歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿 祭りだ!神輿だ!神輿事典 「お項目」お江戸三大祭りや御祓箱、御旅所など
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 神輿事典


    お項目

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「オー」と発する (ウオーとも)=称唯(いしょう)
神事で神主が「オー」と言う場面があるが、「オー」というのは称唯(いしょう)と呼んでおり、応答の意味です。
上位の者から下位の者たちへ申し渡すという形態をとっており、文末に「諸聞食宣(もろもろきこしめせとのる)」 =「皆の者どもに申し聞かせるぞ」 という祭主(宮司)の言葉に下位の者が「承りました!」という感じで「オー」(称唯)で返事をしているのです。

称唯=宮廷で、天皇に召された官人が口を覆って「おお」と応答すること。 「称唯」を「いしょう」と転倒して読むのは、「譲位」と音が似ているので、避けたものといわれる。

お江戸三大祭
江戸時代の江戸の三大祭は、「山王祭」、「神田祭」、「深川八幡祭り」をいい、江戸っ子は、 「神輿・・深川、山車・・神田、だだっ広いが山王様」と評した。

日枝神社「山王祭」は旧暦6月15日、神田明神「神田祭」は9月15日、 富岡八幡宮「深川八幡祭り」は8月15日に行われた。

お江戸四大橋
江戸には500前後の橋があり、大川(隅田川)に架かる海側から四つの橋、 永代橋、新大橋、両国橋、大川橋(吾妻橋)をお江戸四大橋という。

○ 永代橋:
 現在の場所とは違い、深川佐賀町と日本橋北新堀町をつなぐ橋で、 五代将軍綱吉の50歳のお祝いに元禄9年(1696)架けられた。
有名なのは、文化4年8月19日、1500人余りの人々が亡くなった崩落事故。 大惨事は雨で順延となった深川富岡八幡の祭礼へ向かう群衆が一気に橋を渡ろうとしたことや、 一橋家一行の船による橋下の通過とこれに伴う通行止め等が原因であった。
また、この橋は、吉良上野介の首級をあげた赤穂浪士が泉岳寺に行く途中、渡ったことでも有名なのです。

○ 新大橋:
 両国橋の下方、浜町と深川六間堀を結ぶ橋で、両国橋の旧称が大橋なので、こちらを新大橋といった。 元禄6年(1693)に、隅田川に架かる2番目の橋として架橋された。

○ 両国橋:
 本所は元々下総の国に属していたため、武蔵と下総の二つの間に架けられた橋で両国橋といわれ、 万治2年10月(1660)に完成した。

○ 大川橋:
 浅草花川戸と材木町の間から対岸の本所御竹町に渡された橋で、別名吾妻橋。
この橋は安永3年(1775)町人の手で架けられた橋で、渡河する武家を除く往来の者から二文を徴収して修理費等に充てた。

神田明神大神輿の大鳥の鳳凰と蕨手の小鳥も同じ彩色。06.05.14. 大鳥 (おおとり)=鳳凰
神輿の屋根の中央に載せた擬宝珠のことですが、正式名称は鳳凰です。

これに対し屋根の四隅の蕨手に載せたのを小鳥ということから、 屋根の中央に載っているのを対峙して大鳥と称している。

大麻 (おおぬさ)
神道の祭祀において祓に使う道具の一つで、榊の枝または白木の棒の先に紙垂(しで)または麻苧をつけたものである。 大麻という言葉は、本来は「ぬさ」の美称である。 大麻は、祓う対象となる人や物に向かって左・右・左と振って使用する。

住吉神社の佃島大幟。08.08.02.
 住吉神社の15間の大幟
住吉神社の垂木。08.08.03.
  住吉神社の柱と抱木
大幟 (おおのぼり)=参照: 住吉神社例大祭
神が依りつく依代(よりしろ=招代・おぎしろ)は樹木からやがて柱や幣束や幟に代る。
佃島の住吉神社の大祭は三年に一度行われる。 この大祭時には神が依りつくものとして六ヶ所に大幟を立てる。
大幟の高さは15間(約27M)の長竿に、「住吉大明神」と染め抜かれた五反の布に乳を取り付けたものである。 この大幟は寛政十年(1798)六月の大祭に幕府の許可を得て立てたのが初めです。
現存する最古の幟は明治22年に作られたものである。

