|
お江戸四大橋
江戸には500前後の橋があり、大川(隅田川)に架かる海側から四つの橋、
永代橋、新大橋、両国橋、大川橋(吾妻橋)をお江戸四大橋という。
○ 永代橋:
現在の場所とは違い、深川佐賀町と日本橋北新堀町をつなぐ橋で、
五代将軍綱吉の50歳のお祝いに元禄9年(1696)架けられた。
有名なのは、文化4年8月19日、1500人余りの人々が亡くなった崩落事故。
大惨事は雨で順延となった深川富岡八幡の祭礼へ向かう群衆が一気に橋を渡ろうとしたことや、
一橋家一行の船による橋下の通過とこれに伴う通行止め等が原因であった。
また、この橋は、吉良上野介の首級をあげた赤穂浪士が泉岳寺に行く途中、渡ったことでも有名なのです。
○ 新大橋:
両国橋の下方、浜町と深川六間堀を結ぶ橋で、両国橋の旧称が大橋なので、こちらを新大橋といった。
元禄6年(1693)に、隅田川に架かる2番目の橋として架橋された。
○ 両国橋:
本所は元々下総の国に属していたため、武蔵と下総の二つの間に架けられた橋で両国橋といわれ、
万治2年10月(1660)に完成した。
○ 大川橋:
浅草花川戸と材木町の間から対岸の本所御竹町に渡された橋で、別名吾妻橋。
この橋は安永3年(1775)町人の手で架けられた橋で、渡河する武家を除く往来の者から二文を徴収して修理費等に充てた。 |