下層に屋根のあるものは、二重門とよぶ。)
玉垣 (たまがき:神社・神域の周囲にめぐらされる垣のことである。樹木をめぐらせる
柴垣が最も古い形式であると考えられる。
形状は、厚板を並べた板玉垣、皮がついたままの木を用いた黒木玉垣、広く間
を開ける透垣などがある。
材質は木や石、近年ではコンクリートによるものもある。玉垣には寄進した者の
名前が刻まれることがある。赤く塗ったものを特に朱(あけ)の玉垣と呼ぶ)
手水舎 (ちょうずや・てみずや:参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。
水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれる。)
燈籠 (とうろう:日本の伝統的な照明器具の一つ。「燈籠」あるいは「灯篭」とも書く。
文字通り、灯(あかり)籠(かご)である)
狛犬 (こまいぬ:神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに
一対で置かれている石獅子、空想の動物)
眷属 (けんぞく:神の使者(使い)と考えられる特定の動物のことである)
賽銭箱 (さいせんばこ:神や仏に供える金銭を賽銭と言い、多くは神社、寺院の前に
置いてある賽銭箱に投入する。寺社への寄付(寄進)としての側面も持つ。)
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神社神道 (じんじゃしんとう)
神社を中心に発達した神道をいい、第二次世界大戦前は国家の管理下にあった。
戦後は宗教法人法で届出制度による宗教法人の自由な活動を図っている。
現行憲法は信教の自由・政教分離を明確にしている。
宗教法人として戦後出発した宗教名として用いられることもある。
神=神祇(じんぎ)=天神と地祇。天つ神と国つ神。神々のこと。
神道の起源は古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた
神観念である。このためキリスト教や仏教のような開祖は存在せず、縄文時
代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられ
ている。 |
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神社本庁 (じんじゃほんちょう)
昭和21年(1946)国家神道廃止に伴い設立した神社神道の宗教団体。
神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の約8万社の神社を包括する宗教法人で全国の神社の大半を組織する。
本庁所在地: 東京都渋谷区代々木一丁目1番2号(明治神宮の隣)。 |
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神仏習合 (しんぶつしゅうごう)
相異なる教理などを折衷調和すること。神仏混淆(こんこう)ともいう。
奈良時代に起源ををもち、平安時代には神前読経や神に菩薩号をつけるようになった(八幡大菩薩など)
この習合思想は明治維新の神仏分離の政策まで続いた。
習合神道(しゅうごうしんとう)=神・儒・仏の三教を習合した神道の一派。 |
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神仏分離令 (しんぶつぶんりれい)
明治維新直後の明治政府の宗教政策で神道を仏教から独立させた。
明治維新の政治的理想であった王政復興・祭政一致を具体的にしようとしたもので、
神社から仏像、僧像、仏具、経巻などが取り払われた。
さらにこの政策は過激な廃仏毀釈(きしゃく)運動へと展開した。
明治8年(1875)にやっと信教の自由が保障された。
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神木 (しんぼく)
神社の境内にあって、その神社に縁故のあるものとして特に祭られる樹木です。
写真は明治神宮の境内にある神木で、大正9年(1920)に献木された夫婦楠です。
神木には注連縄を引いたり棚を設けたりする。神社には銀杏が多い。 |
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神馬 (じんめ)=神駒(かみこま)
神の乗御に供する意で、神社に奉納する馬。かみこま。しんめ。
日本では古くから神様の乗り物として馬が神聖視され、
奈良時代からお祭りや祈願の時には神馬(じんめ)
といって生きた馬を神社に奉納する風習がありました。
また祭事の際に使用される馬を指す場合は、
馬の種類には特に決まりはなく、延喜式3巻26条では、雨を願うときには黒毛の馬を、
晴れを願うときには白毛馬をそれぞれ献納するという記述がある。
しかし農耕社会での牛馬奉納は、あまりにも財政的負担が大きく、
その代わりに板に馬の絵を描き、奉納するようになったのが絵馬の起源とされています。 |
神紋の左三つ巴紋 |
神紋 (しんもん)
神社の紋章を「神紋」という。平安時代に公家が、衣服や道具、牛車などに描いた模様が始まりで、
家紋や神紋になった。
模様は、祭神や土地、神社の名前などに因んだものが多いが、
代表的な神紋としては靹絵(ともえ:神社)・輪鋒(りんぼう:寺院)・万子(まんじ:寺院)の三つが代表的なものであり、
神社では三巴の巴紋を神紋とする神社が圧倒的に多い。
以下多い順に
桐
菊
梅
葵、菱、木瓜、桜、
藤
亀甲 |
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