この大幟を支える柱や抱木(だき)は佃島小橋に近い舟入堀の水中に埋められ保管される。 木は水中にあるときは枯れたり腐ったりしないとの先人の知恵によるもの。 祭礼の2週間前に掘り起こし、洗い、乾燥させて組み立てる。
祭礼が終わると再び柱や抱木は三年間堀割りに埋められる。

素盞雄神社の茅の輪。素盞雄神社HPより。





大祓 (おおはらい)=茅の輪(ちのわ)
1年もしくは半年の内に、自分自身が知らず知らずのうちに犯した罪や過ちまた心身の穢れ(けがれ)を祓い清め、 本来の清浄な心身に戻り日々の生活を営むための神事です。
この神事は毎年6月30日と12月31日の二回行われ 6月の大祓を「夏越し(なごし)の大祓」  12月の大祓を「年越しの大祓」とも言います。

神事には、人形(ひとがた)という祓具(はらいぐ)によるお祓いや、 茅輪(ちのわ)くぐりが挙げられます。 茅輪は、茅草(かやくさ)で作られた大きな輪で、 それをくぐることで疫病や罪穢れが祓われると言われています。

茅輪のくぐり方
左まわり、右まわり、左回りと、八の字を描くように三度くぐりぬけます。 こうして、心身共に清らかになって、神社へ参拝します。

    お江戸八百八町: 岡場所と吉原

江戸の初期は新開地に付きものの遊女屋があちこちに散在していたために、 元和四年(1618)周囲を堀で巡らし、出入りは大門一ヶ所の幕府公認の遊廓が開業した。 葦が生い茂る二町四方の土地であったから、葭原(よしわら)と呼ばれたが、験を担ぎ吉原と書いた。 現在の日本橋人形町あたりであったが、明暦の大火(1657)後に奉行所の命で日本堤に移転させられた。 現在の台東区千束である。
吉原は大名や高級武士、富裕商人層が太夫を相手にして、 接待場所として使っていたが、その後本格的な料理茶屋が出現して 吉原は大衆化して遊女の数は最盛期の弘化三年(1846)には7200人となった。 この公娼制度は売春防止法が施行される昭和33年(1958)まで340年も続いたのです。

吉原以外は全て非官許の遊里で、岡場所と呼んだ。元禄以降栄えた主な岡場所は、 深川八幡周辺、本所松井町、四軒、谷中、根津、音羽、赤坂などであった。
なお内藤新宿、千住、板橋、品川の宿場は官許の私娼なので、岡場所とは呼ばない。

お神楽
神楽の項参照。

お囃子・祭り囃子
囃子の項参照

富岡八幡宮の下木場町会のお仮屋。08.08.17. お仮屋 (おかりや)=御旅所
神社の祭礼時に、神輿(しんよ)が本宮(=他に神霊を分祀したもとの神社。本社) から渡御して仮にとどまる所。大祭期間中のみ設置の仮の屋。

写真は富岡八幡宮の下木場町会の屋根葺き、白木柱、よしず囲いの隅々まで本格的なお仮屋。 見事だなとよく観れば寄贈は鹿島建設。

御嶽神社御師住宅。08.05.08.
 現役の御嶽神社御師住宅






御師 (おし) 参照: 御嶽神社日の出祭
神社が頒布する災厄除けの神札も「お祓い」と呼ばれる。 神職は神明奉仕が勤めで、かつては信仰を広める行為は出来ませんでした。 そこで神職に代わり、 伊勢神宮の御師が全国を廻って伊勢神宮の神札を配っていた。

特定の社寺に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことである。 特に伊勢神宮のものは「おんし」と読んだ。御師は街道沿いに集住し、御師町を形成する。 元は「御祈祷師」を略したもので、平安時代ごろから寺に所属する者に対して用いられるようになり、 後に神社の参詣の世話をする下級神官についても用いられるようになった。

関東でも周辺を取り巻く、筑波・赤城・榛名・戸隠・三峯・富士・大山などの霊山にある神社の御師が その布教活動を行い、信仰を広めていきました。
最近でも数カ所の神社に御師は存在しますが、昔ながらの活動が続いているのは、 「御嶽」だけとなっている。

京都八坂神社の四条通り御旅所。08.05.31.


御旅所 (おたびしょ)
神幸の中継地および目的地となる所、本社や御祭神に由緒ある場所が選ばれる。

神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所、 或いは神幸の目的地をさす。巡幸の道中に複数箇所設けられることもある。 御旅所に神輿が着くと御旅所祭が執り行われる。

御旅所には神社や祭神にまつわる場所や氏子地域にとって重要な場所が選ばれている。 元宮、摂末社や配偶神を祀る神社などのような社殿があるもののほか、元の鎮座地などに臨時の祭殿を設けたり、 氏子の代表(頭人)の家に迎える場合などがある。

御祓箱 (おはらいばこ)
伊勢神宮から頒布される御祓いの大麻(たいま)を入れある箱。 江戸時代には御師(おし)から諸国の信者へ年ごとにくばって来た。

転じて毎年新しいものが来て古いものは不要になること。=御払箱。

「お神札」 (おふだ)と 「お守り」
古代の人々は、さまざまな危険や災難から心身を守るために、 石や骨、鏡や剣といった呪物(霊威を持つ物)を、 身近に携えていることにより、神様の力で心身を守られると信じられていたのです。 のちにその呪物が時代とともに形を変えて、「お神札」や「お守り」となったと云われています。

「お神札」は、家内の安全や火災、疫病といった災厄からも私たちを守ってくれるもので、 主に神棚にお祀りしたり、門口や柱に貼ったりします。

「お守り」は、お神札を小型化したもので、木片や紙片に神社名が記されています。 それをお守り袋に入れて、常に身につけておきます。お守りは、肌守りを始めとして、 厄除けや良縁、安産、交通安全、学業成就などを祈願した、さまざまな種類のお守りがある。

お神酒 (おみき)
お神酒(おみき)は神への捧げものであると同時に、身を清め神との一体感を高めるための飲み物とされる。 お祭ごとに欠かせない神聖なお酒。

五條天神社の上野町会お神酒所で巫女舞。08.05.25.


お神酒所 (おみきしょ)
お神酒所とは神社の分霊を祀るところで、氏子町会の詰め所で町会長や会計、 給与が常駐します。衣装は通常揃いの浴衣に半纏を羽織る。

氏子の多いお神酒所では、以下の役割が割り振られます。
祭礼総代、祭礼委員長、祭礼副委員長、実行委員長、実行副委員長、総合進行係り、お神酒所係り、 御幣係り、神輿係り、拍子木係り、高張り提灯係り、交通保安係り、給付係り、お囃子係り、 会計係り、記録係り、子供神輿係り。

お神酒とは神前に供える酒で、慣用の「御神酒あがらぬ神はない」のです。

表祭り (おもてまつり)
本祭と同意語で例大祭、大祭のこと。相反する祭りが裏祭り、陰祭りという。

小平神明宮の先祓い大太鼓の撥捌きにも力が入る。07.04.29.


御太鼓 (おんたいこ): 参照:大国魂神社暗闇祭り
大太鼓ともいう。
日本伝統音楽では普通ビヤだる形の胴の両端に皮を張り、縁を鋲(びょう)でとめた鋲打太鼓の大型のものをさす。
盆踊り、神楽など多種類の民俗芸能や下座(げざ=囃子)音楽、神事や相撲などさまざまな行事に広く使われ、 用途により宮太鼓、櫓(やぐら)太鼓などともいわれる。しかし伝統音楽では雅楽の大太鼓(だだいこ) をはじめ、民俗芸能には大型の締太鼓も多くつかわれている。


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